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第三章 貫通式
2 要らない規則は一緒に破ろう
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「森先輩、チャンネル替えますか?」
康太は気を遣って大樹に訊いた。
大樹はしばらく無言のままだったが、ふと気づいたように、
「あ、いや。このままでいい」
と云って、こたつテーブルのうえに白い紙袋を置いた。
「サンドイッチだ。食堂の水野さんがいつも部屋のまえのボックスにこっそり置いていってくれるんだ」
「四階まで上がってくるんですか? そんな気配なかったですけど」
「魔女だからね」大樹は、水のなかに沈むようにすっと腰を下ろした。白い紙袋からサンドイッチの包みを取りだす。
——あっ、マズい! どこかのタイミングで、場所を替わろうって云わないと……。
テレビの真正面の位置を大樹に譲るのをすっかり忘れていた。康太は、とりあえず今は会話を続けることを優先しようと瞬時に判断した。
「あのボックスって何なんだろうって思ってたんです」大樹とサンドイッチを交互に見て、ようすを窺う。「ところで、ぼくも水野さんって寮母さんのこと呼んだほうが好いですか?」
大樹はにこりと笑った。「どうして水野さんが『おばちゃんって呼んでくれ』って云っているか、教えてやろうか」
「スポンサーの関係とか?」
康太は冗談を口にした。
大樹が満足そうな顔で云った。「そのとおり。以前この寮にテレビの取材が来たときに、皆んなで水野さん、水野さんって呼んでいたんだよ。で、そのときの番組のスポンサーが同業他社だったってわけ」
「それは気まずいですね」
「水野さんなりにそのときのことを気にしているんだろうな」大樹は云いながらサンドイッチの包みをほどいた。「ほら、康太も食べろ。美味いぞ」
大樹は立上ってミニ冷蔵庫のところまで行き、紙パック入りのプロテインドリンクを手に戻ってきた。パッケージにはバナナの絵が描いてある。
「森先輩、これ、ぼくが飲んでも……」
「おれのスポンサーが大量に送ってくるんだよ。ひとりじゃ飲みきれないから、おまえにも飲んでもらうけど、いいな? これがこの部屋の規則だ」
「いただきます」康太は素直に受け取った。「ぼくもスポンサーがついたら、森先輩にお返ししますね」
大樹は目を細めた。「よろしく頼むぞ」
穏やかな時間が流れた。テレビには相変わらずあの女性アナウンサーが番組アシスタントとして出演している。最初は彼女を見て驚いたようすだった大樹も、すっかり気楽そうに番組を観ながらサンドイッチを食べ、プロテインドリンクで咽喉に流しこんでいた。
——森先輩も、あのアナウンサーさんのファンなのかな?
あり得る話だった。彼女は、雑誌やウェブの人気投票でもトップにランクインするくらいなのだから。ちょっと訊いてみよう。まずはサンドイッチを食べてしまってから……。
「森先輩、ごちそうさまでした」
「おまえ早食いなんだな。ゆっくり食べて好いんだぞ」大樹は最後のひと切れを手に取った。「高校で先輩より早く食べるように云われていたのか?」
康太は、はいと云って頷いた。それよりも女性アナウンサーの件だ。
「康太、さっき大野さんとミーティングしてきたんだけど。ちょっと待て——」大樹は、サンドイッチの最後のひと口を食べてプロテインドリンクを飲んだ。「寮の決まり事を少しずつ無くしていこうってことになったんだ」
康太は軌道修正しようと頭を使った。「でもある程度の決まり事はないと、隣りみたいに——」
「今井たちの部屋か? 何があった」
「いえ、あの、今井先輩じゃなくて、健司が……」
云って失言に気がついた。アダルトビデオの話から女性アナウンサーの話につなげることは不可能だ。
「話を聞こう」
大樹がテレビを消した。あのアダルトビデオの音声が、それとわかる音量で壁の奥から滲み出してきた。どうやらボリュームを大にしているらしい。聞き覚えのある女優の声に康太は項垂れてしまった。かなりハードな内容で、演技だとはわかっていてもドキドキしながら健司と観たあの作品だった。
「なるほどな」大樹が呟いた。そしてくすっと笑って康太に云った。「体育会系男子寮のあるあるじゃないか。どうせ今井のアダルトビデオを一緒に観ているんだろう。気にするようなことじゃない」
「健司のだと思います」康太は恐る恐る云った。
「どうして今井のじゃないと思ったんだ? 先輩だからって庇う必要はないんだぞ」
「だって、健司の好きな女優さんの——。あっ」
