[R-18] おれは狼、ぼくは小狼

山葉らわん

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第四章 人の噂も七十五日

12 ズドーン!

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 すごい筋肉だったなあ。
 康太は、浴室の壁に水切りワイパーを辷らせながら思った。顔だけ横に向けると、半透明の扉の向うで、勝利がバスタオルで豪快に拭いている姿がぼんやりと見える。浅黒い筋肉の鎧の上を、バスタオルの翼が飛びまわっているようだ。
 勝利が片脚を大胆に洗面台に乗せた。黒い塊が揺れている。康太は慌てて壁のほうに顔を向けた。
 オリエンテーション合宿のときの、見られていたんだな……。
 康太は、あのとき武志に云われたことを思い出した。
『ゴリ野さんはな、気に入った後輩がいると、さっきみたいに——』
 またしても小悪戯ちょっかいをかけられたのだった。康太が勝利の背中を流し了えたあと、勝利はくるりとふり向いて、
「おれのバズーカ砲も手入れしてもらおうか」
 と凄んだ。
 康太は、後退りして浴室の扉に背中がつきそうになった。草原を流れる風のような爽やかな匂いが康太を包み、目の前には鋼のような胸板があった。勝利は扉の枠に両手をついて、康太の顔を、そのたくましい両腕で囲い込んだ。
「おまえ、デカ猪のを磨いてたよな? 寮長のおれのはやらないつもりか?」勝利は、康太の顔を覗きこんだ。
「お、大野先輩……」康太は急いでボディタオルを揉みこんで泡を立てはじめた。そして恐る恐る訊いた。「あ、あの……ラグビー部にもがあるんですか?」
 勝利は、それには応えず、康太の手からボディタオルを取りあげると、目線を一瞬下ろして、
「ここを使え」
 と云って、また康太の顔を見据えた。「特別にで泡立ての練習もさせてやる」
「え、あの……」康太は口ごもった。手は宙に泛いたままだ。
「ラグビー部になんてあるかよ」勝利は快活に笑った。「引っかかったな」
 康太は、しばらくのあいだ、口をぽかんと開けて立ちすくんでいた。
 真顔で云うんだもん、信じちゃうよ。
 今思い出しても、あたふたした自分が情けない。
「康太、出るときに換気扇ちゃんと回しておけよ」扉の向うで勝利が云った。「あと、おまえも濡れているならタオル使え」
「わかりました」
 康太は、作業を了えて浴室から出た。
 勝利が満足そうな笑みを泛かべながら、
「ああ、さっぱりした。サンキュー」
 と云い、康太にバスタオルを手渡した。「これ頼んだぞ」
 勝利は浴室を出ていった。
 康太は、それほど濡れていないのに新しいタオルを使うのは申し訳なくて、勝利が使っていたバスタオルでさっと拭き、洗濯機の上の突っ張り棒に広げて引っ掛けた。
 洗面所出ると、勝利がベランダに向っていた。もう部屋に戻って好いぞ、とは云われていない。康太は、勝利のあとをいていくことにした。
 勝利はベランダに出ると、くるりと向きを変えて手すりに両腕を凭れかけさせ、右手の人差し指をかぎにして、康太を呼んだ。
 康太は、
「大野先輩、失礼します」
 と云って、ベランダに出た。
 ベランダにはラグビー部らしく人工芝のマットが敷き詰めてあった。中央に小さな木製のテーブルが置いてある。
 康太は思わず口にした。「楕円形?」
「ラグビー部だしな」勝利はさらりと云った。「おまえらのベランダは確か——」
「——水色の簀子すのこです」
「森らしいよなぁ」愉快そうに笑うと、勝利はテーブルの前に腰を下ろし、胡座をかいた。「プールの更衣室ってわけか」
 康太は、勝利とテーブルを挟んで立ったままだった。両脚を肩幅に展き、両手を腰の後ろで組んでいる。何か会話のきっかけでもあれば、と目だけ動かして辺りを見回した。
 夜風がさっと流れた。そしてしばしの沈黙——。
「康太、おれ云ったよな?」突然、勝利が口を開いた。「堅っ苦しいのは嫌いだって」
 康太はビクッとした。「……は、はい」
「だったら、おまえも坐れ。それとも何か? おれに自慢のバズーカ砲を見せびらかしたいのか?」勝利は、バズーカ砲を右肩に構える仕草をした。狙いを康太の股間に向け、右手の人差し指でトリガーを引いた。「ズドーン! おれの勝ちだな」白い歯を見せて快活に笑った。
