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第六章 親分はボディガード
ボディガードは命拾いをした
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小柳組長がSPに護られて隣りの警察署に向って歩いてゆく。健悟は中道署長と隊員たちと倶に、その後ろ姿に敬礼をした。
——相棒、何とか命拾いしたな。
——ああ、厄介なミッションと引き換えにな。
——おまえの首にGPS付けられずに済んだんだから安いもんだ。
警察署のなかに小柳組長が消えると、健悟は誰よりも真っ先に敬礼を解き、誰よりも深くため息を吐き、誰よりも早く消防署内に駆け込んだ。
三階に戻り、自前のカップにコーヒーを注ぎいれ、デスクに腰を下ろす。
それをひと口飲んで、ふうっ、とため息を吐いたとき、右ポケットのスマホが振動した。小雪からのLINEメッセージだ。
> 親分さん、シャツ預かりました。明日、退庁時にお渡しします。
小柳組長との件についてひと言も触れていないのはありがたかった。スマホから待機室内へと目線を移すと、いつの間に戻ってきたのか、若い隊員たちが隅っこに集まって、ヒソヒソ話をしている。誰か親分に話を聞いてこい、と云いあってるのは火を見るより明らかだ。
健悟は小雪に簡単なレスを送ろうと、もう一度スマホに目を向けた。文字をポチポチと打つ。予測変換にイライラする。親指が大きいせいでミスタッチも起こる。音声入力なら手っ取り早いが、周囲に聞かれてはマズい。結局、目についた適当なスタンプに「さんきゅう」とメッセージを添えて送信した。
そういえば、柳川は何をしているのだろう。反対側のポケットからひとつのスマホを取りだし、LINEをチェックする。レスも追加報告もまだない。
「うげっ……」
健悟は思わず眉をひそめた。柳川の代わりにあのトレーナーから友だち申請が来ている。個室でのプライベート・トレーニングを熱心に勧めていたのを思い出して、健悟は身震いした。
——相棒、こいつはスルーするに限るよ、な?
——味方につけておくのもひとつの手だ。柳川のこともあるだろ。
——ロッカールームでのこと忘れたのか?
——単に筋肉マニアなだけなのかもしれねえぞ。
——ようす見だな。
健悟は見なかったことにしてアプリを閉じた。コーヒーを飲み干して小雪のスマホに戻り、資料室で教えられた萬屋のSNSをチェックする。
『ってゆうか機内とか乾燥するから
わたしみたいなレディな乙女は保湿しなくっちゃだわ!
オリジナルのお紅茶シートマスクで
英国と沖縄をいっぺんに満喫!』
さっそくやらかしているらしい。泥水に浸したような茶色のシートマスクを顔に貼りつけてニンマリと微笑む顔写真が添えられている。いつも見ている本人よりもシュッとした細顔で、案の定、座席と背景が歪んでいた。
『ってゆうか国内線ってシート狭いし
機内食もないし飲み物はコーヒーとジュースだけ!
お紅茶は? お紅茶はないの?
鬼おこプンプン丸!
つぎからわぁヒースロー経由で沖縄に飛びます! 飛びます!