云えば云うほど話は望まない方向へ疾ってゆく。間接的に同じアダルトビデオを観たことがあると告白しているのも同然だ。大樹に何と思われるだろう。
すると大樹がテレビを点けた。「さて、こっちもボリューム大にしてやろうかな」
テレビのなかでは、女性アナウンサーがクイズの出題文を読みあげている。
大樹はテレビのボリュームを、隣りの音が気にならない程度に調節して、
「今日のミーティングで、アダルトビデオの持ちこみは解禁しようってことになったんだよ」
「どうしてですか?」
「禁止したってどうせ観るだろ? 今はスマホでそういう動画を観ることもできるしな」大樹は、あっけらかんと云った。「ただし条件付きだ。一、二年生は同室の上級生と一緒に観ること」
康太は少し考えて、
「つまり、その場に監視役が必要ってことなんですね。でもそれは建前で、要は皆んなで観ようって……」
大樹が頷いて、
「門限とかバイト禁止みたいな規則は残しておくべきだけど、形骸化した規則はいっそ解禁しようってのが大野さんの考えだ。まあ、おれも大野さんに賛成だな。康太、おまえはどう思う?」
「ぼくも賛成です」康太は快活に応えた。「集団生活なので、ある程度の規則は必要だと思うんです。でも今の時代に合わない規則も、きっとありますよね」ここまで云って、はっとする。「すみません、新入生なのに生意気云っちゃって」
「生意気なもんか」大樹が大きな手を伸ばして康太の頭をぽんぽんと叩いた。「可愛いだけじゃないんだな、おまえって。ちゃんと自分の考えを持っているし、堂々とそれを云える。大事なことだぞ」
「ありがとうございます」
話題はうまいこと逸れたし、褒めてもらえた。康太は、ほっと胸を撫でおろした。
「そこでだ——」
大樹が康太の頭から手を離し、こんどは肩に手を掛けた。
康太は、思わずドキリとした。
大樹は、映画に出てくるマフィアが密談をするかのように身を乗りだして顔をぐっと近づけ、片眉をあげて、いたずらっぽく笑った。「おまえと一緒に、この寮の規則で、もう要らないものを片っ端から破っていこうと思っているんだ。附合ってくれるよな」
康太は気を遣って大樹に訊いた。
大樹はしばらく無言のままだったが、ふと気づいたように、
「あ、いや。このままでいい」
と云って、こたつテーブルのうえに白い紙袋を置いた。
「サンドイッチだ。食堂の水野さんがいつも部屋のまえのボックスにこっそり置いていってくれるんだ」
「四階まで上がってくるんですか? そんな気配なかったですけど」
「魔女だからね」大樹は、水のなかに沈むようにすっと腰を下ろした。白い紙袋からサンドイッチの包みを取りだす。
——あっ、マズい! どこかのタイミングで、場所を替わろうって云わないと……。
テレビの真正面の位置を大樹に譲るのをすっかり忘れていた。康太は、とりあえず今は会話を続けることを優先しようと瞬時に判断した。
「あのボックスって何なんだろうって思ってたんです」大樹とサンドイッチを交互に見て、ようすを窺う。「ところで、ぼくも水野さんって寮母さんのこと呼んだほうが好いですか?」
大樹はにこりと笑った。「どうして水野さんが『おばちゃんって呼んでくれ』って云っているか、教えてやろうか」
「スポンサーの関係とか?」
康太は冗談を口にした。
大樹が満足そうな顔で云った。「そのとおり。以前この寮にテレビの取材が来たときに、皆んなで水野さん、水野さんって呼んでいたんだよ。で、そのときの番組のスポンサーが同業他社だったってわけ」
「それは気まずいですね」
「水野さんなりにそのときのことを気にしているんだろうな」大樹は云いながらサンドイッチの包みをほどいた。「ほら、康太も食べろ。美味いぞ」
大樹は立上ってミニ冷蔵庫のところまで行き、紙パック入りのプロテインドリンクを手に戻ってきた。パッケージにはバナナの絵が描いてある。
「森先輩、これ、ぼくが飲んでも……」
「おれのスポンサーが大量に送ってくるんだよ。ひとりじゃ飲みきれないから、おまえにも飲んでもらうけど、いいな? これがこの部屋の規則だ」
「いただきます」康太は素直に受け取った。「ぼくもスポンサーがついたら、森先輩にお返ししますね」
大樹は目を細めた。「よろしく頼むぞ」
穏やかな時間が流れた。テレビには相変わらずあの女性アナウンサーが番組アシスタントとして出演している。最初は彼女を見て驚いたようすだった大樹も、すっかり気楽そうに番組を観ながらサンドイッチを食べ、プロテインドリンクで咽喉に流しこんでいた。
——森先輩も、あのアナウンサーさんのファンなのかな?
