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その4 なくなったのに消えない
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不思議なことだけれども、駒込にはなくなったはずなのに姿を残っているものがある。それもこれも、時間の川が緩急の波に乗りながら、途切れることなく次の流れに引き継ぎ引き継がれ、たゆたい続けているからだ。
勢い余る早瀬が淵にたどり着き、息を止めたように見えたとしても、信じてはいけない。淀んでいるように思えても実はひとときの欺きの姿でしかなく、伏せた眼の奥で闘志を燃やしていたり。それらが連綿とつながっており、ちょっとした裂け目から照り返す。
ここでの栄枯盛衰は、空いたから埋まるという椅子取りゲームと違って、根っこごと入れ替わってしまう感覚は薄い。席が空いても無くなったものはどこかにいる、あるいは在る、そんな感じ。完全に消え失せてはいないのだ。
たこ焼きなら焼けたそばから口に放り込む刹那の幸せに身を震わせるところだけれど、ここで感じる幸せは層が厚く、口の中で簡単にむに帰するものとはどこか違う。
「うちのもそこで作ってもらったんだよ」と、手と顔に刻んできた深い皺の奥からおじちゃんが枯れた声を絞り出した。
一人前の分量を“手”が覚えている。塊から切り出されるそれは、ゴツく固く、それでいてどことなくふくよかで、それでも軋み始めて幾年か経った手先にかかって“あるべき姿”に落ち着こうとしている。
あと少しすれば胃袋に落ち着くとんかつ。
小麦粉→卵→パン粉→ジュッ→・・・。
何十年も同じ手順、轍を踏みはずすことなくやってきた一連の仕事の途中で口を開いたことなんて、過去になんどあったろう?
「うちのもそこで作ってもらったんだよ」
霜降・染井商店街にはその歴史の川の先に西ヶ原商店街が続いている。今では門戸に乗じてにシャッターを閉め、ほとんど名ばかりの商店街となってしまったが、かつては栄華を極めた長江商店街の一画をなす実力者であった。
その西ヶ原商店街に、暖簾屋があった。
とんかつ屋にかかっている暖簾は、そこの職人の手によるもの。
藍で染めた生地は、経年による“朽ち”を蹴飛ばし“味”に向かっている。西ヶ原の暖簾職人の手による暖簾は、暖簾屋が看板を下ろした今もその仕事を人知れずこなしている。
時代はいろいろなものを力づくで均していったように思える現代社会ではあるけれども、吹けば冷めるようなファストフードと違って、風に吹かれてもなお熱を放ち続ける味というものがある。
もちろん、この地にあるものすべてが残り香を放っているわけではない。抗う時間のエネルギーは強大で、圧力に屈したものも少なくない。
学生の軽い財布にボリュームで応えた昭和なお好み焼き屋も、400円ラーメンの中華食堂も、豪快な量を小売で売る牛肉卸の店も、うなぎの寝床みたいなインド料理店も、女のコのいるスナックもキムチ専門店も、情熱を燻らせ続けることなく消えていった。
ここはまた、銀座ホステスの帰巣の地だったと年配の紳士が教えてくれた。ホステスたちは客を誘い、地元の寿司屋で値札のついていない寿司を食らう。大枚をはたいても身上を潰すことのない社用族が肩で風を切っていた、この商店街を支えた時代のうねり。
湯屋に続く夜の誘い水、千と千尋の神隠しのあの坂に連なる歓楽の誘惑を思い起こさずにはいられい、虹の裏舞台で繰り広げられるようなおぞましい色彩のまぐわり。
それらもすべて露と消えたバブルの夢。目にできる街の、見えなくなってしまった歴史の記録。
この街は、消えては浮かぶ大小、濃淡の息遣いが堆積してできている。
着物は着ないではないが、着る機会はめっきり減った。着物はノスタルジック。ノスタルジックに浸るには、浸るだけのゆとりが要る。
時代は今、そうしたゆとりをなかなか許してくれなくなった。
なのに、霜降銀座に残る呉服店に残る息遣いも、吹いて冷めるような類のものではなかった。
蝉が羽化でその爪を樹木に食い込ませるように、商店街にしっかり爪をたてて生き残っている。
割烹着にふんどし。
ご愛嬌かと思いきや、子どもの給食関連者に、祭りできりりと引き締める男集の股ぐらに、きっと今でも重宝されている。
業態変化だけが生き残りの道ではない。求められている限り、未来に伸びる道もある。
脳裏の片隅でとんかつ屋の暖簾が揺れた。それら全部をひっくるめて切れるものは切れ、つながるものがつながって今があるんだよ、と諭されたような気がした。
ここは時代に刻まれたあれこれを、有形無形で見せつけてくる街。それらは前後不覚に無造作に、出鱈目に姿を現しては飛び跳ねるように散らばっていく。だけどどこかで必ず結びついている。
