[R-18] 火消しの火遊び:おっさん消防士はイケメン俳優に火をつける

山葉らわん

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第六章 親分はボディガード

今から買いに行けってか?

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 ベランダから寝室に戻ってきた健悟は、ベッドに潜りこみ、大の字になって天井を仰いだ。ほどなくしてコーヒーを飲み損ねたせいか、眠気が襲ってきた。
 目が覚めると、正午を過ぎていた。
 股間が痛い。案の定、相棒が先に起きていた。鞭のようにビクンビクンとしなりながら、健悟のへそをビシバシ叩いている。
 ——よう、健悟。お目覚めかい?
 ——ったく、真っ昼間っから……。我ながらあきれるぜ。
 ——で、どうするんだ? 柳川のこと。今夜帰ってくるんだぞ。
 ——まだ時間はある。
 健悟は右手で相棒を握った。「大人しくしてろ」
 手のなかの相棒が火元を見つけて放水したがっている。健悟はとりあえず三度望みを叶えてやり、ベッドから脱けだすと、下帯をきつく締めあげた。ジーンズを穿き、なおも窮屈なファスナーをきっちりと上げる。
 中学のころから下帯とジーンズが貞操帯となっている。学校では制服のズボンが心許なくて、下帯をより一層きつく締めていた。それでも周囲の野郎連中は、どうだとばかりに盛りあがる健悟のを崇拝し、羨ましがっていた。
「これで善し、と。さて、柳川が帰ってくるまでどうするかだな……」
 休みとは云っても一日目は待機日なので、出動要請があれば現場に駆けつけなければならない。なので、遠出をすることもせず、家のなかのことを片付け、ゴロゴロし、気が向けば気晴らしに近所をぶらつくのが習慣となっている。
 もう一服しようと、煙草を取りにリビングに行こうとしたとき、スマホが鳴った。画面を見ると、大家のスミ婆ぁからだった。
「健坊、起きたかい?」
 起きたから電話に出てるんじゃねえか、と云いたいのを堪えて健悟は声を送りこんだ。
「おう、婆ぁさん。なんだまだ生きてたのか」
「生きてるから電話したに決まってんだろ」
「化けて出てきたのかと思ったぜ。足はあるんだろうな?」
 スミ婆ぁはスマホの向うで高らかに笑って、
「手も足もちゃんとあるよ。いくら夏だからって、怪談話じゃあるまいし」
「で、何の用だ? 用心棒が必要なら行ってやるぜ」
「今日は非番だろう? これから昼ごはん作るから食べに来るんだね」
 相変わらず、ノーとは決して云わせない強引な誘いだ。健悟は、あいよ、と短く応えてマンションを出た。

「銀行からたくさんもらっちまってねえ。ソーメンなんかより、利子を上げてくれるとありがたいんだけどさ」卓袱台に置かれたザルいっぱいのソーメンを前に、スミ婆ぁが笑った。「たんとお食べ。足りなければ茹でてやるから遠慮なくお云い」
「ひとり暮らしで寂しいなら、最初っから云えよ」
 と軽口を叩いて、健悟は箸でソーメンを持ちあげた。つゆに浸して一気に啜りあげる。「ああ、うめぇ。夏はこれに限るな」
 スミ婆ぁも豪快に音を立ててソーメンを啜った。「何が寂しいもんかい。ひとりが気楽だよ。たまにこうして健坊が来てくれればそれでいい」
 健悟はつゆを一口飲んで、
「素直じゃねえなあ」
「健坊がお嫁さんと一緒に来てくれるともっと好いんだけどねぇ」スミ婆ぁがソーメンをつまみながらニヤリと笑った。「子供が先でも好いよ。さっさと連れてくるんだね」
「またその話かよ。云わなかったか? 男四十二の大厄だ。まあ、後厄がすむまでお預けだな」健悟は席を立ち、勝手知ったる他人の我が家と云わんばかりに台所から麦茶のポットと湯呑みを手にして戻ってきた。そして話題を変えようと、スミ婆ぁに麦茶を注ぎながら、
「ところで、例の早鐘交差点の——」
「——ああ、あの趣味の悪い洋館のことだね」
「取り戻せそうか?」
「取り戻す気満々さ。何しろ健坊とお嫁さんの新居に建て替えるつもりだからね」スミ婆ぁは、その手には乗らないよ、とでも云うかのように話題を元に戻した。「だけどねえ、ぶっ壊すのにもお金がかかるんだよ。まったく余計なことをしやがって」
 健悟は大きく頷いた。「コインパークにでもしとくんだったな」
「消防士のおまえを前にしてこんなこと云うのも何だけど、いっそ灰になってしまわないかねえ……。そしたらぶっ壊す手間が省けるってもんだよ」
 健悟は胸の前で両腕を組んだ。「どんな火でも消すのが俺の仕事だ」
「今の持ち主が誰でもかい?」
「もちろん」
「さすが、あたしが見込んだだけのことはある」スミ婆ぁは、膝をぽんと叩いて満足そうな表情を泛かべた。「健坊は根っからの火消しだね。まさに消防士の鑑だ。おまえのお嫁さんは幸せ者だよ。こんな頼もしい男が良人おっとだなんてさ。そうそう。あたしに心当たりがあるんだけど、良いところのお嬢さんがいるんだよ。ああ、もちろんそのお嬢さんもあたしが部屋を貸しているから、人柄は申し分ないよ。気立てが良くて、小股の切れ上がったいい女でさぁ、あの腰つきなら安産だね。元気な赤ん坊の二、三人はぽんぽん——」
 ——スミ婆ぁはここぞとばかりに一気にまくしたてた……。

