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第四章 人の噂も七十五日
12 ズドーン!
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すごい筋肉だったなあ。
康太は、浴室の壁に水切りワイパーを辷らせながら思った。顔だけ横に向けると、半透明の扉の向うで、勝利がバスタオルで豪快に拭いている姿がぼんやりと見える。浅黒い筋肉の鎧の上を、バスタオルの翼が飛びまわっているようだ。
勝利が片脚を大胆に洗面台に乗せた。黒い塊が揺れている。康太は慌てて壁のほうに顔を向けた。
オリエンテーション合宿のときのあれ、見られていたんだな……。
康太は、あのとき武志に云われたことを思い出した。
『ゴリ野さんはな、気に入った後輩がいると、さっきみたいに——』
またしても小悪戯をかけられたのだった。康太が勝利の背中を流し了えたあと、勝利はくるりとふり向いて、
「おれのバズーカ砲も手入れしてもらおうか」
と凄んだ。
康太は、後退りして浴室の扉に背中がつきそうになった。草原を流れる風のような爽やかな匂いが康太を包み、目の前には鋼のような胸板があった。勝利は扉の枠に両手をついて、康太の顔を、そのたくましい両腕で囲い込んだ。
「おまえ、デカ猪のを磨いてたよな? 寮長のおれのはやらないつもりか?」勝利は、康太の顔を覗きこんだ。
「お、大野先輩……」康太は急いでボディタオルを揉みこんで泡を立てはじめた。そして恐る恐る訊いた。「あ、あの……ラグビー部にも球磨きがあるんですか?」
勝利は、それには応えず、康太の手からボディタオルを取りあげると、目線を一瞬下ろして、
「ここを使え」
と云って、また康太の顔を見据えた。「特別におれの翼で泡立ての練習もさせてやる」
「え、あの……」康太は口ごもった。手は宙に泛いたままだ。
「ラグビー部に球磨きなんてあるかよ」勝利は快活に笑った。「引っかかったな」
康太は、しばらくのあいだ、口をぽかんと開けて立ちすくんでいた。
真顔で云うんだもん、信じちゃうよ。
今思い出しても、あたふたした自分が情けない。
「康太、出るときに換気扇ちゃんと回しておけよ」扉の向うで勝利が云った。「あと、おまえも濡れているならタオル使え」
「わかりました」
康太は、作業を了えて浴室から出た。
勝利が満足そうな笑みを泛かべながら、
「ああ、さっぱりした。サンキュー」
と云い、康太にバスタオルを手渡した。「これ頼んだぞ」
勝利は浴室を出ていった。
康太は、それほど濡れていないのに新しいタオルを使うのは申し訳なくて、勝利が使っていたバスタオルでさっと拭き、洗濯機の上の突っ張り棒に広げて引っ掛けた。
洗面所出ると、勝利がベランダに向っていた。もう部屋に戻って好いぞ、とは云われていない。康太は、勝利のあとを跟いていくことにした。
勝利はベランダに出ると、くるりと向きを変えて手すりに両腕を凭れかけさせ、右手の人差し指を鉤にして、康太を呼んだ。
康太は、
「大野先輩、失礼します」
と云って、ベランダに出た。
ベランダにはラグビー部らしく人工芝のマットが敷き詰めてあった。中央に小さな木製のテーブルが置いてある。
康太は思わず口にした。「楕円形?」
「ラグビー部だしな」勝利はさらりと云った。「おまえらのベランダは確か——」
「——水色の簀子です」
「森らしいよなぁ」愉快そうに笑うと、勝利はテーブルの前に腰を下ろし、胡座をかいた。「プールの更衣室ってわけか」
康太は、勝利とテーブルを挟んで立ったままだった。両脚を肩幅に展き、両手を腰の後ろで組んでいる。何か会話のきっかけでもあれば、と目だけ動かして辺りを見回した。
夜風がさっと流れた。そして暫しの沈黙——。
「康太、おれ云ったよな?」突然、勝利が口を開いた。「堅っ苦しいのは嫌いだって」
康太はビクッとした。「……は、はい」
