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常に分厚い氷によって閉ざされた、全てが凍てつくような土地に、その領主の城はあった。

大きな国の北方領土に属してはいるが、そこは自治権を持っている。
そんなところに住みたいと思う人は稀だが、その領主の城の周りにはいくつかの街が存在していた。

街の人々は優しく情に厚いが、土地の者以外には警戒色が強く、心を閉ざしがちである。

その国の一部でありながらも独立した場所で、何者の侵入をも拒むようなその土地は長い間、謎に包まれていた。

ただ、その土地はその国にはなくてはならない存在である。
何故なら、その土地は魔力石と言われる特別で貴重な鉱物が豊富に採れるからだ。
また、そこに現れる魔物の毛皮なんかも非常に高級で上質な防寒着として、大層高値でやり取りがされていた。


普通、その地を訪れるのは、商人だ。
魔力石を奪おうともくろむ者達も昔から数多くいたが、その全てが厚い氷に阻まれた為に、今となってはそんなことを考える者もいなくなった。

その氷獄では、ただ粛々と時間だけが過ぎていく。
──そんな場所だった。



商売を生業として営む、とある子爵家の跡取りである男は、取引先であるその氷獄の大地に足を踏み入れ、そして無事に領主の城まで辿り着いた。

身体に纏わりつく結晶を玄関口で払っていると、目当ての人物である領主が、ピカピカに磨かれた氷の結晶で出来たような不思議な材質の階段を、コツン、コツン、と靴音を鳴らして降りてきた。


「どうも、わざわざこんな遠いところまでお越し頂きまして」
その領主はまだ若く、歳はもうすぐで十八になると聞いている。
白銀の髪と碧い瞳が印象的な、噂通りの美しい男だった。

「どうも、ではございません!貴方の姉君から、結婚について快諾の返事がきたというのに、その翌日には結婚の話はなかったことに……とは、どういうことですか!?」
子爵家の男は、不快そうな様子を隠すこともなく、やや興奮したように早口で唾を飛ばしながら捲し立てた。

落ち着いた物腰で柔らかな口調で話す領主と比べると、どちらが年上なのかわからない。

「こちらの都合で破談にしてしまったことは、本当に申し訳ありません。……しかし、親書にもお書き致しました通り、姉は貴方のところへ嫁げるような身体ではなくなってしまったのです」
「……ええ、書いてありました。姉君……レナエル殿に、不幸な事故が起きたと。しかし、私にはとても信じられません。どうか、本人と話をさせて頂けないでしょうか?」

領主は「勿論です」とゆっくり頷いた。
「しかし、あまり長い時間は取れません。姉は、身体が弱いので……」
「構いません!彼女に一目でも──」

領主の言葉を遮るように叫んだ男は、一度そこで言葉を失った。
領主の男の横に、車椅子に乗った女が音もなく現れたからだ。
領主の男そっくりな容貌だが、弟が碧い瞳であるのに対して、姉は朱色という違いがある。
また、短い弟の髪とは違って真っ直ぐに腰まで伸びる絹糸のような髪は、神秘的な輝きを放っていた。

領主の双子の姉、レナエル。
社交場には一切現れることなく、一目その姿を見た者達だけが噂をし、実在するのかしないのかさえわからないと言われる幻の妖精と呼ばれる女性だ。

「……この度は、本当に申し訳ございません……」
決して大きくはない声なのに、女の透き通るような美しい声は、はっきりと男の耳に届く。

「……レナエル殿。貴女が歩けなくなったというのは、本当なのでしょうか?」
領主の姉は、辛そうな表情でただ頷いた。
「お分かり頂けたでしょうか?姉は、商売を営んでいる子爵家の嫁としては、歓迎されにくい身体になったのです」
「……っっ」

仕事柄、国内のあちこちに出掛けることの多い男は唇を強く噛む。
男は、レナエルを一目見た時から恋に落ちていた。

けれども、車椅子の彼女を迎え入れるには、両親の説得をはじめ、それ相応の覚悟が必要であろう。
屋敷自体の大幅な改造も必要になってくるし、旅先での宿も、選ばなくてはならない。

男の瞳に、失望や諦めといった感情が色濃く映り、顔を歪ませた。

「こんな遠くまでわざわざ来て頂いたのに、申し訳ありません……」
レナエルは、苦渋の決断というにはあまりにも早い男の判断に気付いたようで、もうこれ以上話すことはないと頭を下げ、再び音もなくその場を後にした。

姉の姿が完全になくなったのを確認してから、弟は口を開く。

「こちらから破談を申し出ましたので、しっかりと金額を上乗せさせて慰謝料をお支払い致します。──では、帰り道もお気を付けて」

男は、入城した時の勢いはどこへやら、肩を落として踵を返す。
この城には、父に連れられて何度か訪れていたが、一度も泊めさせて貰ったことはない。

そのままその城を、レナエルへの恋心ごと振り返ることなく、男は去った。
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