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第一章 食堂にて
つけうどん、水、そして風呂
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「お待たせしました」
つけうどんが来た。熱々のつけ汁は具沢山で食べ応えがある。ラー油がぐるりと掛られていてピリ辛なのも食慾をそそる。食慾を満たせば、この有り余る性慾を少しは抑えられるかもしれない。健悟は大急ぎで割り箸を割った。うどんを数本摘まんで、つけ汁に浸し、泳がせるようにかき混ぜる。それから具の豚肉やシメジや白菜と一緒にして、一気に掻っこむ。
――うっ、うぐっ……。
健悟は激しくむせた。コップの水を飲もうにも、カレーを食べているときに飲み干してしまっていた。河合が立上がって「こっちに水をくれ」と叫んだ。
「大丈夫ですか? あとピッチャーもここに」
食事当番が飛んできて、空のコップに水を注ぎ、ピッチャーを置いていった。
「ああ、死ぬかと思ったぜ」
生き返った健悟は話題を変えようと思った。性慾を忘れられるかもしれない。丁度、云いたいこともあった。
「萬屋が柳川のファンみたいなんだが、あいつ一体何考えてんだ? 『三階の食堂で私が手料理をふるまいます』だと」
「去年の丁度この時期でしたっけ。お手製カレーで食中毒起こして、病院に運ばれたんすよね、あのメガネ」
「それだよそれ。しかも週末に自宅で二日間煮込んだってやつだ」
それから健悟は、つけうどんを喰べ喰べ、今日の小事件について語りはじめた。三羽のスズメに昼食を邪魔されたこと、柳川が人気者らしいこと、萬屋の熱狂ぶり……。河合も、つけうどんを啜りながら、頷いたり、合いの手を入れたりした。ふたりは、つけうどんをすっかり平らげた。親分と子分による作戦会議めいたものが始まった。
「問題は萬屋だ。柳川のファンなのは個人の自由だが、ちょっとストーカーっぽかったぞ。柳川のやつは気に喰わないが、一般市民に何かあったら大事だ」
河合はしばらく考えて、
「ひょっとしてイラストとか同人誌とか云ってなかったっすか?」
「署内のあちこちに柳川の似顔絵ポスターを貼りたいとか、柳川のイラストを描いた防災小冊子みたいなのを作って、見学者の人たちに配布しようなんて云ってたな」
健悟はこう云って、こんどは左手で顎をさすりながら、
「表紙のサンプルまで見せてきたんだが、まあ趣味の悪い絵だったぞ」
と、つけ足した。
すると、河合は何か心当たりがあるような面持ちで、
「実は、うちのカミさんと小雪ちゃんがですね……」
と云って、一旦区切った。話の順序を整理しているようだった。
小雪と云えば、あのチーパッパだ。柳川のファンなのは心外だが、いちばんまともそうだ。健悟は続きを知りたくなった。
「あの予防課の小娘がどうした」
健悟は思わず身を乗り出した。
「親分、どうしたんすか、突然」
「い、いや。何でもない」健悟は平静を装って坐りなおした。
「小雪ちゃんには手を出さないでくださいよ。若い連中の志気が下がるんで」河合はきっぱりと云った。
「それより萬屋の件だ。焦らさずにさっさと全部吐け。一般市民の命がかかってるんだぞ」
「実はですね――」
健悟は河合の話を興味深く聞いた。
「風呂のようす、見にいってきます」
と声がした。健悟が声のした方に目を転じると、食堂から出ていく者がひとりあった。作戦会議を一時中断して、食後のコーヒーを飲んでいるときだった。
すいぶん長居していたらしい。いつの間にか食堂がにぎやかになっていた。健悟はため息を吐いた。
食事直後の入浴は余り勧められない。しかし消防の世界では、食事と入浴は職位が上の者からとなっている。今ここにいる職員で云えば、健悟がいちばん風呂だ。ぐずぐずしていれば、若い職員たちが深夜に入浴をしなければならないし、そうなれば仮眠にも影響を及ぼしてしまう。
健悟は観念して、まだ燻っている重い腰を上げようとした。すかさず河合が引き止めた。健悟が坐りなおすと、河合は腕時計を外して、そっと健悟に手渡した。健悟は人の増えた食堂内をぐるりと見渡して、
「儀式は延期じゃねえのか? もう帰ったみたいだが……」
「小火だったからって、ぼやっとしないでくださいよ。つけうどんを持ってきたのも、水を注いだのも、風呂のようすを見にいったのも、柳川じゃないっすか。彼にはさっきからずっと新入りの仕事をやらせていたんですが、ほんとに気づかなかったんすか?」
健悟は、やりやがったな、という表情で河合を睨みつけた。コップの水をぶっかけてやろうにも、すでに飲み干してしまっている。ピッチャーはいつの間にか隣りのテーブルに渡っている。さりとて、つけ汁をぶちまけるわけにはいかない。
河合が、親分のお好きにどうぞ、という表情で微笑んだ。「食器は俺が片付けておくんで、さっさと風呂に行ってください。柳川には、あいさつ代わりに親分の背中を流すようにちゃんと命じておきました。時間は三十分きっかりです。延長は個室が空いていればご案内します」