…………』
とにかく沖縄に向っていることはわかった。とりあえず柳川にこの状況を伝えておくのがいいだろう。不用意に北海道にいることをSNSに投稿したら、北海道に進路変更しろと騒ぎたてるかもしれない。
> 北海道にいることをSNSにアップするな
> 例のストーカーがおまえを追っている
健悟は柳川にメッセージを送り、マネージャーの携帯に連絡を入れた。三度目のコールでマネージャーが出た。
『はい、親分。何か御用でしょうか?』
「今大丈夫か? 緊急事態だ」
『今、ロケバスで移動中です。どうぞ』
「例のヤバい女が沖縄行きの飛行機に乗っている。リアルタイムでSNSの更新はするな。北海道にいるのがわかったら、沖縄から飛行機でそっちに飛ぶのは目に見えている」
『かしこまりました』
「丙午のSNSは識ってるか? リンクを今すぐ送ってやる」
『あっ、それはさっき——』
「——もうあるんだな?」
『あっ、その……』
『白洲のダンナからだな? それなら安心だ』
おそらく小雪が白州に伝えて、そこから事務所の顧問弁護士である白州のダンナに伝わったのだろう。健悟は、充分に注意するように伝えて通話を切った。
と同時に相棒がむくりと起きあがった。
——おい、健悟。塔子に連絡入れなくていいのか? 取材の件、口止めしておかないとマズいだろ。
健悟は急いで席を立ち、待機室を出た。トイレの個室に駆けこみ、塔子に通話を試みる。待つあいだに相棒に熱い血が流れこんだので、健悟はズボンと下着を一緒に脱いで解放してやった。
『あら、親分さん。お久しぶり』
「おう、塔子か? 連絡先の整理をしていたら、おめえさんの番号が残っててよ」
『美雪ちゃんに消すように云われたの?』
健悟は、小雪と塔子が繋がっていたのを思い出した。返事を出来ずにいると、塔子が続けて云った。
『わたしも「俺の女」で登録されていたのよねー。昔のことだけど』塔子は、ふふっ、と笑った。『今は美雪ちゃんがそうなんでしょ?』
「おめえさんには関係ない」
『そんなこと云っていいの? 「柳川健人くんが今日わたしのお店に来ました」ってネットで宣伝しちゃおうっかなあ?』塔子はすでに何か勘づいているような口ぶりで云った。
「おい、なんでそれを……」健悟は口ごもったが、すぐに、ああそうだ、と思い出して、「そんなことより昔さんざん可愛がってやっただろ」
『そのおかげでお店もオープン出来たわけだしね』
股間の相棒が、そうだろう、と云わんばかりにブルルンと嘶いた。健悟は、相棒を黙らせようと空いたほうの手でぎゅっと握った。ふぅ、と深呼吸をして落ち着かせる。
スマホの向うで塔子が明るく笑う声がした。
『実はね、美雪ちゃんから連絡が来たの。例のおばさんストーカーに困っているんでしょ? もちろん協力するから安心して。「ネットにあげようかな」ってのは、久しぶりに親分さんを揶揄ってみたかっただけ』
健悟は塔子に礼を云って通話を切ると、暴れたそうにしている相棒の相手をしてやり、手を念入りに洗ってから待機室に戻った。
カップにコーヒーを注ぎ、デスクに戻ってひと口啜った。
そこへ、
「親分……」
と声がして、水上が健悟に近づいてきた。歩き方はぎこちなく、顔も強張っている。
健悟は平然を装って応えた。「おう、なんだ?」
「組長とサシで風呂——」
「組長?」
「あ、いや。その……」
「さっきの件なら何もなかった。互いの武器を見せあっておしまいだ」
「はあ」水上は曖昧な表情を泛べた。「……親分が勝ったんスよ、ね?」
「まあな」健悟は胸の前で両腕を組んで脚を組み、背もたれいっぱいにのけ反った。「と云いたいところだが、持っているモノが異うから比べようがなかった。小柳の組長さんは拳銃で、この俺は——」
「——火炎放射器……」