「そうじゃなくて……」
「おいおい、ノリが悪いなあ。もう一発いくぞ。ズドーン!」勝利が二発目を撃った。
「うっ!」康太は両手で股間を押さえ、うずくまった。もうやけくそだ。後ろに倒れ、人工芝に寝転がる。今や瀕死の状態だ。左手で股間を押さえたまま、右手を差しのべた。「大野さん……こ、降参です!」
「そうはいくか!」勝利は上機嫌で立上がった。テーブルに右脚を乗せると、康太を見下ろして狙いを定めた。「トドメを刺してやる。ズドーン!」
「うわぁ!」こうなったら最後まで附合うまでだ。康太は、思い切って左手も股間から放して両腕を投げだした。
「おっと、しまった」勝利がお道化た口調で云った。「月が出ている。しかも満月だ」
 康太はゆっくりと起きあがった。その場で胡座をかく。「ほんとうですね」
「リトル・ウルフと云っても狼は狼だ。おまえを仕留めるには、あと二発は必要だな」勝利は右脚をテーブルに乗せたまま、右肩に担いだバズーカ砲を右手で支え、左手を腰に充ててポーズをとった。
 康太は、話題を変えようと周囲を見回した。するとすぐ近くに見覚えのある小箱——大樹の喫煙セットと同じもの——があった。康太は小箱に手を伸ばした。
「大野先輩、これひょっとして喫煙セットですか?」
「おっ、よくわかったな」勝利がポーズをといて胡座をかいた。「おまえも吸うか?」
 康太は小箱の蓋を開けて勝利に渡した。「ぼくは未成年ですから」
「好い心掛けだ」勝利はパッケージから煙草を一本振りだして、それを口に銜え、銀いろのジッポのライターを鳴らしてを点けた。
 康太はさっと身を乗り出し、夜風から焔を護るために、両手でライターを囲った。
「気が利くな」勝利はライターに煙草の先を近づけて焔を点けた。悠々と吸いこんで旨そうに白煙を吐きだす。そして狼煙のろしのように白煙を立昇らせながら訊いた。「どこで覚えたんだ?」
「えっ?」
「ウルフ森か? デカ猪か? あいつらも喫煙者だ」勝利はまた煙草を深く吸った。
 寮長の勝利もベランダで煙草を吸っている。ここは正直に云ったほうが良さそうだった。
「森先輩です。『ベランダは寮内じゃない。外だ』って……」
 勝利が白煙を吐いた。「なるほど。ちゃんと狼から小狼に教育してるんだな。アダルトビデオはもう観たか? 解禁したばかりだが」
「今井先輩たちと一緒にしないでください」康太はちょっとだけ口を尖らせた。「とにかく、必要な規則ルールだけを残して、古い慣習は無くすんですよね?」少し云いすぎたかもしれない。「あっ……すみません。つい調子に乗って」
 勝利は、ははっ、と爽やかに笑った。携帯灰皿を手に取って立上がり、ベランダの外を向いて手すりに両腕をもたれさせた。太い腕、がっしりとした胴、引き締まった尻、そして柱のような長い脚——。康太はしばらく勝利の裸身に見惚れていたが、ああ、と気づいて立上がった。
 勝利が肩ごしにふり向いた。「ん? なんだ、康太?」
「連れモクです」康太は、勝利の左隣りに立った。「森先輩が煙草を吸うときには、ぼくはこうして」犬笛を口に銜えてみせた。
「なるほど。おまえら下の階で毎晩、素っ裸かで連れモクしているわけだ」
「えっ」
 勝利は携帯灰皿に煙草を押しこんだ。「下を見てみろよ。おまえの兄貴分が煙草を吸ってるぜ」
「あっ」
 下を覗くと大樹の片手が見えた。その指先に挟まれている白いものは、明らかに煙草だった。
「康太、連れモクしなくて好いのか?」
 勝利は向きを変えて部屋に戻った。康太もあとを追った。勝利は脱ぎ落とした康太の衣服を拾いあげると、そのままドアまで歩いていった。
「大野先輩?」
 戸惑う康太をよそに勝利はドアを開けた。
「あの……ぼくの服……」
「ほらよ。さっさと行ってやれ」勝利は康太に衣服を手渡してドアの外に押しだした。「マイナス・ワンだ。おれは今、素っ裸かだろ?」
「えっ……」
「じゃあな、リトル・ウルフ」
 勝利はこう云うと、とびっきり爽やかな笑顔でドアを閉めた。
 
 
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