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その2 主人不在の金魚鉢
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商店街の足下に今日も水が流れている。お江戸の古地図を記憶の抽斗から取り出せば、張り巡らされた水路のひとつがここにあったのにも合点がいく。
耳を澄ませても鼓膜に届かぬ密かな水の声は、記録を通じることで耳に届いてくる。
駒込の霜降・染井銀座は、谷田川という水路を暗渠化した上に成立する商店街。
ここにふたつめの不思議がある。
商店街に迷い込んだすぐのところ。左手に江戸をそのまま出現させたような小洒落た料亭ふうの二階屋が建っている。1931年から始まった暗渠化工事が終わった直後ほどに建てられたのだろうか。立地といい佇まいといい、申し分のない存在感を放っている。
看板には『滝乃寿し』とある。
寿司屋を主張しているのに、主人はいない。見習いもいなければ、客が訪ねることもない。
店はとうに閉められ、かつての栄華を煙をたてずに燻らせているだけだ。
なのに、二階屋の壁と一体化した水槽には、金魚が今でも尾を勢いよく泳がせている。
腰の高さほどに水が張られた水槽は、長手が1メートルはある巨大な金魚鉢。
覗いても、底は見えない。昼間であっても。
夜ともなれば闇の深さに肝を冷やされ、獲ってもいないあらゆるものを「置いてけ」の触手に絡め取られそうな不気味さを醸し出す。昼間見えたはずの金魚も、死んでしまったもののように底に沈み、姿は見えない。
主人を失くしたはずの金魚は今日を生き、明日に向かう。
誰が?
どうやって?
何のために?
テキストの袖が触れ、「ハンカチ落としましたよ」といったような古典のきっかけが紡いだ言葉に「60年前にはドジョウがいたわねえ」があった。
ドジョウ?
交わす言葉は尾を追って「今もいます、ドジョウ」と続き「3匹はいますよ」に繋がった。
人が、水路が運ぶ水のように結ばれていく。
「そういえば、カメもいたわねえ」
カメ、までも?
時を変えて宵闇の水槽を覗きにいった。
金魚は寝ぐらに戻り、そこに息遣いを感じることはなかった。
霜降・染井銀座は暗渠から見上げれば天空の未来。
金魚は、そしてドジョウもカメも、元々の住処である水路から、覗き込んでくる飼いならされてしまった人間の顔々を呆れ顔で見上げながら、息を殺して鼻で笑っている。
耳を澄ませても鼓膜に届かぬ密かな水の声は、記録を通じることで耳に届いてくる。
駒込の霜降・染井銀座は、谷田川という水路を暗渠化した上に成立する商店街。
ここにふたつめの不思議がある。
商店街に迷い込んだすぐのところ。左手に江戸をそのまま出現させたような小洒落た料亭ふうの二階屋が建っている。1931年から始まった暗渠化工事が終わった直後ほどに建てられたのだろうか。立地といい佇まいといい、申し分のない存在感を放っている。
看板には『滝乃寿し』とある。
寿司屋を主張しているのに、主人はいない。見習いもいなければ、客が訪ねることもない。
店はとうに閉められ、かつての栄華を煙をたてずに燻らせているだけだ。
なのに、二階屋の壁と一体化した水槽には、金魚が今でも尾を勢いよく泳がせている。
腰の高さほどに水が張られた水槽は、長手が1メートルはある巨大な金魚鉢。
覗いても、底は見えない。昼間であっても。
夜ともなれば闇の深さに肝を冷やされ、獲ってもいないあらゆるものを「置いてけ」の触手に絡め取られそうな不気味さを醸し出す。昼間見えたはずの金魚も、死んでしまったもののように底に沈み、姿は見えない。
主人を失くしたはずの金魚は今日を生き、明日に向かう。
誰が?
どうやって?
何のために?
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ドジョウ?
交わす言葉は尾を追って「今もいます、ドジョウ」と続き「3匹はいますよ」に繋がった。
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「そういえば、カメもいたわねえ」
カメ、までも?
時を変えて宵闇の水槽を覗きにいった。
金魚は寝ぐらに戻り、そこに息遣いを感じることはなかった。
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金魚は、そしてドジョウもカメも、元々の住処である水路から、覗き込んでくる飼いならされてしまった人間の顔々を呆れ顔で見上げながら、息を殺して鼻で笑っている。
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