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第二章 儀式(セレモニー)
儀式(セレモニー):お楽しみは最後まで
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「それじゃあ先ずは髪を洗ってもらおうか。全身いけるんだろ?」
「はい。頭のてっぺんから足の先まで、これ一本で洗えます」
柳川は、洗面器をいったん脇によけ、シャワーの温度調節をはじめた。
「デビュー作が見習い美容師だったよな。今はカリスマ美容師か?」
「えっ」
「おまえの演じた人物が、だ。デビューしてからずっと見習い美容師ってことはねえだろ。そろそろカリスマ美容師になったのかって訊いてんだ」
一瞬、柳川の手がとまった。何か考えこむような表情を泛べる。
「カットを担当させてもらえる時期ですね。カリスマはずっと先です」
健悟は柳川の態度に引っかかるものを感じた。
「おまえ、ひとつ訊くぞ。ドラマが了わったら、『はい、サヨナラ』か? そのあとも、おまえが演じたやつはどっかで生きて暮らしてんじゃねえのか?」
柳川は応えなかった。シャワーの流れる音と健悟の声だけが浴室内にある。健悟はシャワーのコックをひねって湯をとめた。そして柳川のほうを向きなおり、顔を見据えた。
説教するように云う。
「つまりな。此処に三か月いて、映画に出たらそれっきりって、あんまりだろ。俺たちの身にもなってみろ」
柳川は真剣な顔をして聞いている。健悟は続けた。
「俳優がおまえの仕事なのは理解するが、此処にいるあいだは此処に骨をうずめる覚悟でいろ。それから此処での出来事をずっと忘れるな」
柳川が突然、立上った。深々と頭を下げて、
「ありがとうございます!」
どうやら柳川にとって、ありがたい言葉のようだったらしい。多少ヒートアップしたとはいえ、これじゃあ俺が熱血教師みたいじゃねえか。これでは儀式のメインイベントから遠ざかってゆく。健悟は軌道修正するための科白を考えた。
「その礼はおまえが此処を出ていくときまで預かっておく」健悟はニヤリと笑った。「人に礼を云うときは、帽子は脱ぐもんだぜ」
さて、シャンプーだ。健悟はとっさに名案を思いついた。
「美容室では仰向けだったよな。こんな感じか?」
と云いながら、風呂椅子をばらして床に臀をついた。床に両手をついて背中を倒し、頭をうしろに垂らす。両脚は膝を立てたままだ。
「ちょっと待っていてください。ハンドタオルとってきます」
こう云って脱衣室に出ていった柳川が戻ってきたとき、健悟は、床に両肘をついて待っていた。背中はさらに倒されている。しかも両脚を無造作に投げ出しているので、毛深い腹にぴったりと貼りついた相棒が丸見えになっている。
柳川は、一瞬、驚いたようすであったが、さっと片膝立ちになって左の腿を差しだして、
「頭はここに乗せてください。高さは大丈夫ですか?」
と云って、健悟の目許を手早くハンドタオルで覆った。
とっさに泛んだ悪戯だったが、これほどうまくいくとは……。柳川は、今、浴室の戸口に背を向けて片膝立ちになっている、カランもシャワーも頭とは反対の位置にあるので、手が届かない。手を伸ばそうとするには一時的に右膝と入れかえなければならないが、肩や腕に自分の相棒が触れないようにしなければならないし、手を伸ばせば健悟の相棒を目にすることになる。健悟自身は、知らぬ顔で客になって寝転がっていれば好い。さて、どうする。健悟はおかしくてたまらなかった。
「それじゃあ、お流しします」
元気よく柳川が云った。しかし一向にそのお流しがはじまるようすがない。
「左膝だからじゃないのか? 右膝にかえたら手も届くだろ」健悟は心配するように云った。「それに脱衣室に背を向けてるじゃないか。誰か覗きに来るかも知れないぞ」
目隠しの状態でも柳川がうろたえているようすが手に取るようにわかる。頭を乗せた膝が震えている。
「心配するな。河合が見張りで外に立っている。儀式が了わるまで誰もここには来ない」
健悟は、まず種明かしをひとつした。ふぅ、と柳川の安堵の息が聞こえる。柳川が、失礼します、と云って慎重に膝を入れかえる。そのとき、健悟の左肩を柳川の陰毛がこすった。柳川はさりげなく離れた。
