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第一章 夜を往く帆舟(ふね)

7 最後の命令

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 ……ああ、そうだった。
 ノモクは思いだした。命令を出した者が「やめろ」と云うまで、奴隷は命令に従いつづける。だから、男奴隷の指が尻の谷間にすべりこんできたときに、すぐさま拒否すべきだったのだ。
「そこは自分で洗うから……」
 ノモクがようやく咽喉の奥から搾りだすように云うと、男奴隷は、
「かしこまりました」
 と云って、空いた手を左のわき腹にあてた。そして右のわき腹と同じようにそろりそろりと指先で垢をこそげ落としはじめた。
 新たな快感がノモクを支配した。わき腹の表面を指先が不規則にうごめいている。同じ方向に同時に上下するのではなく、それぞれ別の意志を持って、ばらばらに這いまわっているのだ。その自由気ままな指先の動きが、こそばゆさとはちがう、うねりを生みだしている。うねりは、わき腹から腰へ さらに太腿の内側へと移っていった。
 ぼくは、どうなってしまうんだろう……。
 指先が、くるくると回りながら少しずつ股間に近づいてゆく。三分の一ほど進んだところで動きが止まった。肉厚の手のひらが、左右に太腿を割る。そして今来た道を引きかえすように元の位置に戻り、またゆっくりと、こんどは手のひらでゆったりと撫でながら股間へ近づいてくる。半分のところで動きが止まる。また太腿が左右に割られた。その手のひらの動きは、泡の波の上に漂う二隻の帆舟のようであった。
 気づけば背中に男奴隷の熱を感じる。裸かの背中と裸かの胸とが、あと少しで触れあいそうなところにあったのだ。ノモクは男奴隷にほとんど包まれていた。
「王子、楽にしてください」
 耳に注ぎこまれた男奴隷の声は、少しかすれた低い声だった。その声が室内に共鳴し、ノモクの全身を震わせた。震えは波のようにうねり、少しずつ腰の奥へ集まってくる。
 また太腿が左右に割られた。分厚い手のひらが泡の波に乗って太腿の付け根にたどり着いた。
 これ以上、堪えきれない。ノモクが声をあげようとしたとき、太腿の付け根を擦っていた両の手のひらがふっと離れた。ノモクは脱力して、息をはいた。頭が自然と下がる。目の前でペニスが屹立している。そこへ、ふたたび腰の後ろからソルブの両手が現れて、ペニスのすぐ近くで泡を立てはじめた。ノモクは迷った。これをみっつ目の命令にすれば、自分が少し恥ずかしい思いをするだけで、この男奴隷は罰を受けずにすむ。
 しかし、ノモクの口から出てきた言葉は、その反対だった。「そこも自分で洗うよ」
「かしこまりました」ソルブは、泡をじゅうぶんに立てて、ノモクの両膝のうえにそっと置いた。「みっつ目のご命令を」
「少し時間をくれないかい。洗っているあいだに考えるから」
「かしこまりました。いつでもお声がけください」
 ソルブの気配がふっと背後から消えた。
 ノモクは両手に泡をすくってペニスをそっと包んだ。しかしノモクは、これまで自慰をしたことがなかった。それは穢れた行為だったのだ。今ここでその禁を犯したとしても、男同士の秘密として、ソルブは見て見ぬ振りをしてくれるだろう。ここで何とかしなければ、屹立したペニスは鎮まりようもない。
 ノモクは、正面の壁を見た。壁にはソルブの影が揺らめいていた。暗くなるようランプの前に控えているのだ。しかしその男奴隷の影が、ノモクの自慰を真正面から見ているように思えた。
 なんとかしなければ。ノモクは焦った。そのとき、天からの啓示のように素晴らしいアイディアが降りてきた。夏場に森のなかで訓練をしたあと、騎士たちは川で水浴びをするのだった。素裸かで川に飛びこみ、水を掛けあう者もいた。彼らは口々に、
「おい、おまえの縮んでいるぞ」
「男は皆、こうなる」
 と云っていた。
 左を見ると杯があった。水はまだ残っているはずだ。ノモクは杯を手に取った。
「あ、王子……」ソルブが云った。
「大丈夫だよ。すぐ近くにあったから自分で取れるし」
 ノモクは水を飲む振りをして、ペニスにこぼし、事なきを得ると、膝を洗いはじめたが、ふと過ちに気がついた。「杯を取ってくれ」と云えば、それがみっつ目の命令になったのだ。ソルブが罰を受けないように、最後の命令を考えなければならない。
 ノモクが立上るとソルブは浴槽から板を外し、壁に立て掛けた。湯に浸かりながら、ノモクはそのようすを見ていた。ソルブは、最後のランプを手にして戻ってきた。最後の命令を催促しているらしい。ソルブは両脚を折ってノモクの傍らに跪き、大胆にひらいた股間の前にランプを置いた。
 ランプの焔がソルブの肉體を暗闇のなかに泛びあがらせた。たくましい筋肉の起伏は濃い影をともなって、よりいっそう巨きく見えた。そしてランプの焔は、雄々しいペニスに重なって、熱く燃えたぎっていた。
 居ても立っても居られなくなって、ノモクは浴槽から立上った。
「もう上がるよ」
「かしこまりました」
 ソルブは、すっとランプを持ちあげた。床に着いていた異教徒のしるしが煌々と照らされた。ノモクは見て見ぬ振りをして、股間を両手で覆い、着替えの置いてある長椅子へ向かった。
 ソルブが暗がりのなかでノモクの全身を拭い、着衣を手伝った。そしてノモクが湯屋を出ようとしたとき、
「王子、みっつ目のご命令を」
 と云った。
 そうだった。最後にひとつ何か頼まないと、この男奴隷は罰を受ける。湯屋を出る前に云わなくては……。
「寝る前にデザートがあれば食べたいな」
「夜のデザートですね」
「うん。そう」
「かしこまりました」
 みっつ目のランプがようやく消えた。ソルブが腰布を巻いた。ノモクは、ほっと胸を撫でおろした。

   ◇  ◇  ◇

 短いノックが三度して、ノモクはだいから飛びおきた。さっきソルブに頼んだデザートだ。寝る前なので、ちょっとつまめる焼き菓子か、果実の盛りあわせだと嬉しい。そして世話係のソルブは、これでみっつの命令から解放される。
 ノモクは、ふつうに振る舞おうと、扉の前で片手を胸にあてて三度深呼吸をし、落ち着いて扉を開けた。
「ありがとう――」
 ノモクはその場でかたまってしまった。目の前に立っていたのは、世話係のソルブではなく、あのエシフだった。
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