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第二章 401号室

4 リトル・ウルフ

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 康太がドキリとしたのとほとんど同時に、正面奥のガラス窓のほうから、
「おーい、康太!」
 と健司の呼ぶ声が聞こえた。
 康太は、半ば今いる場所から逃げるようにして部屋の奥のサッシに駆け寄り、それを開け、ベランダに飛びだした。
「健司、お待たせ」
「見てみなよ。すげえ見晴らしだぜ」
 康太と健司は蹴破り戸を挟み、胸からうえを手すりから外に出して顔を並べた。
 眼下には大学のキャンパスが広がっている。思った以上に広大な敷地だった。手前には体育館と運動場があり、講義棟や研修センターといった建物は奥のほうにある。康太たちは一番奥の大学の正門から、民族大移動と称して、長く急な坂道を登って高台にあるこの男子寮まで来たのだった。
 健司がため息を吐いた。
「東門と西門もあるんだろ? 何も態々わざわざ正門からグルッと遠回りしなくてもさあ」
「初日だからね。正門から出て、それから登るのが当然じゃない? 礼儀みたいなものと思えば気にならないよ」
 康太は極めて優等生風に云った。
「ところで康太のベランダは……」話題を変えるように健司が云いかけて、はははっ、と笑った。「なるほどね」
 見ると康太の脚許には、水いろのすのが敷き詰められていた。
「まるでプールのシャワー室だね。で、そっちは?」康太は、健司のベランダを覗きこんだ。「マウンドの土じゃなくて良かったね」
「まあ、本物の芝じゃないけどさ。これポリエチレンかな? まあ、いいや。畳も人工芝も草には変わらないし、今井先輩が気を遣ってくれたんだろうな」
「まさか。偶然だよ」
 部屋割りがいつ決まったのかにせよ、昨日の今日ので、同室相手の競技に合わせたベランダの敷物を準備できるはずはない、と康太は思った。自分の部屋のベランダがプールの簀子なのは大樹が水球部だからであり、健司の部屋のベランダが人工芝なのは武志が硬式野球部だからに過ぎない、と。
「杉野、さっさと荷物の整理ばせんか!」
 突然、隣りの部屋のなかから武志の野太い声がした。
 健司は部屋に向って、はーい、と甘えた口調で云い、康太に肩をすくめてみせた。
 康太は少し心配になって、低声こごえで、
「今井先輩が博多弁で話すときは、気をつけなよ」
 と健司に助言した。
「オッケー、康太。じゃあな」
 健司が部屋に向かい、入れ替わるように武志がベランダに出てきた。痛っ、と健司の声がした。すれ違いざまに武志が健司の頭を引っ掴んだのだ。
「よう、康太」武志が、ぬっと顔を出した。「杉野と密談でもしていたのか?」
 康太はすぐさまその場で直立した。
「今井先輩、さっきはすみませんでした。つい、口がすべってしまって……」
「まあ、杉野もいずれることになるだろうからな」武志は、もう気にしていないようだった。「おまえにもコードネームつけてやるよ」
「コードネーム……ですか?」
 康太は、突然の提案にきょとんとした。
 武志は、作戦を伝えるときのたくらみ声で云った。
。どうだ。気に入ったか?」
「……リトル・ウルフ?」
 康太が小首をかしげると、武志は、くくっ、と笑った。
「森が『ウルフ』なら、おまえは『リトル・ウルフ』だ」
 康太は少し考えて、
「ひょっとして、木が一本少ないからとか……?」
「おっ、勘が良いな」武志は、どれだけこの命名に満足しているのか、強面が台無しになるほど顔をほころばせている。「それに、おまえらふたり、似た者同士だしな。まるで実の兄弟みたいだ」
「……そうなんですか?」
「そのうちわかるさ」
 武志が、じゃあな、と手を振り、康太が頭をこくりと下げた。武志の顔が見えなくなると、康太は、ひとりベランダに残って、ぼんやりと空を見た。
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