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第一章 「お江戸いけめん番付」の色男
肆 お江戸いけめん番付
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小食がすんだ。
殷慶は、三人の愛弟子たちに有難い説法をしたあと、奥の部屋から葛籠を持ってきた。
「おまえたちに新しい法衣を用意した」殷慶は、三人が顔をぱあっと明るくするのを見て、期待を持たせるように葛籠を指でつんつんした。「南蛮渡来の法衣だ。今日から托鉢はこの『こすぷれ』で行ってもらう」
「あの、和尚さま――」一番弟子の鎮光が、進みでた。「キリシタンの法衣を身につけて外を出歩いては危ないのでは?」
徳川八代将軍・吉宗の治世である。一七二〇年、享保の改革の一環として漢訳された洋書の輸入が緩和されたが、それはキリスト教に関係のない実用書に限られていた。法衣は、どう考えても漢訳洋書ではない。
……知らんけど。
「どうせ町方同心にしょっ引かれるのなら、児玉のアニキが好いなあ。お江戸一番の色男に番所の奥でお取調を……」
ノンケな、もとい、呑気な顔をして芳恵が云うと、丹清がため息をついて、
「今は児玉さまじゃなくて鳶(=火消し)の伏利さまだよ。先週の『お江戸いけめん番付』見てなかったの?」
「ええい、やかましい! 芳恵、丹清!」殷慶が二人を叱りつけた。「それだけの色男なら早く連れてこい! うちの上客にするんだ。わかったか!」
そこへ鎮光が話題を元に戻そうと口を開いた。
「和尚さま、まずはどのようなものなのか見せてください」鎮光は、着衣をすっぽりと脱いで下帯ひとつになった。「初夏のお江戸流に着こなせるかどうか試してみなくては」
――試行錯誤ののち、鎮光、芳恵、丹清は新しい法衣に身を包んでウキウキと托鉢に出ていった。
「さて、仕事の準備にかかるとするか」
山門の前で三人を見送った殷慶は、いそいそと式台を上がると、すぐ正面の板戸を開き、部屋にあがった。
六畳ほどの部屋である。まず目につくのは、奥の壁一面を占める大きな薬棚である。一から八百まで番号が振られている。殷慶はひとつひとつ中身をあらためて在庫チェックをした。六十九番の丸薬が底をついていたので、チッと舌打ちをした。
ついで左の襖を開ける。狭い廊下沿いに、鍼灸の治療に用いる三畳ほどの個室がふたつ並んでいる。個室と云ってもお上からの御触れのため壁を天井の高さまで上げるわけにはいかず、衝立で代用して少し隙間を空けてある。個室の入口には、床まで届く暖簾を垂らしてある。
「凹の部屋は、もぐさの匂いが少し残っているようだな。今日は凸の部屋をメインで使うとしよう」
さらにその奥は湯殿である。殷慶が空海(=弘法大使)を真似て井戸を掘った際に源泉を引き当てたもので、掛け流しのためいつでも入浴が可能だ。夏場には治療の前に汗を流してもらうこともできるし、冬場には待ち時間のあいだに足湯を提供することもできる。
「うむ。湯加減も丁度好い。石鹸はまだ在庫があったはずだ……」
この、寺のようで寺でない特殊な寺――薬棚の数に因み、名を八百院と云う。
殷慶は、部屋をひととおり見てまわり、また最初の部屋に戻ってきた。腰を落ち着けたとき、表の戸が開く音がした。殷慶は、はて客人か、と板戸を開いた。
「失礼いたす。ご住職は居られるか」
初顔である。見事な体軀の、三十半ばと思しき、ちょいと好い感じの男であった。
「わたくしがこの八百院の住職、殷慶にございます」
「おお。そなたがご住職であるか。それがしは裏湯島天神の町方同心、児玉五郎と申す者にござる」
なんと、芳恵が熱をあげている色男であった。
殷慶は、三人の愛弟子たちに有難い説法をしたあと、奥の部屋から葛籠を持ってきた。
「おまえたちに新しい法衣を用意した」殷慶は、三人が顔をぱあっと明るくするのを見て、期待を持たせるように葛籠を指でつんつんした。「南蛮渡来の法衣だ。今日から托鉢はこの『こすぷれ』で行ってもらう」
「あの、和尚さま――」一番弟子の鎮光が、進みでた。「キリシタンの法衣を身につけて外を出歩いては危ないのでは?」
徳川八代将軍・吉宗の治世である。一七二〇年、享保の改革の一環として漢訳された洋書の輸入が緩和されたが、それはキリスト教に関係のない実用書に限られていた。法衣は、どう考えても漢訳洋書ではない。
……知らんけど。
「どうせ町方同心にしょっ引かれるのなら、児玉のアニキが好いなあ。お江戸一番の色男に番所の奥でお取調を……」
ノンケな、もとい、呑気な顔をして芳恵が云うと、丹清がため息をついて、
「今は児玉さまじゃなくて鳶(=火消し)の伏利さまだよ。先週の『お江戸いけめん番付』見てなかったの?」
「ええい、やかましい! 芳恵、丹清!」殷慶が二人を叱りつけた。「それだけの色男なら早く連れてこい! うちの上客にするんだ。わかったか!」
そこへ鎮光が話題を元に戻そうと口を開いた。
「和尚さま、まずはどのようなものなのか見せてください」鎮光は、着衣をすっぽりと脱いで下帯ひとつになった。「初夏のお江戸流に着こなせるかどうか試してみなくては」
――試行錯誤ののち、鎮光、芳恵、丹清は新しい法衣に身を包んでウキウキと托鉢に出ていった。
「さて、仕事の準備にかかるとするか」
山門の前で三人を見送った殷慶は、いそいそと式台を上がると、すぐ正面の板戸を開き、部屋にあがった。
六畳ほどの部屋である。まず目につくのは、奥の壁一面を占める大きな薬棚である。一から八百まで番号が振られている。殷慶はひとつひとつ中身をあらためて在庫チェックをした。六十九番の丸薬が底をついていたので、チッと舌打ちをした。
ついで左の襖を開ける。狭い廊下沿いに、鍼灸の治療に用いる三畳ほどの個室がふたつ並んでいる。個室と云ってもお上からの御触れのため壁を天井の高さまで上げるわけにはいかず、衝立で代用して少し隙間を空けてある。個室の入口には、床まで届く暖簾を垂らしてある。
「凹の部屋は、もぐさの匂いが少し残っているようだな。今日は凸の部屋をメインで使うとしよう」
さらにその奥は湯殿である。殷慶が空海(=弘法大使)を真似て井戸を掘った際に源泉を引き当てたもので、掛け流しのためいつでも入浴が可能だ。夏場には治療の前に汗を流してもらうこともできるし、冬場には待ち時間のあいだに足湯を提供することもできる。
「うむ。湯加減も丁度好い。石鹸はまだ在庫があったはずだ……」
この、寺のようで寺でない特殊な寺――薬棚の数に因み、名を八百院と云う。
殷慶は、部屋をひととおり見てまわり、また最初の部屋に戻ってきた。腰を落ち着けたとき、表の戸が開く音がした。殷慶は、はて客人か、と板戸を開いた。
「失礼いたす。ご住職は居られるか」
初顔である。見事な体軀の、三十半ばと思しき、ちょいと好い感じの男であった。
「わたくしがこの八百院の住職、殷慶にございます」
「おお。そなたがご住職であるか。それがしは裏湯島天神の町方同心、児玉五郎と申す者にござる」
なんと、芳恵が熱をあげている色男であった。
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