上 下
40 / 116

夢は捨てられない。

しおりを挟む
「お父さんずるい。夜中にこっそりやっていたでしょう!」

 コントローラーを操る父の手が妙にこなれていたので変だと思っていた。

「わかったか。美代には負けられないからな」

 小さいころからずっとゲーム機になじんできた父は、年甲斐もなくゲームで私に負けたくない。
 プレイステーションもWiiもX-BOXも、ぜんぶ父がそろえたものだ。
 そのどれもで私はかなわない。

「おかあさ~ん、またお父さんがズルしてる」

 母は決まって台所でペコちゃん人形みたいにぺこぺこ笑顔を揺らしている。

「あ、そこ、そんな技があったの?」

「はは、昨日発見したんだ」

「ほんっとにお父さんたら」

 ぴこぴこ。

 そんなお父さんが、私は大好きだった。
 こんなにゲームが好きなんだもの。私はお父さんのためにもゲームのクリエイターになるんだって、ずっと心に決めていた。

 だけど私が高校3年になった年、年にいちどの健康診断でお父さんに要精密検査のハガキが届いた。

「なあに、たいしたことないさ」

 元気に出て行ったのに、帰ってきたら魂が抜けたみたいになっていた。

「どうだった?」

「うん」

 返事が濁っていた。

 いつもの溌剌はつらつが蒸発したみたいだった。

「今の時代、本人に告知するようになったんだ」

 何それ?

 私には父の言っていることをうまく飲み込むことができなかった。

 母は「まさか」と息を呑んだ。「がん?」

 音という音がさっと引いていき、沈黙が尾を引いた。

 がん?

 まさか?

 しばらくすると父の、母の、私の、ざらついた感情の上をこすりつけるような、ぎこちない息の音が戻ってきた。

「ほんとうなんだ」



 父は入院した。

 症状はなかったのに、入院したらとたんに病人に見えた。
 病院のベッドは、健康な人をとたんに病気の人にする。


 それでも父は元気にふるまっていた。
 事実、笑顔が溌剌をふりまいている。

「回復してみせるさ」

 ところが、入院して間もなく執られた手術の直後、父はみるみるやつれていった。

「入院したのがいけなかったんじゃないの?」
 入院したとたんに病状が悪化するとテレビでやっていたのを思い出す。
 病院には、健康体を変異させるウィルスが蔓延まんえんしているのだ、きっと。
 そうとしか思えないほど、父の様子は急変していった。

 私が高校3年の春のことだった。


 進路は専門学校へ。ゲームを作る人になるつもりでいた。
 父も「いいじゃないか」と嬉しそうだった。

 だけど、日々やせ細っていく父を見ていたら、いたたまれくなって、呑気なことは言っていられないと思うようになっていた。

 私は人を助ける仕事がしたい。看護の仕事こそが私がやるべき仕事なのかもしれない。
 日に日にその思いが強くなっていく。

 ある日ベッドに身を沈めた父に、「私、看護の仕事をやる」と宣言した。

 父は力の入らなくなった体で眉をくっとあげてから、困った顔をした。
 それから目を閉じ、「そうか」と答えた。

 声は弱々しかった。

 自分の決めたことだ。お父さんは反対するつもりはない、と言ってくれたのだと思った。



 父は私が高校を卒業するのを待たずに他界してしまった。
 私は父に宣言したとおり、卒業後看護の勉強をして看護士になった。
 私がやりたかった仕事に就いたのだ。

 だけど、地に着く足が大地を踏み切れていないような違和感が襲った。
 人を助ける仕事をしているのに、どうしてだろうと不思議だった。

 お父さんだったら、何と言ってくれるだろう?

 その時、私は認めたくなかったことを認めざるを得ないことを覚悟した。
 そうなんだよね。助けたかったはずのお父さんは、もういないんだ。

 やっていることが、とつぜん虚しく思えてきた。
 心のままにやってきたけれど、気の迷いは大河の夢には敵わなかった。


 しばらくしてから、私は看護士を辞めた。
 辞めなければ学ぶ時間を作ることができなかったから。

 困った顔をしたあの時、お父さんは、本当は寂しかったのだと今ならわかる。
 目を閉じたのは、心に蓋をするため。
 本当は、ゲームのクリエイターになりたいんじゃないのか?
 お父さんのために本意を曲げているんじゃないのか?
 そんな理由で夢を諦めていいのか?
 お父さんが閉じた、本音。


 親を想ってくれるからこその我が子の決断を、その意志を、父は否定したくなかったのだ。



 私の時間が、父の病床に戻っていって再現されていく。

「お父さん。本当は私にゲームのクリエイターになってもらいたいんでしょう?」

 尋ねても父は答えてくれなかった。
 困ったような、悲しそうな顔をして、寝返って窓に目を向けた。
 私に向けられた背中が小刻みに揺れている。
 私に見えないように、父が泣いているのがわかった。


 お父さん、私、やっぱりゲームのクリエイターになる。
 お父さんが夢中になるようなゲーム、すぐには作れないかもしれないけど、やるだけのことはやってみる。
 見ててね。
 私、やっと本当のスタート・ラインに立てたような気がする。


 今ならわかる。
 私が叶えたかった大きな夢が実現する時、お父さんは曇った顔を緩めて、溌剌とした笑顔を私に向けてくれるということが。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【ショートショート】雨のおはなし

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
青春
◆こちらは声劇、朗読用台本になりますが普通に読んで頂ける作品になっています。 声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

夫の妊娠

廣瀬純一
大衆娯楽
妊娠した妻と体が入れ替わった夫が妊娠して出産をする話

吉田定理の短い小説集(3000文字以内)

赤崎火凛(吉田定理)
大衆娯楽
短い小説(ショートショート)は、ここにまとめることにしました。 1分~5分くらいで読めるもの。 本文の下に補足(お題について等)が書いてあります。 *他サイトでも公開中。

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜おしっこ編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショートの詰め合わせ♡

【ショートショート】おやすみ

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
◆こちらは声劇用台本になりますが普通に読んで頂いても癒される作品になっています。 声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

処理中です...