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第五章 ワン・モア・チャンス
9 もう一度……?
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康太は洗面所のドアの前に立ち、ゆっくりと深呼吸をした。ドアの向うは、ひっそりとしている。テレビの音もしない。それはもう寝る時間だからだとわかっているし、いつもの状況と変わらない。けれども、今夜に限って——大樹の行動に何か意味があるかのように思えてならなかった。
——やっぱり貫通式をちゃんとしないと……。
寮長の勝利も本当は薄々勘付いているのかもしれない、と康太は思いはじめていた。きっと、しばらくの猶予が与えられているのだろう。勝利が『リトル・ウルフ』や『四大バズーカ砲』といった呼び名をことさら口にするのも、素裸か同然の恰好で夜の点呼に来るのも納得がいく。
——それに『四大バズーカ砲になるには、まだ十分じゃない』って、大野先輩、云ってたっけ。
康太はドアノブに手を掛けた。
今夜、大樹が水球のガウンをプレゼントしてくれたのも、おそらくは貫通式の誘いなのだろう。目の前のドアを開ければ、入寮日のあの夜と同じように、真正面にあるベランダのサッシを背に、大樹がこちらを向いて待っているのかもしれない。康太はこのドアを開けたあとの出来事を思い描いた。
大樹がサッシに凭れて佇んでいる。月の光を背に浴びているので、その表情は杳として知れない。大きなシルエット——それも若々しく、たくましい狼——が、両腕を胸の前で組み、片脚を心持ち曲げて寛がせている。
康太がはっと息を飲んだつぎの瞬間、大樹の目が青白く光る。太い両腕がほどかれ、片手がゆっくりと持ちあげられる。大樹がその手を鉤にして康太を呼ぶ。
「来いよ。貫通式、さっさとすませようぜ」
——そうだ! 一度きりだ、一度きりなんだ!
康太は、ドアノブをしっかりと握りなおし、空いた手で胸に下げた犬笛の揺れを抑えながら、ゆっくりと深呼吸をした。このまま堂々とベッドまで歩いてゆこう。場外ホームランの瞬間だって、ばっちりと見られているじゃないか!
音を立てないようにそっとドアを開けた。
——森先輩……?
視線の先に大樹の姿はなかった。
見ると、部屋の奥で左右のベッドのナイトライトが、そこに辿りつくのに暗すぎない程度に灯されている。大樹は自分のベッド——左側のベッド——にいた。ヘッドボードに背中を預け、スマホを覗きこんでいるようだった。
康太は、大樹のヘッドボードを気にしながら步を進めた。大樹のベッドの側に立ち、声を掛ける。
「森先輩……?」康太はまごついてしまった。
大樹は素裸かではなかった。上は大学のトレーニングウェアを着ている。開いたファスナーの下から覗かせているのは、お気に入りのタンクトップのようだ。腰から下はタオルケットが掛かっているが、何も穿いていないということはなさそうだった。
「おう、康太」大樹はこう云ってヘッドボードの棚にある充電器にスマホをセットした。素裸かで突っ立っている康太を見ても驚くようすもない。「さあ、寝ようぜ」と云ってナイトライトを消し、ベッドに寝転がると、大きく伸びをして狼の遠吠えのような欠伸をした。
康太はゴクリと唾を飲みこんだ。と同時に、このままベッドに引きこまれたら、と身構えた。
「あの……森先輩……?」康太は、ようすを窺った。
「ん?」大樹は横向きになって、康太のほうを向いた。左肘を立てて頭を手で支える。「ああ、マイナス・ワンか?」
「は、はい……。今、何枚ですか?」
「気になるなら数えてみな」
大樹がタオルケットをめくった。
康太はざっと目算して、
「よ、四枚ですよ……ね?」
「ご名答!」大樹はこう応え、それから軽く笑った。「だけど律儀だな、おまえって。大野さんに何か云われたのか? 何枚着ようと、おれは構わないぞ」
「でも……」
「今までこの部屋でマイナス・ワンなんかしたことなかっただろ。それとも『実は裸族でした』ってか?」
大樹が右腕を伸ばした。康太は思わず後退りした。
「ほら、何枚でも好きなだけ着な」大樹は康太のベッドを指差した。
「は、はい」
康太は大樹に背を向け、そこから三歩進んで自分のベッドの前にしゃがんだ。ベッドの引き出し収納から着るべきもの選び、下着、ハーフパンツ、Tシャツの順に着た。それがすむとふり返って大樹のほうを見た。
「森先輩、これで好いですか?」
「マイナス・ワンは気にするなって云っただろ? 朝はまだ冷えるぞ」
大樹の声は優しい。
康太は慌てて引き出し収納からトレーニングウェアを取りだし、それを羽織った。
「森先輩、これで四枚です」
大樹が笑った。「五枚だけどな」
「えっ」康太は素っ頓狂な声を上げた。「森先輩、どういうことですか?」
大樹は、あはは、と軽く笑い、それからナイトライトを消すようにとジェスチャーで伝えた。「さあ、こんどこそ本気で寝るぞ。明日は駅前の商店街に連れて行ってやるからな」
「はい。お願いします」
康太は、ナイトライトを消してベッドに寝た。タオルケットを胸まで引きあげ、顔だけを大樹に向けて、
「森先輩、おやすみなさい」
「ああ」
康太はタオルケットの端をギュッと握りしめた。
——しばらくしたら森先輩が、こっちに来るのかも……。
——寝ぼけたふりで森先輩にされるがままでいれば……。
——怖くない、怖くない……あっ!
