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第五章 ワン・モア・チャンス
16 憧れのお姉さん
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「すみません。インタビューよろしいですか?」
と女性の声がふたりを呼びとめたのは、大樹と康太が喫茶店を出て商店街の端まで行き、岐れたもう一本の道を戻ってきたときだ。例のタピオカ店の近くにテレビ局の撮影クルーがいたのだった。
——あっ……! アナウンサーのお姉さんだ!
女性アナウンサーは、春にふさわしい薄い桜色のスーツパンツ姿だった。肩まで届く長い髪が、風に撫でられてふわりとなびいた。その瞬間、康太は時間が止まったように感じた。
「あ、ええと、その……」康太は向けられたマイクを手に取ろうとして、途中で引いた。「インタビュー?」
テレビのなかの人に過ぎなかった、あの憧れの女性がすぐ目の前にいる。突然の出逢いにどうすればいいのか、まったく頭が回らない。
康太は大樹に目を向けた。ファンだというのは本当らしく、大樹も驚いているようだった。そればかりか、なんだかそわそわしているように康太の目には映った。
——森先輩も……。でもそうだよな。いきなり声を掛けられたんだもん。
康太は大樹の左腕の裾を軽く引いた。すると大樹は、正気にかえったようで、
「あ……インタビューですね。どうぞ」
と康太の代わりに女性アナウンサーに向って頷いた。それから康太のわき腹を肘でコツンと小突いて、
「康太、カメラに映ってるぞ」
「あっ、はい……」康太は背筋をしゃんと伸ばした。
女性アナウンサーは朗らかに笑って、康太にマイクを向けた。「おふたりはご兄弟ですか?」
「えっ……。あの……」何か云わなければと思えば思うほど、言葉が出てこない。大樹に助け舟を出してもらおうと目線を投げたが、鼻先で打ち返されてしまった。「その……ぼくたち似ていますか?」
「ええ。とっても」女性アナウンサーは頷いた。
——このお姉さんも、森先輩とぼくが兄弟みたいに見えるんだ……。
康太はふしぎな気持ちになった。学生寮で「ウルフ・ブラザーズ」と呼ばれるのは何だか抵抗があるけれども、アナウンサーのお姉さんに云われるのは悪い気がしない。それはこちらの素性を識らない人の、素直な感想だからからもしれないし、康太が彼女のファンだからかもしれなかった。
大樹が口を開いた。「学生寮のルームメイトなんです。それで四六時中、一緒にいるもんだから……」
「先輩の真似をしているうちに後輩が……」女性アナウンサーが大樹にマイクを向けた。「……ですね?」
大樹は照れくさそうに頭を掻いて、
「ええ、まあ」
とだけ応え、こんどは彼女に訊いた。「あの、インタビューは……」
「そうですね。後輩くんも緊張がほぐれたようですから」
インタビューそのものは、テレビでよく観る、極々ふつうの、ありきたりなものだった。この商店街にはよく来るのか。この商店街のいいところはどこか。
アナウンサーのお姉さんは、すっかり大樹と意気投合したかのように、大樹にばかりマイクを向けている。康太が割ってはいろうと、ひと言ふた言口にしても、ほんの一瞬だけマイクが向けられ、またすぐに大樹のほうへと引き戻された。
康太は軽い嫉妬を覚えた。
——そりゃあ、森先輩は背が高くて目立つし、テレビ映えするんだろうけど……。
——このお姉さんも森先輩のことが気になるのかなぁ……。
——モテそうだもんな、森先輩……。
康太がぼんやりとこんなことを考えていると、女性アナウンサーが気を利かしたのか、マイクを向けてきた。「ここだけは行くべきって、お勧めのお店を教えてください」
大樹が横から割りこむようにして応えた。「うちの学生寮の食堂かな?」
女性アナウンサーは、ふふっ、と笑って康太にマイクを向けた。「弟さんは?」
「ちょうどさっき行ってきたんです」待ってましたとばかりに康太はハキハキと応えた。
女性アナウンサーが目を輝かせた。康太のコメントに期待しているらしい。
「硬式野球部の大先輩がやっている喫茶店なんですけど、カフェ・オ・レがとても美味しいんです」
「カフェ・オ・レ?」
女性アナウンサーが、おやっ、という顔をした。恐らくこれまで何人もインタビューをしてきたなかで、どうやらまだ名前が出ていない店なのだろう。よし、これならお姉さんと一緒に映ってる姿がオンエアされるかもしれない。康太は心のなかで拳を握りしめた。
「名前は、ええと……」
カメラが回っている。憧れのお姉さんが目の前でその店名を待ち望んでいる。店名をちゃんと云わないといけないのに、「大樹がその昔、彼女さんと通いつめていた喫茶店」とだけしか記憶にない。
女性アナウンサーが笑った。「引っ張りますねえ」
勿体ぶっているわけではない。本当に記憶にないのだ。切羽詰まった康太は、大樹の左腕の袖を軽く引っ張った。
「——『ミルク』だよな?」大樹が康太の頭をポンポンと叩きながら助け舟を出した。
「ああ、そう。ミルクです」康太は自分からも云ったほうがいいような気がして大樹の言葉をくり返し、こう付け足した。「北海道の美味しいミルクがたっぷり入っているカフェ・オ・レなんです」
「ミルク……ミルクのカフェ・オ・レですね?」
女性アナウンサーは、大樹と康太が口にしたその店名を、噛みしめるように何度もくり返した。
と女性の声がふたりを呼びとめたのは、大樹と康太が喫茶店を出て商店街の端まで行き、岐れたもう一本の道を戻ってきたときだ。例のタピオカ店の近くにテレビ局の撮影クルーがいたのだった。
——あっ……! アナウンサーのお姉さんだ!