「だったら、おまえも坐れ。それとも何か? おれに自慢のバズーカ砲を見せびらかしたいのか?」勝利は、バズーカ砲を右肩に構える仕草をした。狙いを康太の股間に向け、右手の人差し指でトリガーを引いた。「ズドーン! おれの勝ちだな」白い歯を見せて快活に笑った。
「そうじゃなくて……」
「おいおい、ノリが悪いなあ。もう一発いくぞ。ズドーン!」勝利が二発目を撃った。
「うっ!」康太は両手で股間を押さえ、うずくまった。もうやけくそだ。後ろに倒れ、人工芝に寝転がる。今や瀕死の状態だ。左手で股間を押さえたまま、右手を差しのべた。「大野さん……こ、降参です!」
「そうはいくか!」勝利は上機嫌で立上がった。テーブルに右脚を乗せると、康太を見下ろして狙いを定めた。「トドメを刺してやる。ズドーン!」
「うわぁ!」こうなったら最後まで附合うまでだ。康太は、思い切って左手も股間から放して両腕を投げだした。
「おっと、しまった」勝利がお道化た口調で云った。「月が出ている。しかも満月だ」
康太はゆっくりと起きあがった。その場で胡座をかく。「ほんとうですね」
「リトル・ウルフと云っても狼は狼だ。おまえを仕留めるには、あと二発は必要だな」勝利は右脚をテーブルに乗せたまま、右肩に担いだ見えないバズーカ砲を右手で支え、左手を腰に充ててポーズをとった。
康太は、話題を変えようと周囲を見回した。するとすぐ近くに見覚えのある小箱——大樹の喫煙セットと同じもの——があった。康太は小箱に手を伸ばした。
「大野先輩、これひょっとして喫煙セットですか?」
「おっ、よくわかったな」勝利がポーズをといて胡座をかいた。「おまえも吸うか?」
康太は小箱の蓋を開けて勝利に渡した。「ぼくは未成年ですから」
「好い心掛けだ」勝利はパッケージから煙草を一本振りだして、それを口に銜え、銀いろのジッポのライターを鳴らして焔を点けた。
康太はさっと身を乗り出し、夜風から焔を護るために、両手でライターを囲った。
「気が利くな」勝利はライターに煙草の先を近づけて焔を点けた。悠々と吸いこんで旨そうに白煙を吐きだす。そして狼煙のように白煙を立昇らせながら訊いた。「どこで覚えたんだ?」
「えっ?」
「ウルフ森か? デカ猪か? あいつらも喫煙者だ」勝利はまた煙草を深く吸った。
寮長の勝利もベランダで煙草を吸っている。ここは正直に云ったほうが良さそうだった。
「森先輩です。『ベランダは寮内じゃない。外だ』って……」
勝利が白煙を吐いた。「なるほど。ちゃんと狼から小狼に教育してるんだな。アダルトビデオはもう観たか? 解禁したばかりだが」
「今井先輩たちと一緒にしないでください」康太はちょっとだけ口を尖らせた。「とにかく、必要な規則だけを残して、古い慣習は無くすんですよね?」少し云いすぎたかもしれない。「あっ……すみません。つい調子に乗って」
勝利は、ははっ、と爽やかに笑った。携帯灰皿を手に取って立上がり、ベランダの外を向いて手すりに両腕を凭れさせた。太い腕、がっしりとした胴、引き締まった尻、そして柱のような長い脚——。康太はしばらく勝利の裸身に見惚れていたが、ああ、と気づいて立上がった。
勝利が肩ごしにふり向いた。「ん? なんだ、康太?」
「連れモクです」康太は、勝利の左隣りに立った。「森先輩が煙草を吸うときには、ぼくはこうして」犬笛を口に銜えてみせた。
「なるほど。おまえら下の階で毎晩、素っ裸かで連れモクしているわけだ」
「えっ」
勝利は携帯灰皿に煙草を押しこんだ。「下を見てみろよ。おまえの兄貴分が煙草を吸ってるぜ」
「あっ」
下を覗くと大樹の片手が見えた。その指先に挟まれている白いものは、明らかに煙草だった。
「康太、連れモクしなくて好いのか?」
勝利は向きを変えて部屋に戻った。康太もあとを追った。勝利は脱ぎ落とした康太の衣服を拾いあげると、そのままドアまで歩いていった。
「大野先輩?」
戸惑う康太をよそに勝利はドアを開けた。
「あの……ぼくの服……」
「ほらよ。さっさと行ってやれ」勝利は康太に衣服を手渡してドアの外に押しだした。「マイナス・ワンだ。おれは今、素っ裸かだろ?」
「えっ……」