康太は思いかえした。さっき着替えるとき、素裸かの後ろ姿を大樹に曝していた。大樹は何も云わなかった。けれども、着替えを取ろうとしゃがんだときに、いちばん恥ずかしいところを見られていたのだった。
——やっぱり貫通式をちゃんとしないと……。
寮長の勝利も本当は薄々勘付いているのかもしれない、と康太は思いはじめていた。きっと、しばらくの猶予が与えられているのだろう。勝利が『リトル・ウルフ』や『四大バズーカ砲』といった呼び名をことさら口にするのも、素裸か同然の恰好で夜の点呼に来るのも納得がいく。
——それに『四大バズーカ砲になるには、まだ十分じゃない』って、大野先輩、云ってたっけ。
康太はドアノブに手を掛けた。
今夜、大樹が水球のガウンをプレゼントしてくれたのも、おそらくは貫通式の誘いなのだろう。目の前のドアを開ければ、入寮日のあの夜と同じように、真正面にあるベランダのサッシを背に、大樹がこちらを向いて待っているのかもしれない。康太はこのドアを開けたあとの出来事を思い描いた。
大樹がサッシに凭れて佇んでいる。月の光を背に浴びているので、その表情は杳として知れない。大きなシルエット——それも若々しく、たくましい狼——が、両腕を胸の前で組み、片脚を心持ち曲げて寛がせている。
康太がはっと息を飲んだつぎの瞬間、大樹の目が青白く光る。太い両腕がほどかれ、片手がゆっくりと持ちあげられる。大樹がその手を鉤にして康太を呼ぶ。
「来いよ。貫通式、さっさとすませようぜ」
——そうだ! 一度きりだ、一度きりなんだ!
康太は、ドアノブをしっかりと握りなおし、空いた手で胸に下げた犬笛の揺れを抑えながら、ゆっくりと深呼吸をした。このまま堂々とベッドまで歩いてゆこう。場外ホームランの瞬間だって、ばっちりと見られているじゃないか!
音を立てないようにそっとドアを開けた。
——森先輩……?
視線の先に大樹の姿はなかった。
見ると、部屋の奥で左右のベッドのナイトライトが、そこに辿りつくのに暗すぎない程度に灯されている。大樹は自分のベッド——左側のベッド——にいた。ヘッドボードに背中を預け、スマホを覗きこんでいるようだった。
康太は、大樹のヘッドボードを気にしながら步を進めた。大樹のベッドの側に立ち、声を掛ける。
「森先輩……?」康太はまごついてしまった。
大樹は素裸かではなかった。上は大学のトレーニングウェアを着ている。開いたファスナーの下から覗かせているのは、お気に入りのタンクトップのようだ。腰から下はタオルケットが掛かっているが、何も穿いていないということはなさそうだった。
「おう、康太」大樹はこう云ってヘッドボードの棚にある充電器にスマホをセットした。素裸かで突っ立っている康太を見ても驚くようすもない。「さあ、寝ようぜ」と云ってナイトライトを消し、ベッドに寝転がると、大きく伸びをして狼の遠吠えのような欠伸をした。
康太はゴクリと唾を飲みこんだ。と同時に、このままベッドに引きこまれたら、と身構えた。
「あの……森先輩……?」康太は、ようすを窺った。
「ん?」大樹は横向きになって、康太のほうを向いた。左肘を立てて頭を手で支える。「ああ、マイナス・ワンか?」
「は、はい……。今、何枚ですか?」
「気になるなら数えてみな」
大樹がタオルケットをめくった。
康太はざっと目算して、
「よ、四枚ですよ……ね?」
「ご名答!」大樹はこう応え、それから軽く笑った。「だけど律儀だな、おまえって。大野さんに何か云われたのか? 何枚着ようと、おれは構わないぞ」
「でも……」
「今までこの部屋でマイナス・ワンなんかしたことなかっただろ。それとも『実は裸族でした』ってか?」
大樹が右腕を伸ばした。康太は思わず後退りした。
「ほら、何枚でも好きなだけ着な」大樹は康太のベッドを指差した。
「は、はい」
康太は大樹に背を向け、そこから三歩進んで自分のベッドの前にしゃがんだ。ベッドの引き出し収納から着るべきもの選び、下着、ハーフパンツ、Tシャツの順に着た。それがすむとふり返って大樹のほうを見た。
「森先輩、これで好いですか?」
「マイナス・ワンは気にするなって云っただろ? 朝はまだ冷えるぞ」
大樹の声は優しい。
康太は慌てて引き出し収納からトレーニングウェアを取りだし、それを羽織った。
「森先輩、これで四枚です」
大樹が笑った。「五枚だけどな」
「えっ」康太は素っ頓狂な声を上げた。「森先輩、どういうことですか?」
大樹は、あはは、と軽く笑い、それからナイトライトを消すようにとジェスチャーで伝えた。「さあ、こんどこそ本気で寝るぞ。明日は駅前の商店街に連れて行ってやるからな」
「はい。お願いします」
康太は、ナイトライトを消してベッドに寝た。タオルケットを胸まで引きあげ、顔だけを大樹に向けて、
「森先輩、おやすみなさい」
「ああ」
康太はタオルケットの端をギュッと握りしめた。
——しばらくしたら森先輩が、こっちに来るのかも……。
——寝ぼけたふりで森先輩にされるがままでいれば……。
——怖くない、怖くない……あっ!
康太は思いかえした。さっき着替えるとき、素裸かの後ろ姿を大樹に曝していた。大樹は何も云わなかった。けれども、着替えを取ろうとしゃがんだときに、いちばん恥ずかしいところを見られていたのだった。
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