さて小ネタをはさんでやるとするか。
「やりにくそうだな。もっとくっつけ。それから俺の肩に乗せたらどうだ? ブラブラしてたらおまえも集中できねえだろ」
柳川は素直に従った。
相棒がまた現れる。
――つぎからつぎへとよく思いつくな。
――一難去ってまた一難ってやつだ。ただし一難ですませるつもりはない。
――小雪のこととは切り離すんだぞ。これは新入りの覚悟を試す儀式なんだからな。
――それは柳川の出方次第だろ。おまえは俺なんだから俺に従え。
そこへ足許でシャワーの流れる音がした。
頭に湯がかけられ、髪の毛が指先で濯がれた。ついでシャンプーが垂らされ、洗髪がはじまる。強くもなく弱くもなく心地いい力加減だ。健悟は腹に力を入れながらも柳川の洗髪を楽しんでいる。
「お痒いところはございませんか?」柳川が訊いた。
「ぜんぶ」健悟は揶揄うように云った。「こういう客、いるだろ?」
「ドラマにも出てきました」
「今の俺みたいなやつか?」
「いえ、女性のお客さんです。お年を召した方で、独身で、お気に入りの雑誌がおいていないと云って店内で大騒ぎするクレーマーでした」
健悟の頭に萬屋の顔が泛んだ。その瞬間、相棒が力尽きた。しかし健悟は相棒をふたたび叩き起こそうとはしなかった。洗髪で巨軀が揺れるたびに相棒が揺れ動くところを柳川に見せつけて、性的な雰囲気を作り続ける。
健悟は平静を装って質問を続けた。
「なんで俺たちに短髪が多いか知っているか?」
「汗をかくからでしょうか? 火と戦うわけですし」
指で髪の毛を梳くように洗いながら柳川が応えた。
「ほかにもあるぞ。いちばん重要なことだ」
「何ですか?」柳川の手がとまる。
「それを自分で考えるのも役作りのひとつだろ。あとで教えてやるから、それまで考えてろ」
「わかりました」柳川ふたたび洗い始めた。
「お楽しみは最後までとっておくものだぞ」
健悟はこう云って、柳川の洗髪に意識を集中させた。柳川は程よい力加減で頭皮をマッサージしながら叮嚀に洗っている。短髪だから手を抜くようなことはしないようだ。その態度は認めてやっても好いだろう。もちろん、こちらも儀式の手を抜くようなことはしない。それこそが最後までとっておく「お楽しみ」だ。
「はい。頭のてっぺんから足の先まで、これ一本で洗えます」
柳川は、洗面器をいったん脇によけ、シャワーの温度調節をはじめた。
「デビュー作が見習い美容師だったよな。今はカリスマ美容師か?」
「えっ」
「おまえの演じた人物が、だ。デビューしてからずっと見習い美容師ってことはねえだろ。そろそろカリスマ美容師になったのかって訊いてんだ」
一瞬、柳川の手がとまった。何か考えこむような表情を泛べる。
「カットを担当させてもらえる時期ですね。カリスマはずっと先です」
健悟は柳川の態度に引っかかるものを感じた。
「おまえ、ひとつ訊くぞ。ドラマが了わったら、『はい、サヨナラ』か? そのあとも、おまえが演じたやつはどっかで生きて暮らしてんじゃねえのか?」
柳川は応えなかった。シャワーの流れる音と健悟の声だけが浴室内にある。健悟はシャワーのコックをひねって湯をとめた。そして柳川のほうを向きなおり、顔を見据えた。
説教するように云う。
「つまりな。此処に三か月いて、映画に出たらそれっきりって、あんまりだろ。俺たちの身にもなってみろ」
柳川は真剣な顔をして聞いている。健悟は続けた。
「俳優がおまえの仕事なのは理解するが、此処にいるあいだは此処に骨をうずめる覚悟でいろ。それから此処での出来事をずっと忘れるな」
柳川が突然、立上った。深々と頭を下げて、
「ありがとうございます!」
どうやら柳川にとって、ありがたい言葉のようだったらしい。多少ヒートアップしたとはいえ、これじゃあ俺が熱血教師みたいじゃねえか。これでは儀式のメインイベントから遠ざかってゆく。健悟は軌道修正するための科白を考えた。
「その礼はおまえが此処を出ていくときまで預かっておく」健悟はニヤリと笑った。「人に礼を云うときは、帽子は脱ぐもんだぜ」
さて、シャンプーだ。健悟はとっさに名案を思いついた。
「美容室では仰向けだったよな。こんな感じか?」