「じゃあな、リトル・ウルフ」
勝利はこう云うと、とびっきり爽やかな笑顔でドアを閉めた。
康太は、浴室の壁に水切りワイパーを辷らせながら思った。顔だけ横に向けると、半透明の扉の向うで、勝利がバスタオルで豪快に拭いている姿がぼんやりと見える。浅黒い筋肉の鎧の上を、バスタオルの翼が飛びまわっているようだ。
勝利が片脚を大胆に洗面台に乗せた。黒い塊が揺れている。康太は慌てて壁のほうに顔を向けた。
オリエンテーション合宿のときのあれ、見られていたんだな……。
康太は、あのとき武志に云われたことを思い出した。
『ゴリ野さんはな、気に入った後輩がいると、さっきみたいに——』
またしても小悪戯をかけられたのだった。康太が勝利の背中を流し了えたあと、勝利はくるりとふり向いて、
「おれのバズーカ砲も手入れしてもらおうか」
と凄んだ。
康太は、後退りして浴室の扉に背中がつきそうになった。草原を流れる風のような爽やかな匂いが康太を包み、目の前には鋼のような胸板があった。勝利は扉の枠に両手をついて、康太の顔を、そのたくましい両腕で囲い込んだ。
「おまえ、デカ猪のを磨いてたよな? 寮長のおれのはやらないつもりか?」勝利は、康太の顔を覗きこんだ。
「お、大野先輩……」康太は急いでボディタオルを揉みこんで泡を立てはじめた。そして恐る恐る訊いた。「あ、あの……ラグビー部にも球磨きがあるんですか?」
勝利は、それには応えず、康太の手からボディタオルを取りあげると、目線を一瞬下ろして、
「ここを使え」
と云って、また康太の顔を見据えた。「特別におれの翼で泡立ての練習もさせてやる」
「え、あの……」康太は口ごもった。手は宙に泛いたままだ。
「ラグビー部に球磨きなんてあるかよ」勝利は快活に笑った。「引っかかったな」
康太は、しばらくのあいだ、口をぽかんと開けて立ちすくんでいた。
真顔で云うんだもん、信じちゃうよ。
今思い出しても、あたふたした自分が情けない。
「康太、出るときに換気扇ちゃんと回しておけよ」扉の向うで勝利が云った。「あと、おまえも濡れているならタオル使え」
「わかりました」
康太は、作業を了えて浴室から出た。
勝利が満足そうな笑みを泛かべながら、
「ああ、さっぱりした。サンキュー」
と云い、康太にバスタオルを手渡した。「これ頼んだぞ」
勝利は浴室を出ていった。
康太は、それほど濡れていないのに新しいタオルを使うのは申し訳なくて、勝利が使っていたバスタオルでさっと拭き、洗濯機の上の突っ張り棒に広げて引っ掛けた。
洗面所出ると、勝利がベランダに向っていた。もう部屋に戻って好いぞ、とは云われていない。康太は、勝利のあとを跟いていくことにした。
勝利はベランダに出ると、くるりと向きを変えて手すりに両腕を凭れかけさせ、右手の人差し指を鉤にして、康太を呼んだ。
康太は、
「大野先輩、失礼します」
と云って、ベランダに出た。
ベランダにはラグビー部らしく人工芝のマットが敷き詰めてあった。中央に小さな木製のテーブルが置いてある。
康太は思わず口にした。「楕円形?」
「ラグビー部だしな」勝利はさらりと云った。「おまえらのベランダは確か——」
「——水色の簀子です」
「森らしいよなぁ」愉快そうに笑うと、勝利はテーブルの前に腰を下ろし、胡座をかいた。「プールの更衣室ってわけか」
康太は、勝利とテーブルを挟んで立ったままだった。両脚を肩幅に展き、両手を腰の後ろで組んでいる。何か会話のきっかけでもあれば、と目だけ動かして辺りを見回した。
夜風がさっと流れた。そして暫しの沈黙——。
「康太、おれ云ったよな?」突然、勝利が口を開いた。「堅っ苦しいのは嫌いだって」
康太はビクッとした。「……は、はい」
「だったら、おまえも坐れ。それとも何か? おれに自慢のバズーカ砲を見せびらかしたいのか?」勝利は、バズーカ砲を右肩に構える仕草をした。狙いを康太の股間に向け、右手の人差し指でトリガーを引いた。「ズドーン! おれの勝ちだな」白い歯を見せて快活に笑った。
「そうじゃなくて……」
