20 / 87
第三章 親分の長い非番日 ※【地雷:男女恋愛】
親分、小雪の素描(デッサン)モデルになる(上編)
しおりを挟む
「今からおまえは、くノ一小雪だ」
小雪が頷くと、健悟は顔をほころばせた。
「もう帰っても好いんじゃないか? あの待機宿舎には柳川はいないんだし、俺の当番日にしか来ないんだから此処で待ってても成果はないぞ」いたわるように云った。
小雪がかぶりをふった。
「正午に萬屋さんに電話することになっているんです。ビデオ通話で待機宿舎の映像を送って――」
「実況中継か」
「はい」
ふたりは同時にため息を吐き、それから同時にコーヒーを口にした。しばらく沈黙が流れた。
「あっ、そうだ。親分さん。ひとつお願いが……」
小雪が口を開いた。小雪のおねだりなら大歓迎だ。
「素描のモデルになってもらえませんか?」
小雪は壁側においていたバッグから、いそいそとスケッチブックとペンケースを取り出した。
モデル? この俺が? それは面白い。どうせならベッドルームでヌードを描いてもらいたいが、小雪を独占できるのなら此処でモデルになるのも悪くはない。正午まで一緒にいる口実にもなる。
健悟は目線で承諾して、それから小雪に訊いた。「そう云えば、おまえ、美大卒だったな」低くささやく。なるべくセクシーに響くように。「でもなんで消防職員に?」
「父が公務員なんですけれど、大学は好きなところに行かせてやるから就職は公務員にしろって」
「親父さん、厳しかったのか?」
「高校まで門限は六時半だったんです」小雪はスケッチブックをめくって、まっさらなページを開いた。洗いたてのベッドシーツのような真っ白ないろをしていた。「美大のときにやっと八時に延長されて……」
小雪は、手をとめて、ため息を吐いた。
「大事に育てられたってわけだ」健悟は云った。
「そうですね。今思えば父の気持ちもわかります」
小雪のような娘を持った父親なら、厳しくなるのもわかる気がする。変な虫がウヨウヨ寄ってくるのは火を見るより明らかだ。
「消防職員の試験を受けたのは、父の影響です。『国家公務員より地方公務員のほうが好いぞ』って」
「ほう。なるほど」
小雪は、ペンケースのペンシルを一本一本取りだしては吟味しはじめた。ペンシルを選ぶ顔つきは真剣そのもので、小雪は健悟の目交に芸術家の卵の姿を現した。健悟は、小雪の新たな一面に、ただ見惚れるだけだった。
「これかな」小雪は数本あるペンシルのなかから一本取りだした。
「どれも同じに見えるけど、違うのか?」
「太さとか濃さとか、いろいろあるんです。親分さん用は、やっぱりこれ」
見たところ、ほかのペンシルよりも短くて、使いこんでいるようだった。
「これ、眉ペンシルにもなるんですよ。わたしも眉のメイクはこれで。百円ちょっとなんで気兼ねなく使えるんです」小雪は、お気に入りの玩具を自慢する幼子のように、声を弾ませた。
「化粧品も高けりゃ好いってもんじゃないんだな」健悟は、しみじみと云った。「男にはわからない世界だ」
「最近は男性もメイクするんですよ」小雪は、ふふっ、と笑い、そして遠慮がちに云った。「親分さん、眉だけでも試してみませんか?」
据え膳喰わぬは男の恥だ。「おう。じゃあ頼む。男っぷりをあげてくれ」健悟は、唇を奪おうとするかのように頸を傾げ、顔をぬっと押しだして、目を閉じた。
さあ、小雪。どうする? 誘ったのは、おまえだぞ。
ややあって、右の頬から顎にかけて、小雪の手が添えられた。柔らかくて温かい。無精ひげがこすられているのは、小雪の手がふるえているからだろう。
「こそばゆくても動かないでくださいね。眉頭にちょっと描き足すだけですから」