つけうどんが来た。熱々のつけ汁は具沢山で食べ応えがある。ラー油がぐるりと掛られていてピリ辛なのも食慾をそそる。食慾を満たせば、この有り余る性慾を少しは抑えられるかもしれない。健悟は大急ぎで割り箸を割った。うどんを数本摘まんで、つけ汁に浸し、泳がせるようにかき混ぜる。それから具の豚肉やシメジや白菜と一緒にして、一気に掻っこむ。
――うっ、うぐっ……。
健悟は激しくむせた。コップの水を飲もうにも、カレーを食べているときに飲み干してしまっていた。河合が立上がって「こっちに水をくれ」と叫んだ。
「大丈夫ですか? あとピッチャーもここに」
食事当番が飛んできて、空のコップに水を注ぎ、ピッチャーを置いていった。
「ああ、死ぬかと思ったぜ」
生き返った健悟は話題を変えようと思った。性慾を忘れられるかもしれない。丁度、云いたいこともあった。
「萬屋が柳川のファンみたいなんだが、あいつ一体何考えてんだ? 『三階の食堂で私が手料理をふるまいます』だと」
「去年の丁度この時期でしたっけ。お手製カレーで食中毒起こして、病院に運ばれたんすよね、あのメガネ」
「それだよそれ。しかも週末に自宅で二日間煮込んだってやつだ」
それから健悟は、つけうどんを喰べ喰べ、今日の小事件について語りはじめた。三羽のスズメに昼食を邪魔されたこと、柳川が人気者らしいこと、萬屋の熱狂ぶり……。河合も、つけうどんを啜りながら、頷いたり、合いの手を入れたりした。ふたりは、つけうどんをすっかり平らげた。親分と子分による作戦会議めいたものが始まった。
「問題は萬屋だ。柳川のファンなのは個人の自由だが、ちょっとストーカーっぽかったぞ。柳川のやつは気に喰わないが、一般市民に何かあったら大事だ」
河合はしばらく考えて、
「ひょっとしてイラストとか同人誌とか云ってなかったっすか?」
「署内のあちこちに柳川の似顔絵ポスターを貼りたいとか、柳川のイラストを描いた防災小冊子みたいなのを作って、見学者の人たちに配布しようなんて云ってたな」
健悟はこう云って、こんどは左手で顎をさすりながら、
「表紙のサンプルまで見せてきたんだが、まあ趣味の悪い絵だったぞ」
と、つけ足した。
すると、河合は何か心当たりがあるような面持ちで、
「実は、うちのカミさんと小雪ちゃんがですね……」
と云って、一旦区切った。話の順序を整理しているようだった。
小雪と云えば、あのチーパッパだ。柳川のファンなのは心外だが、いちばんまともそうだ。健悟は続きを知りたくなった。
「あの予防課の小娘がどうした」
健悟は思わず身を乗り出した。
「親分、どうしたんすか、突然」
「い、いや。何でもない」健悟は平静を装って坐りなおした。
「小雪ちゃんには手を出さないでくださいよ。若い連中の志気が下がるんで」河合はきっぱりと云った。
「それより萬屋の件だ。焦らさずにさっさと全部吐け。一般市民の命がかかってるんだぞ」
「実はですね――」
健悟は河合の話を興味深く聞いた。
「風呂のようす、見にいってきます」
と声がした。健悟が声のした方に目を転じると、食堂から出ていく者がひとりあった。作戦会議を一時中断して、食後のコーヒーを飲んでいるときだった。
すいぶん長居していたらしい。いつの間にか食堂がにぎやかになっていた。健悟はため息を吐いた。
食事直後の入浴は余り勧められない。しかし消防の世界では、食事と入浴は職位が上の者からとなっている。今ここにいる職員で云えば、健悟がいちばん風呂だ。ぐずぐずしていれば、若い職員たちが深夜に入浴をしなければならないし、そうなれば仮眠にも影響を及ぼしてしまう。
健悟は観念して、まだ燻っている重い腰を上げようとした。すかさず河合が引き止めた。健悟が坐りなおすと、河合は腕時計を外して、そっと健悟に手渡した。健悟は人の増えた食堂内をぐるりと見渡して、
「儀式は延期じゃねえのか? もう帰ったみたいだが……」
「小火だったからって、ぼやっとしないでくださいよ。つけうどんを持ってきたのも、水を注いだのも、風呂のようすを見にいったのも、柳川じゃないっすか。彼にはさっきからずっと新入りの仕事をやらせていたんですが、ほんとに気づかなかったんすか?」
健悟は、やりやがったな、という表情で河合を睨みつけた。コップの水をぶっかけてやろうにも、すでに飲み干してしまっている。ピッチャーはいつの間にか隣りのテーブルに渡っている。さりとて、つけ汁をぶちまけるわけにはいかない。
河合が、親分のお好きにどうぞ、という表情で微笑んだ。「食器は俺が片付けておくんで、さっさと風呂に行ってください。柳川には、あいさつ代わりに親分の背中を流すようにちゃんと命じておきました。時間は三十分きっかりです。延長は個室が空いていればご案内します」
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