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そこにいそうなのに、伸ばした手が届かない。

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-ネットは、近すぎず遠すぎずの距離感の関係がいいの。だからお断り。

 と彼女は書いてよこした。
 地場のネットワークでつながった彼女は、残業続きの日々、週末はひとりを謳歌したいから、わざわざ時間を合わせての“でえと”など煩わしさあっても一利なし、だからもってのほかだという。なのに人恋しさは別腹で「どこかでつながっていないと気がヘンになりそう」と肩を透かされる。SNSは問題ないのだ。

-でもね、地元の情報は欲しいのよ。あなたはどうなの?

=行ったことのないお店ってこんなにあったのかと驚かされてる。たしかにキミの言うことはわかる。

 いちどふたりきりのオフ会を断られた身としては、執着は自粛。金輪際、誘わないと決めていた。

 地場のSNSでの登録者は300人を超えている。その中でレギュラーの投稿者はせいぜい15人ほど。

 新しくお店がオープンしました。
 ここが閉まりました。
 ランチの内容これ!お得!!
 朝から飲めるのは市場御用達だから。
 入るのに勇気がいる居酒屋さん。

 この街に住んで10年になるのに、知らない店ばかりだった。
 知った店をアップすると、逆に珍しがられた。

 こんなお店、知らなかった。
 入ってみようと思っていたけどチャンスがなくて。

 SNSの地場コミュニティで知り合いネットでしかつながっていない彼らは、物理的空間の同じ時間に暮らしているはずなのに、誰とも交差したことがなかった。たったひとりとさえ。同じ街の違う時間を生きているみたいだった。
 別に出合いを求めての地場ネットワーク参加ではなかった。
 そりゃあ、いい出会いがあれば、という思惑がまったくなかったといえば嘘になる。仕事場の関係で越してからこっちも多忙が続き、3年前に彼女と別れてから浮いた話のひとつもない。
 不純な気持ち。
 たしかにあった。
 でも、そんなもん少しでも匂わせようものなら、総すかん喰らうことはわかっていた。
 人生、それなりに経験してきたんだもの。火傷やけどり傷なんて数えるのが面倒なほど抱えてる。

 初めてSNSってのやってみて、最初は戸惑ったけど、今ではどっぷりはまってる。
 だって、コミュニティの在り方がおもしろいんだもの。
 SNSには地場に名を知った(なかにはニックネームもあったけど)仲間がごろごろしていて過ごす空間と時間を共有しているのに、これまで誰とも接近遭遇しないんだぜ。てことは、この街を別次元で共有しているととれないこともない。
 中国の女流作家・リュウ慈欣ツシンの小説『三体』に共通するその世界は、投稿される文章と投稿写真の癖からしか想像しえないSNSの投稿仲間の顔や個性を通り越し、小説で展開された折りたたまれていく社会そのものにつながっていく。富裕層は日中に生き、降り注ぐ太陽光の下、優雅で贅を尽くした生活を謳歌する。かたや貧困層は夜に生き、肉体を酷使した裏方仕事で汗を流し、今日を切り抜ける。
 猛烈な発展を力技で帳尻を合わせる中国近未来のサイエンス・フィクションは、暴走し始めた妄想モードに歯止めをかけることなく火に油を注いでくる。経済を立て直すべく立ち上がった裏の政府が発展力の止まない中国を追う日本の捨て身業、最後の悪あがきにつながって、、、。
 妄想は、SNSを打つ、見るのスマホの5・5インチ画面を飛び出して、パノラマ大プロジェクションの映像を空想空間に投影させていく。

 思わず借りてきた本の読後感を投稿していた。


-私の趣味

 という文字がSNSの画面に浮かびあがった。あの彼女のものだった。
 彫金?
 彫金は枝毛のようにばらけた神経を1本にまとめ直す時間、とあった。
 彼女もまた、ひとり自分の神経をひとつのコトに集めている。
 テキスト以外で会話したことはなかったけれど、画面の向こうとこちらでつながれた気がした。


 日が明け、朝から慌ただしい時間を過ごしていた。
 規定より20分早い出社。いちど決めた課題で、それはきっちり守る。あと2分で家を出れば今日もまた目標クリアだ。
 こんな些細ささいな課題でも、きちんとこなせば幸せを感じる日々。
 これ以上のものは望まない。望んで実現したって、多忙が砂の城壁のように端のほうから崩していくに違いないから。
 がちゃり。マンションの扉に鍵をかけた。
 ん?
 お隣さんもちょうど出勤で家を出たところだった。
 あれ? そのペンダント。投稿写真の、、、。
 胸に光るアクセサリに目がいくと、彼女が視線を察して顔をこちらに向けてきた。
「あ、『三体』」」
 昨夜、読後感をアップした『三体』。帰りがけ図書館に返すつもりで小脇に抱えていた。

 お隣さんの顔は知っていた。でも、お互いに干渉せずを心得ていて、伏目がちに挨拶を交わす程度の間柄。

「まさか貴方だったとは」と彼女は顔に光彩を灯した。
「まさか貴女だったとは」

 その日、ぼくは初めて会社にジャスト・イン・タイムで出社した。
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