あり得る話だった。彼女は、雑誌やウェブの人気投票でもトップにランクインするくらいなのだから。ちょっと訊いてみよう。まずはサンドイッチを食べてしまってから……。
「森先輩、ごちそうさまでした」
「おまえ早食いなんだな。ゆっくり食べて好いんだぞ」大樹は最後のひと切れを手に取った。「高校で先輩より早く食べるように云われていたのか?」
康太は、はいと云って頷いた。それよりも女性アナウンサーの件だ。
「康太、さっき大野さんとミーティングしてきたんだけど。ちょっと待て——」大樹は、サンドイッチの最後のひと口を食べてプロテインドリンクを飲んだ。「寮の決まり事を少しずつ無くしていこうってことになったんだ」
康太は軌道修正しようと頭を使った。「でもある程度の決まり事はないと、隣りみたいに——」
「今井たちの部屋か? 何があった」
「いえ、あの、今井先輩じゃなくて、健司が……」
云って失言に気がついた。アダルトビデオの話から女性アナウンサーの話につなげることは不可能だ。
「話を聞こう」
大樹がテレビを消した。あのアダルトビデオの音声が、それとわかる音量で壁の奥から滲み出してきた。どうやらボリュームを大にしているらしい。聞き覚えのある女優の声に康太は項垂れてしまった。かなりハードな内容で、演技だとはわかっていてもドキドキしながら健司と観たあの作品だった。
「なるほどな」大樹が呟いた。そしてくすっと笑って康太に云った。「体育会系男子寮のあるあるじゃないか。どうせ今井のアダルトビデオを一緒に観ているんだろう。気にするようなことじゃない」
「健司のだと思います」康太は恐る恐る云った。
「どうして今井のじゃないと思ったんだ? 先輩だからって庇う必要はないんだぞ」
「だって、健司の好きな女優さんの——。あっ」
云えば云うほど話は望まない方向へ疾ってゆく。間接的に同じアダルトビデオを観たことがあると告白しているのも同然だ。大樹に何と思われるだろう。
すると大樹がテレビを点けた。「さて、こっちもボリューム大にしてやろうかな」
テレビのなかでは、女性アナウンサーがクイズの出題文を読みあげている。
大樹はテレビのボリュームを、隣りの音が気にならない程度に調節して、
「今日のミーティングで、アダルトビデオの持ちこみは解禁しようってことになったんだよ」
「どうしてですか?」
「禁止したってどうせ観るだろ? 今はスマホでそういう動画を観ることもできるしな」大樹は、あっけらかんと云った。「ただし条件付きだ。一、二年生は同室の上級生と一緒に観ること」
康太は少し考えて、
「つまり、その場に監視役が必要ってことなんですね。でもそれは建前で、要は皆んなで観ようって……」
大樹が頷いて、
「門限とかバイト禁止みたいな規則は残しておくべきだけど、形骸化した規則はいっそ解禁しようってのが大野さんの考えだ。まあ、おれも大野さんに賛成だな。康太、おまえはどう思う?」
「ぼくも賛成です」康太は快活に応えた。「集団生活なので、ある程度の規則は必要だと思うんです。でも今の時代に合わない規則も、きっとありますよね」ここまで云って、はっとする。「すみません、新入生なのに生意気云っちゃって」
「生意気なもんか」大樹が大きな手を伸ばして康太の頭をぽんぽんと叩いた。「可愛いだけじゃないんだな、おまえって。ちゃんと自分の考えを持っているし、堂々とそれを云える。大事なことだぞ」
「ありがとうございます」
話題はうまいこと逸れたし、褒めてもらえた。康太は、ほっと胸を撫でおろした。
「そこでだ——」
大樹が康太の頭から手を離し、こんどは肩に手を掛けた。
康太は、思わずドキリとした。
大樹は、映画に出てくるマフィアが密談をするかのように身を乗りだして顔をぐっと近づけ、片眉をあげて、いたずらっぽく笑った。「おまえと一緒に、この寮の規則で、もう要らないものを片っ端から破っていこうと思っているんだ。附合ってくれるよな」
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