今までそうしてきたように、これからもまた。
街の流れにその身が引き込まれた時にだけ、そのことが理解できる。
勢い余る早瀬が淵にたどり着き、息を止めたように見えたとしても、信じてはいけない。淀んでいるように思えても実はひとときの欺きの姿でしかなく、伏せた眼の奥で闘志を燃やしていたり。それらが連綿とつながっており、ちょっとした裂け目から照り返す。
ここでの栄枯盛衰は、空いたから埋まるという椅子取りゲームと違って、根っこごと入れ替わってしまう感覚は薄い。席が空いても無くなったものはどこかにいる、あるいは在る、そんな感じ。完全に消え失せてはいないのだ。
たこ焼きなら焼けたそばから口に放り込む刹那の幸せに身を震わせるところだけれど、ここで感じる幸せは層が厚く、口の中で簡単にむに帰するものとはどこか違う。
「うちのもそこで作ってもらったんだよ」と、手と顔に刻んできた深い皺の奥からおじちゃんが枯れた声を絞り出した。
一人前の分量を“手”が覚えている。塊から切り出されるそれは、ゴツく固く、それでいてどことなくふくよかで、それでも軋み始めて幾年か経った手先にかかって“あるべき姿”に落ち着こうとしている。
あと少しすれば胃袋に落ち着くとんかつ。
小麦粉→卵→パン粉→ジュッ→・・・。
何十年も同じ手順、轍を踏みはずすことなくやってきた一連の仕事の途中で口を開いたことなんて、過去になんどあったろう?
「うちのもそこで作ってもらったんだよ」
霜降・染井商店街にはその歴史の川の先に西ヶ原商店街が続いている。今では門戸に乗じてにシャッターを閉め、ほとんど名ばかりの商店街となってしまったが、かつては栄華を極めた長江商店街の一画をなす実力者であった。
その西ヶ原商店街に、暖簾屋があった。
とんかつ屋にかかっている暖簾は、そこの職人の手によるもの。
藍で染めた生地は、経年による“朽ち”を蹴飛ばし“味”に向かっている。西ヶ原の暖簾職人の手による暖簾は、暖簾屋が看板を下ろした今もその仕事を人知れずこなしている。
時代はいろいろなものを力づくで均していったように思える現代社会ではあるけれども、吹けば冷めるようなファストフードと違って、風に吹かれてもなお熱を放ち続ける味というものがある。
もちろん、この地にあるものすべてが残り香を放っているわけではない。抗う時間のエネルギーは強大で、圧力に屈したものも少なくない。
学生の軽い財布にボリュームで応えた昭和なお好み焼き屋も、400円ラーメンの中華食堂も、豪快な量を小売で売る牛肉卸の店も、うなぎの寝床みたいなインド料理店も、女のコのいるスナックもキムチ専門店も、情熱を燻らせ続けることなく消えていった。
ここはまた、銀座ホステスの帰巣の地だったと年配の紳士が教えてくれた。ホステスたちは客を誘い、地元の寿司屋で値札のついていない寿司を食らう。大枚をはたいても身上を潰すことのない社用族が肩で風を切っていた、この商店街を支えた時代のうねり。
湯屋に続く夜の誘い水、千と千尋の神隠しのあの坂に連なる歓楽の誘惑を思い起こさずにはいられい、虹の裏舞台で繰り広げられるようなおぞましい色彩のまぐわり。
それらもすべて露と消えたバブルの夢。目にできる街の、見えなくなってしまった歴史の記録。
この街は、消えては浮かぶ大小、濃淡の息遣いが堆積してできている。
着物は着ないではないが、着る機会はめっきり減った。着物はノスタルジック。ノスタルジックに浸るには、浸るだけのゆとりが要る。
時代は今、そうしたゆとりをなかなか許してくれなくなった。
なのに、霜降銀座に残る呉服店に残る息遣いも、吹いて冷めるような類のものではなかった。
蝉が羽化でその爪を樹木に食い込ませるように、商店街にしっかり爪をたてて生き残っている。
割烹着にふんどし。
ご愛嬌かと思いきや、子どもの給食関連者に、祭りできりりと引き締める男集の股ぐらに、きっと今でも重宝されている。
業態変化だけが生き残りの道ではない。求められている限り、未来に伸びる道もある。
脳裏の片隅でとんかつ屋の暖簾が揺れた。それら全部をひっくるめて切れるものは切れ、つながるものがつながって今があるんだよ、と諭されたような気がした。
ここは時代に刻まれたあれこれを、有形無形で見せつけてくる街。それらは前後不覚に無造作に、出鱈目に姿を現しては飛び跳ねるように散らばっていく。だけどどこかで必ず結びついている。
今までそうしてきたように、これからもまた。
街の流れにその身が引き込まれた時にだけ、そのことが理解できる。
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