「おいおい、ノリが悪いなあ。もう一発いくぞ。ズドーン!」勝利が二発目を撃った。
「うっ!」康太は両手で股間を押さえ、うずくまった。もうやけくそだ。後ろに倒れ、人工芝に寝転がる。今や瀕死の状態だ。左手で股間を押さえたまま、右手を差しのべた。「大野さん……こ、降参です!」
「そうはいくか!」勝利は上機嫌で立上がった。テーブルに右脚を乗せると、康太を見下ろして狙いを定めた。「トドメを刺してやる。ズドーン!」
「うわぁ!」こうなったら最後まで附合うまでだ。康太は、思い切って左手も股間から放して両腕を投げだした。
「おっと、しまった」勝利がお道化た口調で云った。「月が出ている。しかも満月だ」
康太はゆっくりと起きあがった。その場で胡座をかく。「ほんとうですね」
「リトル・ウルフと云っても狼は狼だ。おまえを仕留めるには、あと二発は必要だな」勝利は右脚をテーブルに乗せたまま、右肩に担いだ見えないバズーカ砲を右手で支え、左手を腰に充ててポーズをとった。
康太は、話題を変えようと周囲を見回した。するとすぐ近くに見覚えのある小箱——大樹の喫煙セットと同じもの——があった。康太は小箱に手を伸ばした。
「大野先輩、これひょっとして喫煙セットですか?」
「おっ、よくわかったな」勝利がポーズをといて胡座をかいた。「おまえも吸うか?」
康太は小箱の蓋を開けて勝利に渡した。「ぼくは未成年ですから」
「好い心掛けだ」勝利はパッケージから煙草を一本振りだして、それを口に銜え、銀いろのジッポのライターを鳴らして焔を点けた。
康太はさっと身を乗り出し、夜風から焔を護るために、両手でライターを囲った。
「気が利くな」勝利はライターに煙草の先を近づけて焔を点けた。悠々と吸いこんで旨そうに白煙を吐きだす。そして狼煙のように白煙を立昇らせながら訊いた。「どこで覚えたんだ?」
「えっ?」
「ウルフ森か? デカ猪か? あいつらも喫煙者だ」勝利はまた煙草を深く吸った。
寮長の勝利もベランダで煙草を吸っている。ここは正直に云ったほうが良さそうだった。
「森先輩です。『ベランダは寮内じゃない。外だ』って……」
勝利が白煙を吐いた。「なるほど。ちゃんと狼から小狼に教育してるんだな。アダルトビデオはもう観たか? 解禁したばかりだが」
「今井先輩たちと一緒にしないでください」康太はちょっとだけ口を尖らせた。「とにかく、必要な規則だけを残して、古い慣習は無くすんですよね?」少し云いすぎたかもしれない。「あっ……すみません。つい調子に乗って」
勝利は、ははっ、と爽やかに笑った。携帯灰皿を手に取って立上がり、ベランダの外を向いて手すりに両腕を凭れさせた。太い腕、がっしりとした胴、引き締まった尻、そして柱のような長い脚——。康太はしばらく勝利の裸身に見惚れていたが、ああ、と気づいて立上がった。
勝利が肩ごしにふり向いた。「ん? なんだ、康太?」
「連れモクです」康太は、勝利の左隣りに立った。「森先輩が煙草を吸うときには、ぼくはこうして」犬笛を口に銜えてみせた。
「なるほど。おまえら下の階で毎晩、素っ裸かで連れモクしているわけだ」
「えっ」
勝利は携帯灰皿に煙草を押しこんだ。「下を見てみろよ。おまえの兄貴分が煙草を吸ってるぜ」
「あっ」
下を覗くと大樹の片手が見えた。その指先に挟まれている白いものは、明らかに煙草だった。
「康太、連れモクしなくて好いのか?」
勝利は向きを変えて部屋に戻った。康太もあとを追った。勝利は脱ぎ落とした康太の衣服を拾いあげると、そのままドアまで歩いていった。
「大野先輩?」
戸惑う康太をよそに勝利はドアを開けた。
「あの……ぼくの服……」
「ほらよ。さっさと行ってやれ」勝利は康太に衣服を手渡してドアの外に押しだした。「マイナス・ワンだ。おれは今、素っ裸かだろ?」
「えっ……」
「じゃあな、リトル・ウルフ」
勝利はこう云うと、とびっきり爽やかな笑顔でドアを閉めた。
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