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第五章 ワン・モア・チャンス

14 必要のないもの?

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 駅前の商店街に一歩這入るや否や、康太は目を丸くした。見上げるとアーケードの天井に青空の絵が描かれている。雨でも濡れずに買い物ができるのはとても便利そうだ。
 康太は思わず口にした。
「まるでドームのなかにいるみたい……」
「ドーム球場か?」大樹が康太の尻を軽く叩いて歩けと促す。「おまえもいずれドラフト一位指名でプロ入りして投げて打って、それから大リーグに行んだろうなあ」
 康太は歩きながら大樹を見上げて、
「森先輩、気が早いですよ。まずは新人戦で認められてレギュラー入りしないと」
「おまえは今井のお気に入りだから」大樹がにっこりと笑った。「レギュラー入りするさ」
「そんなことより森先輩」康太は左右をキョロキョロと見回した。「この格好……」
 大樹が顔を寄せてきて康太に耳打ちした。「素っ裸かでほっつき歩くわけじゃないし、問題ないだろ?」
「それはそうですけど」
 ふたりは大学のウェア姿だった。上衣の左胸に大学のマークが縫いつけられているし、背負っているデイバッグにも目立つ位置に大学のマークが付けられている。それこそ体育館からそのまま出てきたような姿だ。週末の商店街は賑わっていて、多くの人が行き交っている。そのなかでいかにも『近くの体育大から来ました』と主張しているようで、明らかに泛いていた。
 ——女子寮が確かこの辺に……。
 康太は歩きながら周囲を見回した。目立たないように身を屈めようにも、周囲より頭ひとつ泛いている大樹と一緒では意味がない。
「康太、女子寮ならこの先を左だ」不意に大樹が云った。
「えっ……?」
「隠したって無駄だ。顔にちゃんと書いてある」大樹は康太の目を見た。「今井に聞いたぞ。新入生に可愛いコがいるんだってな。おまえもそのコが気になっているのか?」
「そんなんじゃ——」康太は反論を試みた。「——ないです……」
「今井が狙っていたらどうする?」
 康太は、けしかけるような大樹の言葉に一瞬怯んだが、それでも望みはあった。「でも男子寮の皆んなで紳士協定を結んでいるから大丈夫だと」
「そんな話、聞いてないぞ。それに——」大樹が笑った。「——今井のヤツは高校時代、校則を片っ端から破ってたんだぞ。生徒指導室の常連だ」
「でも推薦で入学できたってことは、そんなに不良ってわけじゃなかったんですよね?」康太は祈るように云った。「だから紳士協定だって……」
「まあ、そうなればいいけどな」大樹はこう云って、くすりと笑った。「今の話は内緒だ。いいな?」
「はい」
 康太は背中のデイバッグを揺すりあげると、気を取り直してふたたび周囲をしながら歩いた。飲食店、銀行のATM、郵便局、百均ショップ……。ここに来れば生活に困ることはなさそうだ。何よりも商店街は活気に溢れ、元気を分けてもらえるような気がした。
「あっ……」康太は突然立止まった。
「どうした?」大樹も立止まって周囲をうかがう。
 ——チアリーディング部の……!
 Y路地の右のほうに康太が目にしたのは、噂の新入生——小島みゆきだった。その彼女が、同じ女子寮の仲間と思しき女の子たちと、数メートル先のタピオカミルク店の列に並んでいる。皆んな普段着で大学のウェアではないが、そのなかでも彼女はひときわ輝いているように見えた。
 康太は大樹の顔を見た。「い、いや。なんでもないです」
「そうか」大樹はふたたび歩きだし、話を続けた。「なんでも男子寮から引き離さないと危険だってんで、この辺りに女子寮を建てたそうだ」
「危険?」
 大樹の女子寮全制覇——康太の脳裏にあの噂が泛かんだ。
「まっ、あくまでも噂だけどな」大樹が肘で康太の脇腹を小突いた。「さあ、着いたぞ。まずはここからだ」
 ふたりはドラッグストアに這入った。広々とした店内に棚が理路整然と並んでいる。天井から吊るされたプレートを見れば、どこに何があるかは一目瞭然だった。
 大樹がカートにカゴを乗せながら、
「おれたち男に必要なのは、全部店の奥だ」