女性アナウンサーは、春にふさわしい薄い桜色のスーツパンツ姿だった。肩まで届く長い髪が、風に撫でられてふわりとなびいた。その瞬間、康太は時間が止まったように感じた。
「あ、ええと、その……」康太は向けられたマイクを手に取ろうとして、途中で引いた。「インタビュー?」
テレビのなかの人に過ぎなかった、あの憧れの女性がすぐ目の前にいる。突然の出逢いにどうすればいいのか、まったく頭が回らない。
康太は大樹に目を向けた。ファンだというのは本当らしく、大樹も驚いているようだった。そればかりか、なんだかそわそわしているように康太の目には映った。
——森先輩も……。でもそうだよな。いきなり声を掛けられたんだもん。
康太は大樹の左腕の裾を軽く引いた。すると大樹は、正気にかえったようで、
「あ……インタビューですね。どうぞ」
と康太の代わりに女性アナウンサーに向って頷いた。それから康太のわき腹を肘でコツンと小突いて、
「康太、カメラに映ってるぞ」
「あっ、はい……」康太は背筋をしゃんと伸ばした。
女性アナウンサーは朗らかに笑って、康太にマイクを向けた。「おふたりはご兄弟ですか?」
「えっ……。あの……」何か云わなければと思えば思うほど、言葉が出てこない。大樹に助け舟を出してもらおうと目線を投げたが、鼻先で打ち返されてしまった。「その……ぼくたち似ていますか?」
「ええ。とっても」女性アナウンサーは頷いた。
——このお姉さんも、森先輩とぼくが兄弟みたいに見えるんだ……。
康太はふしぎな気持ちになった。学生寮で「ウルフ・ブラザーズ」と呼ばれるのは何だか抵抗があるけれども、アナウンサーのお姉さんに云われるのは悪い気がしない。それはこちらの素性を識らない人の、素直な感想だからからもしれないし、康太が彼女のファンだからかもしれなかった。
大樹が口を開いた。「学生寮のルームメイトなんです。それで四六時中、一緒にいるもんだから……」
「先輩の真似をしているうちに後輩が……」女性アナウンサーが大樹にマイクを向けた。「……ですね?」
大樹は照れくさそうに頭を掻いて、
「ええ、まあ」
とだけ応え、こんどは彼女に訊いた。「あの、インタビューは……」
「そうですね。後輩くんも緊張がほぐれたようですから」
インタビューそのものは、テレビでよく観る、極々ふつうの、ありきたりなものだった。この商店街にはよく来るのか。この商店街のいいところはどこか。
アナウンサーのお姉さんは、すっかり大樹と意気投合したかのように、大樹にばかりマイクを向けている。康太が割ってはいろうと、ひと言ふた言口にしても、ほんの一瞬だけマイクが向けられ、またすぐに大樹のほうへと引き戻された。
康太は軽い嫉妬を覚えた。
——そりゃあ、森先輩は背が高くて目立つし、テレビ映えするんだろうけど……。
——このお姉さんも森先輩のことが気になるのかなぁ……。
——モテそうだもんな、森先輩……。
康太がぼんやりとこんなことを考えていると、女性アナウンサーが気を利かしたのか、マイクを向けてきた。「ここだけは行くべきって、お勧めのお店を教えてください」
大樹が横から割りこむようにして応えた。「うちの学生寮の食堂かな?」
女性アナウンサーは、ふふっ、と笑って康太にマイクを向けた。「弟さんは?」
「ちょうどさっき行ってきたんです」待ってましたとばかりに康太はハキハキと応えた。
女性アナウンサーが目を輝かせた。康太のコメントに期待しているらしい。
「硬式野球部の大先輩がやっている喫茶店なんですけど、カフェ・オ・レがとても美味しいんです」
「カフェ・オ・レ?」
女性アナウンサーが、おやっ、という顔をした。恐らくこれまで何人もインタビューをしてきたなかで、どうやらまだ名前が出ていない店なのだろう。よし、これならお姉さんと一緒に映ってる姿がオンエアされるかもしれない。康太は心のなかで拳を握りしめた。
「名前は、ええと……」
カメラが回っている。憧れのお姉さんが目の前でその店名を待ち望んでいる。店名をちゃんと云わないといけないのに、「大樹がその昔、彼女さんと通いつめていた喫茶店」とだけしか記憶にない。
女性アナウンサーが笑った。「引っ張りますねえ」
勿体ぶっているわけではない。本当に記憶にないのだ。切羽詰まった康太は、大樹の左腕の袖を軽く引っ張った。
「——『ミルク』だよな?」大樹が康太の頭をポンポンと叩きながら助け舟を出した。
「ああ、そう。ミルクです」康太は自分からも云ったほうがいいような気がして大樹の言葉をくり返し、こう付け足した。「北海道の美味しいミルクがたっぷり入っているカフェ・オ・レなんです」
「ミルク……ミルクのカフェ・オ・レですね?」
女性アナウンサーは、大樹と康太が口にしたその店名を、噛みしめるように何度もくり返した。
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