健悟は笑い飛ばした。「おいおい、消防士が火炎放射器なんか持ってたらシャレになんねえだろ」
「それじゃあ、はしご……っスか?」水上は恐る恐る訊いた。
健悟は角度を上げながらぐんぐんと伸びるはしごを想像した。まあ、悪くはない。しかし火消しの親分としては物足りなくもある。
「はしご車も悪くはねえが……」健悟は背もたれから離れて前屈みになった。両手でホースを構える恰好を作り、そのまま股間へ持っていく。「俺は全身消防車だ。火消しの親分だからな」
水上が顔をひきつらせた。リアクションに困っているようだ。
健悟は豪快に笑った。「こういうときは、無条件に褒めときゃいいんだよ。覚えておけ」
「はっ、はい」
水上は短く返事をし、部屋の隅でようすを窺っている隊員たちをチラリと見て、
「さすが親分っス!」
と聞こえよがしに云った。
健悟は満足げに頷いた。そして他の隊員たちに向かって、
「おめえら集合だ」
と吼え、彼らが集まると、
「小柳組の組長さんから直々に仕事の依頼だ。今から詳細を話す。手分けして取りかかってくれ」
ともうひと吼えした。
——相棒、何とか命拾いしたな。
——ああ、厄介なミッションと引き換えにな。
——おまえの首にGPS付けられずに済んだんだから安いもんだ。
警察署のなかに小柳組長が消えると、健悟は誰よりも真っ先に敬礼を解き、誰よりも深くため息を吐き、誰よりも早く消防署内に駆け込んだ。
三階に戻り、自前のカップにコーヒーを注ぎいれ、デスクに腰を下ろす。
それをひと口飲んで、ふうっ、とため息を吐いたとき、右ポケットのスマホが振動した。小雪からのLINEメッセージだ。
> 親分さん、シャツ預かりました。明日、退庁時にお渡しします。
小柳組長との件についてひと言も触れていないのはありがたかった。スマホから待機室内へと目線を移すと、いつの間に戻ってきたのか、若い隊員たちが隅っこに集まって、ヒソヒソ話をしている。誰か親分に話を聞いてこい、と云いあってるのは火を見るより明らかだ。
健悟は小雪に簡単なレスを送ろうと、もう一度スマホに目を向けた。文字をポチポチと打つ。予測変換にイライラする。親指が大きいせいでミスタッチも起こる。音声入力なら手っ取り早いが、周囲に聞かれてはマズい。結局、目についた適当なスタンプに「さんきゅう」とメッセージを添えて送信した。
そういえば、柳川は何をしているのだろう。反対側のポケットからひとつのスマホを取りだし、LINEをチェックする。レスも追加報告もまだない。
「うげっ……」
健悟は思わず眉をひそめた。柳川の代わりにあのトレーナーから友だち申請が来ている。個室でのプライベート・トレーニングを熱心に勧めていたのを思い出して、健悟は身震いした。
——相棒、こいつはスルーするに限るよ、な?
——味方につけておくのもひとつの手だ。柳川のこともあるだろ。
——ロッカールームでのこと忘れたのか?
——単に筋肉マニアなだけなのかもしれねえぞ。
——ようす見だな。
健悟は見なかったことにしてアプリを閉じた。コーヒーを飲み干して小雪のスマホに戻り、資料室で教えられた萬屋のSNSをチェックする。
『ってゆうか機内とか乾燥するから
わたしみたいなレディな乙女は保湿しなくっちゃだわ!
オリジナルのお紅茶シートマスクで
英国と沖縄をいっぺんに満喫!』
さっそくやらかしているらしい。泥水に浸したような茶色のシートマスクを顔に貼りつけてニンマリと微笑む顔写真が添えられている。いつも見ている本人よりもシュッとした細顔で、案の定、座席と背景が歪んでいた。
『ってゆうか国内線ってシート狭いし
機内食もないし飲み物はコーヒーとジュースだけ!
お紅茶は? お紅茶はないの?
鬼おこプンプン丸!
つぎからわぁヒースロー経由で沖縄に飛びます! 飛びます!
