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第六章 親分はボディガード
ボタンの取れたシャツ、すぐキレる蛍光灯
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「丙午がいないと、こうも静かなんすね」食堂で、もう何杯目かのコーヒーを啜りながら、救急隊員の河合がしみじみと云った。「いつもなら、うどんにラップかけて出動して、戻ってきて温めなおして——」
「まったくだ」
健悟はコーヒーをぐいっと飲み干して、周囲を見渡した。
今日に限って消防も救急も出動要請が一度もない。隊員たちも食堂に残って、和やかに談笑している。もちろん常に緊張感を持たなければならないが、たまにはこんな日があってもいいだろう。
「ところで親分——」河合は一度言葉を切り、真剣な顔になった。「まあ、親分に限ってそんなことはないと思うんすけど……」
「何だよ、勿体ぶりやがって」健悟は睨みかえした。「焔のなかに突っ込んで水ぶっ放したくてウズウズしてるってか? 出動要請がないことはいいことだ。おまえもそうだろ?」
「そうじゃなくて……」河合が顔を近づけた。内緒話をするときのように口許を手で覆う。「……まさか小雪ちゃんに突っ込んでぶっ放したんじゃないっすよね?」
遠慮のないド直球の質問に健悟は狼狽えた。「真っ昼間っから何云ってんだ、この女たらし」
「俺の思い過ごしならいいんすけど、マジで手ぇ出さないでくださいよ。小雪ちゃんは若い隊員たちのアイドルなんで」
「士気が下がるって云いたいんだろ?」
「それより恨み買いますよ。あいつらだって、親分に敵わないのはわかってる。だけど小雪ちゃんを奪っていくのはないだろうって」
河合とは彼の結婚直前まで散々一緒に女遊びをした仲だ。そしていちばんの舎弟でもある。だからこそ何か勘づいているようだった。
「なあ、河合。俺が小雪を狙っているように見えるか?」
健悟は声をひそめ、カマをかけた。
河合はしばらく考えて、
「親分にその気がなくても、小雪ちゃんはそうじゃないように見えるんすよね。いつも親分の背中にくっ付いてるし。俺の思い過ごしならいいんすけど」
「おまえの思い過ごしだ」話を切りあげたくて、健悟は席を立った。「河合、そろそろ出るぞ」
壁の時計を見遣って河合が云った。「まだ休憩時間、残ってるっすよ?」
健悟は若い隊員たちをチラッと見て、
「俺たちがここにいたら、あいつら伸び伸びできねえだろ?」
河合は苦笑いをしながら渋々と席を立った。「あーあ。欠席裁判であいつらに、ああだのこうだの云われるんだろうなあ」
筋トレをすると云って五階に上がった河合と別れ、ひとり待機室に戻ると、健悟はデスクに腰を下ろす間ももどかしく、右ポケットに手を突っ込んでスマホを取りだした。椅子に腰を下ろし、さっそくLINEをチェック。小雪からメッセージが届いていた。
> 親分さん、朝はごめんなさい。
> シャツのボタン付けするので、どこかで受け取れますか?
> 持って帰って、明日、親分さんが退庁するときにお渡しします。
健悟はスマホをデスクに置いて両肘をつき、両手を組んでその上に顎を乗せた。今はまだ平穏だが、いつ何時、出動要請があるかわからない。渡すのであれば今しかない。
しかし水上だけでなく、河合も小雪との仲を疑っているようだった。今のところ何かあるとすれば相手は柳川だが、小雪との仲を匂わせておけば、柳川との仲を勘ぐられることはないだろう。
——おい、健悟。マジで柳川とやっちまうのか?
——あそこまでやったんだ。それにあんだけ懐かれちゃ情が湧くってもんだ。
——北海道から帰ってきたら……だな?
——ああ、そのつもりだ。おまえだって、柳川の口だけで満足できるのか?
——それはおまえ次第だな、健悟……。
健悟はスマホの画面をもう一度見た。小雪がレスを待っている。
堂々と四階に上がって直接渡すべきか……。いや、小雪の島のすぐ近くに署長室がある。中道署長に見つかったらそのまま引っ捕らえられて、見合い話と出世の話が待っている。
健悟は迷った挙句、
> 資料室の蛍光灯はキレてないか?
とレスを送り、更衣室へ行ってロッカーからシャツを取りだし、四階まで非常階段を使って登った。
非常口の扉を開いて左右を確認しようとしたとき、自動ドアのように扉が開いた。
「あっ、親分さん」白洲だった。
「驚かすなよ」健悟はシャツを背中に隠した。見ると白洲はさっきの証拠品を手に下げている。「ああ、ダンナが来たのか」
「ええ、これからちょっと下まで」白洲はこう応えてため息を吐いた。「違法グッズだなんて、ほんと何を考えているんだか……」
「まったくだ」健悟は頷いた。「ところで中身は……」
あのスコーンを小雪が見たら大変なことになる。
白洲は首を横に振った。「証拠品ですから一切手を触れていません。小雪ちゃんが中身を気にしていましたけれど、私が止めました」
「そりゃ良かった」
「そのようすだと親分さん……」白洲が声をひそめた。「中身をご存知なんですね?」
健悟はドキリとした。女の勘はナイフより鋭い。話を切りあげたほうが良さそうだ。
「いや、違法グッズだとだけ」健悟は辛うじてこう応え、白洲のために道を譲った。「ああ、引き留めて悪かった。急ぐんだろう?」
白洲は、失礼します、と云って数段降りると、何かを思い出したように立止まり、ふり返って微笑んだ。「そういえば小雪ちゃん、『資料室の蛍光灯、キレてないかな?』なんて云ってましたよ。このあいだ親分さんに交換してもらったばかりなのにね。親分さん、ひょっとして点検しに来たんですか? 案外、小雪ちゃんと以心伝心だったりして」
「まったくだ」
健悟はコーヒーをぐいっと飲み干して、周囲を見渡した。
今日に限って消防も救急も出動要請が一度もない。隊員たちも食堂に残って、和やかに談笑している。もちろん常に緊張感を持たなければならないが、たまにはこんな日があってもいいだろう。
「ところで親分——」河合は一度言葉を切り、真剣な顔になった。「まあ、親分に限ってそんなことはないと思うんすけど……」
「何だよ、勿体ぶりやがって」健悟は睨みかえした。「焔のなかに突っ込んで水ぶっ放したくてウズウズしてるってか? 出動要請がないことはいいことだ。おまえもそうだろ?」
「そうじゃなくて……」河合が顔を近づけた。内緒話をするときのように口許を手で覆う。「……まさか小雪ちゃんに突っ込んでぶっ放したんじゃないっすよね?」
遠慮のないド直球の質問に健悟は狼狽えた。「真っ昼間っから何云ってんだ、この女たらし」
「俺の思い過ごしならいいんすけど、マジで手ぇ出さないでくださいよ。小雪ちゃんは若い隊員たちのアイドルなんで」
「士気が下がるって云いたいんだろ?」
「それより恨み買いますよ。あいつらだって、親分に敵わないのはわかってる。だけど小雪ちゃんを奪っていくのはないだろうって」
河合とは彼の結婚直前まで散々一緒に女遊びをした仲だ。そしていちばんの舎弟でもある。だからこそ何か勘づいているようだった。
「なあ、河合。俺が小雪を狙っているように見えるか?」
健悟は声をひそめ、カマをかけた。
河合はしばらく考えて、
「親分にその気がなくても、小雪ちゃんはそうじゃないように見えるんすよね。いつも親分の背中にくっ付いてるし。俺の思い過ごしならいいんすけど」
「おまえの思い過ごしだ」話を切りあげたくて、健悟は席を立った。「河合、そろそろ出るぞ」
壁の時計を見遣って河合が云った。「まだ休憩時間、残ってるっすよ?」
健悟は若い隊員たちをチラッと見て、
「俺たちがここにいたら、あいつら伸び伸びできねえだろ?」
河合は苦笑いをしながら渋々と席を立った。「あーあ。欠席裁判であいつらに、ああだのこうだの云われるんだろうなあ」
筋トレをすると云って五階に上がった河合と別れ、ひとり待機室に戻ると、健悟はデスクに腰を下ろす間ももどかしく、右ポケットに手を突っ込んでスマホを取りだした。椅子に腰を下ろし、さっそくLINEをチェック。小雪からメッセージが届いていた。
> 親分さん、朝はごめんなさい。
> シャツのボタン付けするので、どこかで受け取れますか?
> 持って帰って、明日、親分さんが退庁するときにお渡しします。
健悟はスマホをデスクに置いて両肘をつき、両手を組んでその上に顎を乗せた。今はまだ平穏だが、いつ何時、出動要請があるかわからない。渡すのであれば今しかない。
しかし水上だけでなく、河合も小雪との仲を疑っているようだった。今のところ何かあるとすれば相手は柳川だが、小雪との仲を匂わせておけば、柳川との仲を勘ぐられることはないだろう。
——おい、健悟。マジで柳川とやっちまうのか?
——あそこまでやったんだ。それにあんだけ懐かれちゃ情が湧くってもんだ。
——北海道から帰ってきたら……だな?
——ああ、そのつもりだ。おまえだって、柳川の口だけで満足できるのか?
——それはおまえ次第だな、健悟……。
健悟はスマホの画面をもう一度見た。小雪がレスを待っている。
堂々と四階に上がって直接渡すべきか……。いや、小雪の島のすぐ近くに署長室がある。中道署長に見つかったらそのまま引っ捕らえられて、見合い話と出世の話が待っている。
健悟は迷った挙句、
> 資料室の蛍光灯はキレてないか?
とレスを送り、更衣室へ行ってロッカーからシャツを取りだし、四階まで非常階段を使って登った。
非常口の扉を開いて左右を確認しようとしたとき、自動ドアのように扉が開いた。
「あっ、親分さん」白洲だった。
「驚かすなよ」健悟はシャツを背中に隠した。見ると白洲はさっきの証拠品を手に下げている。「ああ、ダンナが来たのか」
「ええ、これからちょっと下まで」白洲はこう応えてため息を吐いた。「違法グッズだなんて、ほんと何を考えているんだか……」
「まったくだ」健悟は頷いた。「ところで中身は……」
あのスコーンを小雪が見たら大変なことになる。
白洲は首を横に振った。「証拠品ですから一切手を触れていません。小雪ちゃんが中身を気にしていましたけれど、私が止めました」
「そりゃ良かった」
「そのようすだと親分さん……」白洲が声をひそめた。「中身をご存知なんですね?」
健悟はドキリとした。女の勘はナイフより鋭い。話を切りあげたほうが良さそうだ。
「いや、違法グッズだとだけ」健悟は辛うじてこう応え、白洲のために道を譲った。「ああ、引き留めて悪かった。急ぐんだろう?」
白洲は、失礼します、と云って数段降りると、何かを思い出したように立止まり、ふり返って微笑んだ。「そういえば小雪ちゃん、『資料室の蛍光灯、キレてないかな?』なんて云ってましたよ。このあいだ親分さんに交換してもらったばかりなのにね。親分さん、ひょっとして点検しに来たんですか? 案外、小雪ちゃんと以心伝心だったりして」
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