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第一章 海軍の男

11 あいさつは立ってするもの

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 康太は、武志のあとを追って脱衣場に帰還した。戸口を出てすぐ左にタオル置き場がある。タオルは、大中小のサイズ別に並べられていて、すべて使い放題となっている。康太は、大と小のタオルを手に取った。
「おーい、康太」
 健司の呼ぶ声がきこえた。健司はすでに着替えをすませ、男子風呂の入口近くのベンチに腰掛けて、ほかの新入生たちと寛いでいた。
 康太は手をふって、健司に合図をおくると洗面台に立った。右隣りでは武志がタオルで頭をゴシゴシとこすっている。腰回りをまったく隠していないので、横一面に広がる鏡には荒々しい下腹部の草叢も、さっき康太が磨いたも映りこんでいた。
 ――先輩が隠してないのに、新人のぼくが隠してたら……。
 康太は、大のタオルを洗面台のうえに置いて、鏡からは自分の股間が見えないようにした。仕方なしに小のタオルで両腕を拭きながら、武志がこの場を立ち去るのを待った。
「康太、おまえもこの髪型してみないか? 似合うと思うぜ」ドライヤーで髪を乾かしながら、武志が云った。「どうだ? ソフトモヒカン。楽だぞ。おれが髪を摘んでやろうか?」康太のほうを向いて髪をかきあげてみせた。
「ショートヘアじゃないと、レギュラーになれないとかないですか?」康太は、武志の下半身を見ないようにして訊いた。
 それを聞いて、武志は笑った。「それともゴリ野さんみたいな髪型にするか?」
「誰がゴリ野だって?」いつの間に浴室から出てきたのか、勝利が割りこんできた。「それから、康太――」勝利は、康太のキープしていた大のタオルを、さっと手に取った。「新入生はタオル一枚までな。もらっておくぞ」勝利はタオルを肩にさっと羽織り、文字通り、翼を羽ばたかせるようにして、その場から立ち去った。
「さすがファルコン大野」武志が呟いた。
「ですね」康太は同調した。「なんだか動物園に迷い込んだみたいです」
「あと一匹いるな」武志は、笑いながら洗面台を離れた。
 康太は、誰も見ていないことを確認して、大のタオルに手をのばそうとした。
 そのとき、戸口がガラガラっと開いた。「おまえら、排水溝が詰まらないように、ちゃんと後始末するんだぞ」
 海軍の男の声だった。
 康太は、思わずタオルから手を引いた。「せ、先輩からどうぞ」
「サンキュー」海軍の男は、タオルを手にとった。それから中のタオルをひとつとって康太に渡した。「これ使え。小さいタオルじゃ無理だろ。ちゃんと拭かないと風邪ひくぞ」
「ありがとうございます」康太は礼を云った。
「おまえら陸軍の連中は、おれたち海軍とは違うからな」海軍の男は、片眉をあげて笑った。
「え」
 海軍の男は、康太の右隣りに立った。武志と同じく、何も隠すつもりはないらしい。
 康太は、俯いて頭を拭きながら、海軍の男を盗み見た。身づくろいだろうか、毛づくろいだろうか。自分と同じだろうかと、確認をしたかったのだ。
 海軍の男が髪を撫でつけるたびに、上腕の筋肉が波を打つように動き、わき腹には縄目のような筋が現れた。髪の毛をかきあげるたびに、腋窩の草叢があらわになる。そこから滴る水の雫が水晶のようにきらめいた。正面の鏡に目を移すと、滝のように流れる豊饒の毛が胸から腹へと矢印のような逆三角形をつくるせいで、いやでもその矢印の先に目が降りてゆく。
 康太は、格の違いを見せつけられたような気がした。これ以上、盗み見るのはやめようと、頭からタオルを外して両腕を拭こうとしたそのとき、目のまえにドライヤーがぬっと現れた。
「これ待ってたんだろ」
 海軍の男は、片眉をあげて微笑むと、その場を立ち去った。
 ひとり洗面台のまえに残った康太は、急いで全身を拭いた。あらかた拭き了えて、いざ脱衣かごへ、と思ったとき、重大な失敗をしたことに気が付いた。
 三人の男たちが、あの聖域に集まっていた。ファルコン大野、バッファロー今井、そしてウルフ森。彼らは着替えもせず、真裸かのままで何やら雑談をしていた。
 ――ぼくの脱衣かご!
 よりによって康太の脱衣かごのあるところに、海軍の男が立っていた。一番うえの棚にある脱衣かごに左手をかけたまま、右手をぶらぶらさせて話しこんでいる。
 ――健司も待っているし、ここは勇気を出して。
 康太は、男たちの輪のなかへ進んだ。前人未踏のジャングルに冒険するような気持ちになって……。
「おい、康太」
 武志が呼んだ。それは、康太が「森先輩、足許を失礼します」とことわりを入れて、一番したの棚から自分の脱衣かごをとろうとしゃがみこんだ、丁度そのときだった。
 康太がふり向くと、目のまえには足を大開おおはだけにし、肩にタオルを掛けただけの武志が長椅子に座っていた。そのうしろには、立ったままタオルで頭を拭きながら康太を見ている勝利がいた。康太は目の遣り処に困ったが、武志は康太の戸惑いを気にする様子もなく、「森にちゃんとあいさつしろ」と指示した。
 確かに浴室ではあいさつもそこそこだった。そこで康太が向きを変え、すぐ立上ろうとしたその瞬間、海軍の男の下半身が彼のすぐ目のまえに飛び込んできた。康太は、驚きのあまりバランスを崩し、尻餅をついてしまった。
 逞しい肉体、それを飾るように覆う体毛、それらに負けぬ存在感を放つ下半身。海軍の男の裸身は、したから見あげると何とも雄々しく、何とも艶かしく、何とも魅惑的で、圧倒された康太は、すぐには起きあがれなかった。
 すると海軍の男が康太の両わきに手をさっと差しこんで、康太をひょいと引きあげた。助けおこされた康太は、すぐに起立の姿勢をとり、海軍の男の顔を真っすぐに見つめた。
 康太が姿勢を正すと、海軍の男は両手を腰にあて、足を肩幅に開いてすっと立った。そして康太をしっかりと見つめながら語りかけた。
「あいさつは立ってしないとな」
 その長い睫をした眸はやさしさをたたえ、康太は思わず吸い込まれそうになった。
「硬式野球部一年の林康太です。よろしくお願いします!」
「水球部三年のもり大樹ひろきだ。よろしくな」
 あいさつがすむと、海軍の男は、大きな右手で康太の頭をぽんぽんと撫でた。
「可愛いな、おまえ」
「ありがとうございます。今井先輩の後輩です。可愛がってください」
「おいおい。まずは今井に可愛がってもらえ」
「はい。それでは失礼します」
 康太は軽く頭を下げると、両手に持った脱衣かごで自分の下半身をさり気なく隠しながら、健司のいるところへ歩いていった。
 康太は風呂場を出るとき、暖簾をそっとあげて、もう一度脱衣場を覗いた。
 さっきまで真裸かだった三人の男たちが、まるで示し合わせたかのように、一せいに着替えを纏いはじめていた。
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