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第三章 貫通式

6 さっさとすましちゃおうぜ

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 ドアの外は、すでに照明が落とされていた。奥のベッドルームからほんのりと明かりが溢れている。二台のベッドのあいだに大樹が立っていた。部屋の奥のカーテンは左右に展かれ、掃き出し窓の枠に無言でもたれている。大樹の裸體は、外から差しこむ月明かりに照らされて、その輪郭と隆起をくっきりと泛びあがらせていた。
 大樹の右腕が動いた。
 康太は、はっとした。大樹が犬笛を手にしたのだ。その犬笛がゆっくりと大樹の口に運ばれる。それにあわせて腕の筋肉が波立つように動いた。大樹はさらに反対の手も上げ、その人差し指をかぎにすると、顔を少し傾けて、こっちへ来い、と合図した。
 康太はそのなだらか動きに心を奪われた。けれどもそれは一瞬のことで、大樹のもとへ急ぎ、一歩分の合間をとって大樹の前に立った。大樹が犬笛を咥え、大きく息を吸おうとする寸前だった。
「森先輩、お待たせしました」
「おう」
 大樹は、厚みを帯びた唇を凛々しく結び、そして康太を眺めおろした。まるで康太に考える時間を与えるかのようでもあり、そして康太の覚悟を問うかのようでもあった。
 ——ウルフだ!
 大樹の眼差を見た瞬間、康太はこう思った。もちろんアスリートならばゴールを狙ったり、得点を狙う際にこのような目つきになるものだが、大樹のそれには、憂い、悟り、慈愛のようなものが備わっていた。この眼差は、たくましい肉體、雄々しい毛、しなやかな身の動きと合わさって、群を離れた孤高の若い狼を康太に思い起こさせた。大樹には狼の美貌があったのだ。
 康太は胸のざわめきをひそめて云った。
「あの……」
「康太、怖いか?」
 康太は首を横に振った。
「康太——」大樹が重ねて訊いた。「?」
「……いいえ。森先輩は怖くありません」
「そうか」
 会話はここで途切れた。
 康太は、大樹を見上げたまま、これから起こることを頭に思い描いてみた。AVで観たことをこれからするのだ。それも男同士で、大樹と。いや、そうじゃない。大樹には——今、素裸かではあるが——AVに出てくる男優たちのようなギラギラした感じはない。だとすれば恋愛映画のベッドシーンのようなロマンチックなものだろうか。
 貫通式が始まるようすはない。ただ素裸かで向かいあわせに立っているだけだ。
 ——ぼくから森先輩に抱きついたほうが……。
 康太は、ランドリールームで大樹に抱きとめられたことを思い出した。あのときはTシャツがあいだにあった。けれども裸かの胸に飛びこんだような気がした。
 ——それともぼくがコンドームを森先輩に着けてあげて……?
 康太は枕元のコンドームに目を移した。
「あ、そうだ」大樹が思い出したようにこう云って、枕元のコンドームを手に取った。「おまえ、こんなのどこで覚えたんだ?」
「え」
「可愛い顔して、もう童貞じゃないとはな」大樹は、コンドームを手にしたまま、康太の額をつんと突いた。「さすが硬式野球部の期待の新人だ」康太のものをちらっと見て笑う。「このバットをぶんぶん振りまわしてホームラン量産してるってわけか。今まで何人とやった?」素直に白状しろと云うかのように、康太の顔を見つめた。
「あ、いや。あの……」
 本当のことを言うべきだろうか。笑ってやり過ごすべきだろうか。康太は焦った。康太を見つめる大樹のひとみに吸いまれそうになって、事実をすっかり話してしまいそうになる。
 大樹が沈黙を破った。
「——こういうのをやめようって、大野さんと話したんだ」
「え」
「『事情聴取』——上級生が新入生を質問攻めにする規則ルールだ。おれなんか正直に経験人数を話してしまって、あとが大変だったんだぞ。ウルフ森伝説みたいなのが作られてさ」大樹は、いささか自嘲めかして云った。「おまえも聞いただろう? 女子寮全制覇したとかいろいろ」
 貫通式が行われる。これから、この場所で。けれども陰鬱な雰囲気を破ろうとして大樹がこんな話をしてくれたのだと思うと、康太は自分からも何か云わなければと考えた。
「あの、森先輩……」
 けれどもその先が云えなかった。すると大樹の大きな手が康太の頭の上に降りてきた。康太は大樹を見つづけた。貫通式はやっぱり怖い。けれども大樹は怖くなかった。
 ——森先輩、悪いようにはしない、って云ってたっけ。
 康太は大樹をしかと見据え、決意を込めて頷いた。
 大樹が康太の頭に手をおいて微笑んだ。「康太、貫通式は一度きりだ。さっさとすましちゃおうぜ」
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