…………』
とにかく沖縄に向っていることはわかった。とりあえず柳川にこの状況を伝えておくのがいいだろう。不用意に北海道にいることをSNSに投稿したら、北海道に進路変更しろと騒ぎたてるかもしれない。
> 北海道にいることをSNSにアップするな
> 例のストーカーがおまえを追っている
健悟は柳川にメッセージを送り、マネージャーの携帯に連絡を入れた。三度目のコールでマネージャーが出た。
『はい、親分。何か御用でしょうか?』
「今大丈夫か? 緊急事態だ」
『今、ロケバスで移動中です。どうぞ』
「例のヤバい女が沖縄行きの飛行機に乗っている。リアルタイムでSNSの更新はするな。北海道にいるのがわかったら、沖縄から飛行機でそっちに飛ぶのは目に見えている」
『かしこまりました』
「丙午のSNSは識ってるか? リンクを今すぐ送ってやる」
『あっ、それはさっき——』
「——もうあるんだな?」
『あっ、その……』
『白洲のダンナからだな? それなら安心だ』
おそらく小雪が白州に伝えて、そこから事務所の顧問弁護士である白州のダンナに伝わったのだろう。健悟は、充分に注意するように伝えて通話を切った。
と同時に相棒がむくりと起きあがった。
——おい、健悟。塔子に連絡入れなくていいのか? 取材の件、口止めしておかないとマズいだろ。
健悟は急いで席を立ち、待機室を出た。トイレの個室に駆けこみ、塔子に通話を試みる。待つあいだに相棒に熱い血が流れこんだので、健悟はズボンと下着を一緒に脱いで解放してやった。
『あら、親分さん。お久しぶり』
「おう、塔子か? 連絡先の整理をしていたら、おめえさんの番号が残っててよ」
『美雪ちゃんに消すように云われたの?』
健悟は、小雪と塔子が繋がっていたのを思い出した。返事を出来ずにいると、塔子が続けて云った。
『わたしも「俺の女」で登録されていたのよねー。昔のことだけど』塔子は、ふふっ、と笑った。『今は美雪ちゃんがそうなんでしょ?』
「おめえさんには関係ない」
『そんなこと云っていいの? 「柳川健人くんが今日わたしのお店に来ました」ってネットで宣伝しちゃおうっかなあ?』塔子はすでに何か勘づいているような口ぶりで云った。
「おい、なんでそれを……」健悟は口ごもったが、すぐに、ああそうだ、と思い出して、「そんなことより昔さんざん可愛がってやっただろ」
『そのおかげでお店もオープン出来たわけだしね』
股間の相棒が、そうだろう、と云わんばかりにブルルンと嘶いた。健悟は、相棒を黙らせようと空いたほうの手でぎゅっと握った。ふぅ、と深呼吸をして落ち着かせる。
スマホの向うで塔子が明るく笑う声がした。
『実はね、美雪ちゃんから連絡が来たの。例のおばさんストーカーに困っているんでしょ? もちろん協力するから安心して。「ネットにあげようかな」ってのは、久しぶりに親分さんを揶揄ってみたかっただけ』
健悟は塔子に礼を云って通話を切ると、暴れたそうにしている相棒の相手をしてやり、手を念入りに洗ってから待機室に戻った。
カップにコーヒーを注ぎ、デスクに戻ってひと口啜った。
そこへ、
「親分……」
と声がして、水上が健悟に近づいてきた。歩き方はぎこちなく、顔も強張っている。
健悟は平然を装って応えた。「おう、なんだ?」
「組長とサシで風呂——」
「組長?」
「あ、いや。その……」
「さっきの件なら何もなかった。互いの武器を見せあっておしまいだ」
「はあ」水上は曖昧な表情を泛べた。「……親分が勝ったんスよ、ね?」
「まあな」健悟は胸の前で両腕を組んで脚を組み、背もたれいっぱいにのけ反った。「と云いたいところだが、持っているモノが異うから比べようがなかった。小柳の組長さんは拳銃で、この俺は——」
「——火炎放射器……」
健悟は笑い飛ばした。「おいおい、消防士が火炎放射器なんか持ってたらシャレになんねえだろ」
「それじゃあ、はしご……っスか?」水上は恐る恐る訊いた。
健悟は角度を上げながらぐんぐんと伸びるはしごを想像した。まあ、悪くはない。しかし火消しの親分としては物足りなくもある。
「はしご車も悪くはねえが……」健悟は背もたれから離れて前屈みになった。両手でホースを構える恰好を作り、そのまま股間へ持っていく。「俺は全身消防車だ。火消しの親分だからな」
水上が顔をひきつらせた。リアクションに困っているようだ。
健悟は豪快に笑った。「こういうときは、無条件に褒めときゃいいんだよ。覚えておけ」
「はっ、はい」
水上は短く返事をし、部屋の隅でようすを窺っている隊員たちをチラリと見て、
「さすが親分っス!」
と聞こえよがしに云った。
健悟は満足げに頷いた。そして他の隊員たちに向かって、
「おめえら集合だ」
と吼え、彼らが集まると、
「小柳組の組長さんから直々に仕事の依頼だ。今から詳細を話す。手分けして取りかかってくれ」
ともうひと吼えした。
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