 スミ婆ぁ話を聞くだけ聞いて、健悟はマンションに戻ってきた。夕方の六時を少し回ったころで、柳川が戻ってくるまでにはまだ時間がある。帰り際に持たされた夕食の保存容器を冷蔵庫に押しこんで、健悟はリビングのソファに倒れこんだ。
 八時過ぎに夕食を食べ、テレビを観ながらぼうっとしていると、スマホが鳴った。柳川からだった。
「親分、いま新千歳空港です!」
 九時になろうとしていた。最終便にギリギリ間に合う時間だった。
「おう、仕事はうまくいったか?」
「はい。行く先々でいろんな人に良くしてもらって……。あっ、土産話がいっぱいあるんで、これから最終便ですぐ出動します!」
 うずうずしているようすが手に取るようにわかる。可愛いやつだ。健悟は鼻を鳴らした。
「おまえのマネージャーなら云わなくても大丈夫だろうけど、法定速度は守るんだぞ。スピード違反でお縄になったら、一大スキャンダルだ」
「わかってますって。あっ、マネージャーに代わります」
 マネージャーは健悟に柳川の到着予定時刻を伝え、それからこう云った。「明日の予定ですが、午後二時からジムの予約があるだけです。一時ごろにお迎えにあがりますので、宜しくお願いします」
「大事なイケメン俳優だ。俺がしっかり預かるから安心しろ」
「ありがとうございます」
 それからまた柳川に代わり、二言三言のやり取りのあと通話が了った。
「さてと、風呂掃除でもするか」
 健悟は風呂の残り湯を捨てて浴槽を洗い、鏡の水垢を落とし、洗い場のタイルを磨いた。それからシャワーで洗い流し、ワイパーで水気を拭いとり、換気扇を回した。あとは柳川がここに来る時間に合わせて、風呂の湯をセットするだけだ。
「つぎは……寝室だな」
 先ずベッドのシーツを真新しいものに替えた。つぎに枕の匂いをチェックし、ああダメだ、とカバーを替えた。消臭スプレーを部屋じゅうに撒き散らして空気清浄機をオンにする。古いシーツと枕カバーを洗面所の洗濯機に押しこみ、台所のシンクを片付け、リビングの消臭を了えて戻ってくるころには、寝室の匂いも気にならなくなっていた。
「一応……まあ、準備しておくか」
 健悟はサイドチェストの引き出しを開けた。そこには開封済みのコンドームの箱がひとつ入っていた。箱を開け、なかからひとつ取りあげて使用期限をチェックする。すでに切れていた。大急ぎで洗面所に駆けてゆき、洗面台の棚を開けた。ああ、まだあったか。業務用のコンドーム——馴染みの風俗店からもらったもの——だ。しかしそれも使用期限が切れていた。
 健悟は舌打ちした。「今から買いに行けってか?」
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