と云いながら、風呂椅子をばらして床に臀をついた。床に両手をついて背中を倒し、頭をうしろに垂らす。両脚は膝を立てたままだ。
「ちょっと待っていてください。ハンドタオルとってきます」
こう云って脱衣室に出ていった柳川が戻ってきたとき、健悟は、床に両肘をついて待っていた。背中はさらに倒されている。しかも両脚を無造作に投げ出しているので、毛深い腹にぴったりと貼りついた相棒が丸見えになっている。
柳川は、一瞬、驚いたようすであったが、さっと片膝立ちになって左の腿を差しだして、
「頭はここに乗せてください。高さは大丈夫ですか?」
と云って、健悟の目許を手早くハンドタオルで覆った。
とっさに泛んだ悪戯だったが、これほどうまくいくとは……。柳川は、今、浴室の戸口に背を向けて片膝立ちになっている、カランもシャワーも頭とは反対の位置にあるので、手が届かない。手を伸ばそうとするには一時的に右膝と入れかえなければならないが、肩や腕に自分の相棒が触れないようにしなければならないし、手を伸ばせば健悟の相棒を目にすることになる。健悟自身は、知らぬ顔で客になって寝転がっていれば好い。さて、どうする。健悟はおかしくてたまらなかった。
「それじゃあ、お流しします」
元気よく柳川が云った。しかし一向にそのお流しがはじまるようすがない。
「左膝だからじゃないのか? 右膝にかえたら手も届くだろ」健悟は心配するように云った。「それに脱衣室に背を向けてるじゃないか。誰か覗きに来るかも知れないぞ」
目隠しの状態でも柳川がうろたえているようすが手に取るようにわかる。頭を乗せた膝が震えている。
「心配するな。河合が見張りで外に立っている。儀式が了わるまで誰もここには来ない」
健悟は、まず種明かしをひとつした。ふぅ、と柳川の安堵の息が聞こえる。柳川が、失礼します、と云って慎重に膝を入れかえる。そのとき、健悟の左肩を柳川の陰毛がこすった。柳川はさりげなく離れた。
さて小ネタをはさんでやるとするか。
「やりにくそうだな。もっとくっつけ。それから俺の肩に乗せたらどうだ? ブラブラしてたらおまえも集中できねえだろ」
柳川は素直に従った。
相棒がまた現れる。
――つぎからつぎへとよく思いつくな。
――一難去ってまた一難ってやつだ。ただし一難ですませるつもりはない。
――小雪のこととは切り離すんだぞ。これは新入りの覚悟を試す儀式なんだからな。
――それは柳川の出方次第だろ。おまえは俺なんだから俺に従え。
そこへ足許でシャワーの流れる音がした。
頭に湯がかけられ、髪の毛が指先で濯がれた。ついでシャンプーが垂らされ、洗髪がはじまる。強くもなく弱くもなく心地いい力加減だ。健悟は腹に力を入れながらも柳川の洗髪を楽しんでいる。
「お痒いところはございませんか?」柳川が訊いた。
「ぜんぶ」健悟は揶揄うように云った。「こういう客、いるだろ?」
「ドラマにも出てきました」
「今の俺みたいなやつか?」
「いえ、女性のお客さんです。お年を召した方で、独身で、お気に入りの雑誌がおいていないと云って店内で大騒ぎするクレーマーでした」
健悟の頭に萬屋の顔が泛んだ。その瞬間、相棒が力尽きた。しかし健悟は相棒をふたたび叩き起こそうとはしなかった。洗髪で巨軀が揺れるたびに相棒が揺れ動くところを柳川に見せつけて、性的な雰囲気を作り続ける。
健悟は平静を装って質問を続けた。
「なんで俺たちに短髪が多いか知っているか?」
「汗をかくからでしょうか? 火と戦うわけですし」
指で髪の毛を梳くように洗いながら柳川が応えた。
「ほかにもあるぞ。いちばん重要なことだ」
「何ですか?」柳川の手がとまる。
「それを自分で考えるのも役作りのひとつだろ。あとで教えてやるから、それまで考えてろ」
「わかりました」柳川ふたたび洗い始めた。
「お楽しみは最後までとっておくものだぞ」
健悟はこう云って、柳川の洗髪に意識を集中させた。柳川は程よい力加減で頭皮をマッサージしながら叮嚀に洗っている。短髪だから手を抜くようなことはしないようだ。その態度は認めてやっても好いだろう。もちろん、こちらも儀式の手を抜くようなことはしない。それこそが最後までとっておく「お楽しみ」だ。
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