「森先輩、ちょっと待っててください」康太はスマホを取りだすと、ドラッグストアのアプリを開き、ポイントとクーポンをチェックした。「これでよし、と。あっ、森先輩。カートはぼくが押します」
「おう、頼むわ」
 康太は大樹と並んで店の奥へと進んだ。男性化粧品のコーナーで大樹が立止る。目の前には安全カミソリのパッケージがズラリと並んでいた。
「あっ、ぼくもこれ買わなくちゃ」康太は商品に目を走らせた。「でもどれにしよう。せっかくだから新商品にしようかな……」
「おまえ、そんなに髭濃ゆくないだろ」大樹が手を伸ばし、康太の頬を指の背で撫であげた。「二枚刃の使い捨てので十分じゃないのか? 風呂場でもこういうやつ使ってたじゃないか」五本入りの使い捨てカミソリを手に取ってカゴに入れた。「これはおれが買ってやるからな」
 康太はカゴのなかを見た。大樹が買ってくれると云うのを断るのも悪いような気がする。「あ、ありがとうございます。でも……その……、使い捨てじゃなくて、ちゃんとしたものを買って、ちゃんと剃ってみようかなって——」
「——今井みたいに無精髭生やしてみたらどうだ?」
「えっ?」康太は大樹の顔を見た。「ぼくがですか?」
「可愛がってもらえるぞ。レギュラー入りも確実だ」
 康太は無精髭を生やした自分の顔を想像してみた。確かに可愛がってもらえるかもしれないが、やはり武志のようにワイルドな風貌でないと無精髭を生やしても格好がつかないように思えた。
「ぼくに……似合うかなあ……」康太は、とりあえず目についた商品をカゴに入れた。「森先輩、どう思いますか?」
 大樹は、おそろだな、と云って康太と同じ商品をカゴに入れると、
「少なくとも小狼にはなれるぞ。名実ともにリトル・ウルフだ」
 と云って微笑んだ。そして康太の尻を軽く叩いてつぎの売り場へ行こうと促した。「プロテインとかエナジーバーとかは、あっちにあるんだ」
 大樹が歩きだし、康太もいていった。
 ——ええと、『健康食品』のプレートは……。
 康太がカートを押しながらふと天井を見上げたとき、
「康太、近道するぞ」
 と大樹がいきなり康太の両目を手で覆った。「声を出すな。黙っておれに跟いて来い」
 康太は大樹に導かれるままに真っ直ぐ進み、そして右に折れた。
「康太、もういいぞ」大樹が目隠しを解いた。「ここは体育大生の楽園なんだ。ほら、何でもあるだろう?」
 確かに品揃えは豊富だ。大学の購買部と同じようにアスリート用の商品がこれでもかと並んでいる。
 しかし康太は気になって仕方がなかった。「森先輩、それよりさっきのは一体何だったんですか?」
「見ないほうがいい」大樹はキッパリと応えた。「それにおまえには必要ないものだ」
 隠されれば隠されるほど気になってしまう。
 康太は大樹に訊いた。「ぼくに必要ないもの……?」
「おれの見た感じだと、康太には必要ないな」大樹はこう云って、さらに続けた。「気になるなら、行って見てこいよ」
「それじゃあ、見たらすぐ戻ってきます」
 カートを大樹に預け、康太は来た道を戻った。ここを左に折れれば謎が解ける。深呼吸をして、いざ——。
「あっ……」
 康太は立ちすくんだ。あの目隠しゾーンは、のコーナーだったのだ。様々なメーカーのコンドームが、目の前の棚の上から下まで所狭しと陳列されている。
「な、康太。云っただろう?」
 康太がふり向くと、大樹がカートを押しながらやって来るところだった。
「森先輩……」康太は顔を赤らめた。
「おまえには必要ないって」康太の横に来た大樹はこう云って、やや自嘲気味に付け足した。「まあ、おれも必要ないけどな」
 康太はどう応えればいいか分からず、口をポカンと開けたままだ。
 大樹が悪戯っぽく笑った。「ここにはおれに合うサイズがない。貫通式のとき、おまえも見ただろう? あのメーカーのじゃないとな。それから、おまえも多分だけど、ここにあるやつは必要ないと思う」
「……」
「おまえのを見たときに、まあ、何となく思ったんだ。それに大野さんが云ってたぞ。おまえが来てから『男子寮の三大バズーカ砲』が『男子寮の四大バズーカ砲』になったって」
 こう云って、大樹は親し気に康太の頭をポンポンと叩いた。「可愛いのは顔だけなんだよな、おまえ」
 
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