左の眉頭にペンシルの先がそっとおかれた。心地よい圧が加えられながら、すっすっと線が一本一本疾るのが感じられる。ここで目を開けたら、小雪のやつ、どんな顔をするだろう。いや、驚かせてはいけない。このまま凝っとしていて、危険な男じゃないってことをわかってもらうのが正解だ。唇を奪うのは別の機会にとっておこう。
「ちょっとぼかしますね」
小雪の指の腹が眉頭に乗せられた。さらさらと優しくこすられる。疲れているせいか、マッサージを受けているようだ。いや、これは愛撫だ。
――健悟、脚を閉じろ。これ以上はマズい。
そのとき相棒が訴えかけてきた。かなり焦っている。
――あん? 生理現象だ。気にすんな。
――小雪が俺に気づいたらどうする。
――そんときは、そんときだ。
相棒は、我慢しつづけようとした。しかし無駄な抵抗だった。
小雪は、描いてはこすり描いてはこすりを、くり返した。
「はい。じゃあ反対側も」
小雪の手がはなれた。健悟は、坐りなおそうとして巨軀をゆらし、こんどは小雪のなかに深く潜りこむように、ぐっと顔を突きだした。
「親分さん、凝っとしていてくださいってば」小雪が戸惑い混じりの声で、そっと窘めた。
「おう。わかった」息の混じった、かすれ声で応え、巨軀をゆっくり引きぬいた。
「はい。この位置」小雪の両手が健悟の頬を挟み、傾げた頸を真っ直ぐに固定した。
そのまま凝っとしていると、眉頭のうえにペンシルの先がおかれた。引っ掻く。撫でる。引っ掻く。撫でる。裸かの背中に爪を立てる小雪の姿が泛んでは消える……。
「なあ、小雪。その鉛筆で、俺の背中に龍とか観音様なんかも描けるのか?」
健悟は、ふざけて訊いた。
小雪の手がとまった。
健悟は小雪の反応をしばらく楽しんでから、
「でも背中じゃ、俺から見えないか。ピカソみたいなの描かれても困るしな」
「ピカソだって、写実的な画を描いているんですよ」小雪は、さらに数度ペンシルを疾らせ、指の腹でこすった。「はい。できました」
目を開けると、小雪が作品の出来に満足しているような顔をしていた。
小雪が頷くと、健悟は顔をほころばせた。
「もう帰っても好いんじゃないか? あの待機宿舎には柳川はいないんだし、俺の当番日にしか来ないんだから此処で待ってても成果はないぞ」いたわるように云った。
小雪がかぶりをふった。
「正午に萬屋さんに電話することになっているんです。ビデオ通話で待機宿舎の映像を送って――」
「実況中継か」
「はい」
ふたりは同時にため息を吐き、それから同時にコーヒーを口にした。しばらく沈黙が流れた。
「あっ、そうだ。親分さん。ひとつお願いが……」
小雪が口を開いた。小雪のおねだりなら大歓迎だ。
「素描のモデルになってもらえませんか?」
小雪は壁側においていたバッグから、いそいそとスケッチブックとペンケースを取り出した。
モデル? この俺が? それは面白い。どうせならベッドルームでヌードを描いてもらいたいが、小雪を独占できるのなら此処でモデルになるのも悪くはない。正午まで一緒にいる口実にもなる。
健悟は目線で承諾して、それから小雪に訊いた。「そう云えば、おまえ、美大卒だったな」低くささやく。なるべくセクシーに響くように。「でもなんで消防職員に?」
「父が公務員なんですけれど、大学は好きなところに行かせてやるから就職は公務員にしろって」
「親父さん、厳しかったのか?」
「高校まで門限は六時半だったんです」小雪はスケッチブックをめくって、まっさらなページを開いた。洗いたてのベッドシーツのような真っ白ないろをしていた。「美大のときにやっと八時に延長されて……」
小雪は、手をとめて、ため息を吐いた。
「大事に育てられたってわけだ」健悟は云った。
「そうですね。今思えば父の気持ちもわかります」
小雪のような娘を持った父親なら、厳しくなるのもわかる気がする。変な虫がウヨウヨ寄ってくるのは火を見るより明らかだ。
「消防職員の試験を受けたのは、父の影響です。『国家公務員より地方公務員のほうが好いぞ』って」
「ほう。なるほど」
小雪は、ペンケースのペンシルを一本一本取りだしては吟味しはじめた。ペンシルを選ぶ顔つきは真剣そのもので、小雪は健悟の目交に芸術家の卵の姿を現した。健悟は、小雪の新たな一面に、ただ見惚れるだけだった。
「これかな」小雪は数本あるペンシルのなかから一本取りだした。
「どれも同じに見えるけど、違うのか?」
「太さとか濃さとか、いろいろあるんです。親分さん用は、やっぱりこれ」
見たところ、ほかのペンシルよりも短くて、使いこんでいるようだった。
「これ、眉ペンシルにもなるんですよ。わたしも眉のメイクはこれで。百円ちょっとなんで気兼ねなく使えるんです」小雪は、お気に入りの玩具を自慢する幼子のように、声を弾ませた。
「化粧品も高けりゃ好いってもんじゃないんだな」健悟は、しみじみと云った。「男にはわからない世界だ」
「最近は男性もメイクするんですよ」小雪は、ふふっ、と笑い、そして遠慮がちに云った。「親分さん、眉だけでも試してみませんか?」
据え膳喰わぬは男の恥だ。「おう。じゃあ頼む。男っぷりをあげてくれ」健悟は、唇を奪おうとするかのように頸を傾げ、顔をぬっと押しだして、目を閉じた。
さあ、小雪。どうする? 誘ったのは、おまえだぞ。
ややあって、右の頬から顎にかけて、小雪の手が添えられた。柔らかくて温かい。無精ひげがこすられているのは、小雪の手がふるえているからだろう。
「こそばゆくても動かないでくださいね。眉頭にちょっと描き足すだけですから」
左の眉頭にペンシルの先がそっとおかれた。心地よい圧が加えられながら、すっすっと線が一本一本疾るのが感じられる。ここで目を開けたら、小雪のやつ、どんな顔をするだろう。いや、驚かせてはいけない。このまま凝っとしていて、危険な男じゃないってことをわかってもらうのが正解だ。唇を奪うのは別の機会にとっておこう。
「ちょっとぼかしますね」
小雪の指の腹が眉頭に乗せられた。さらさらと優しくこすられる。疲れているせいか、マッサージを受けているようだ。いや、これは愛撫だ。
――健悟、脚を閉じろ。これ以上はマズい。
そのとき相棒が訴えかけてきた。かなり焦っている。
――あん? 生理現象だ。気にすんな。
――小雪が俺に気づいたらどうする。
――そんときは、そんときだ。
相棒は、我慢しつづけようとした。しかし無駄な抵抗だった。
小雪は、描いてはこすり描いてはこすりを、くり返した。
「はい。じゃあ反対側も」
小雪の手がはなれた。健悟は、坐りなおそうとして巨軀をゆらし、こんどは小雪のなかに深く潜りこむように、ぐっと顔を突きだした。
「親分さん、凝っとしていてくださいってば」小雪が戸惑い混じりの声で、そっと窘めた。
「おう。わかった」息の混じった、かすれ声で応え、巨軀をゆっくり引きぬいた。
「はい。この位置」小雪の両手が健悟の頬を挟み、傾げた頸を真っ直ぐに固定した。
そのまま凝っとしていると、眉頭のうえにペンシルの先がおかれた。引っ掻く。撫でる。引っ掻く。撫でる。裸かの背中に爪を立てる小雪の姿が泛んでは消える……。
「なあ、小雪。その鉛筆で、俺の背中に龍とか観音様なんかも描けるのか?」
健悟は、ふざけて訊いた。
小雪の手がとまった。
健悟は小雪の反応をしばらく楽しんでから、
「でも背中じゃ、俺から見えないか。ピカソみたいなの描かれても困るしな」
「ピカソだって、写実的な画を描いているんですよ」小雪は、さらに数度ペンシルを疾らせ、指の腹でこすった。「はい。できました」
目を開けると、小雪が作品の出来に満足しているような顔をしていた。
0
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる