うどん屋の娘

阪上克利

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10時のお客様

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目が覚めた…と思い時計をみたら3時半だった。
中途半端な時間だ。
今から寝てしまっては仕込みに間に合わないし、かといって起きるのも嫌だ。
ぼーっとしながら布団の中で天井を見つめてみる。

前から気にはしていたことではあるんだけど、あたしの作るきつねうどんはお揚げの味が今ひとつである。
きつねうどんのお揚げだけはお父さんが仕込みをしていた。
具合が悪くなってからは、さすがにあたしがやったが思うように味が出せない。
このお揚げの味だけはお父さんから教わることができなかった。

『お揚げの味なんだけど…。』

あたしはお父さんが生きているうちに何度か聞いたことがある。
『今は自分で工夫しなさい。』
お父さんはそう言った。
寝たきりになったあとでもそれは一緒だった。
たぶん…そのうち教えてくれるはずだったのだとは思う。お父さんは自分の死に実感がわかなかったのかもしれない。だからあたしに大事なお揚げの味を教えそびれたのだろう。

お父さんが作るお揚げは甘辛くて…その中にもコクがあって…その味はうどんの出汁を邪魔しないけどきちんと主張する。うちのきつねうどんは本当に美味しい。
それはお揚げの味が出汁の味にぴったりと合っているからだ。

お揚げの味はきつねうどんの味に直結する。

あたしはゆっくりと布団から起きだして、仕込みを始めた。
まだ外は暗いが、出汁が温まり、麺を茹でる鍋に完全に火が入る頃には日も上がっているだろう。
今日はどんな日になるのだろうか。

あたしは誰もいないガランとした厨房の中で仕込みを開始した。
やり始めると時間はあっという間に過ぎる。
気が付けば開店の7時になっていた。
客席の方のテレビをつけると大きな音でニュースキャスターが今日のニュースを読み上げる。
何事かあったのかもしれないけど、なんだかんだあたしの周りは平和だ。
あたしはすぐに暖簾を出して表に出た。
足早に駅に向かう人たちがすでに何人かいる。
一体、日本人は何時から働いているのだろうか…。
いや…人のことは言えないが…。

開店してしばらくするとお店はそれなりに忙しくなる。
出勤前の朝ごはんを食べる人がそこそこいるからだ。
あたしは目の回るような忙しさで注文をとり、うどんを作った。
うちは昔からかつ丼などのサイドメニューはやっていない。というのも、お父さん一人ではそこまでできなかったし、あたしが手伝うようになってもそれは同じだったからだ。もしサイドメニューを増やしていきたいのならそれなりに人にも来てもらわなければならない。
ちなみに桜光高校の生徒に出しているバラ丼は学生限定である。
学生が来る時間ならそんなにお客さんもいないのでバラ丼の対応ができるのである。

あたしがふと気が付くと時計の針は10時を回っていた。
うどん屋に限らず、定食屋が一番暇な時間である。
この時間を利用して、ランチタイムの準備をしておく。
あたしは追加のうどんを打ち、出汁を作った。念のためお揚げも準備しておく。
夕方の時間は学生たちもやってくるからご飯とお肉、そしてキャベツの準備もしなくてはいけないが、それはランチタイムを終えてからでも十分間に合う。
今日はうどんが少し多めに残っていたからランチタイムの仕込みはそんなに大変ではなかった。

あたしがひと段落して、自分の朝ごはんを食べようとしていたときのことだった。
若いカップルがお店に入ってきたのだ。

『いらっしゃい。』
あたしは自分の朝ごはんを後にして注文をとりに行った。
テーブルに水をおいて、お客さんが何にするか決まるころもう一度行くことにする。
しかしこのお客さんはすぐにメニューが決まっていたようだ。
『すみません。きつねうどん2つで。』
『はい。』

あたしはすぐに厨房に行き、うどんを茹でた。
茹で加減は長くやっているから身体で覚えている。
お椀を温めて、うどんのお湯をしっかりときり、お椀に入れる。そして…お揚げを入れる。その後、切っておいた青ネギと少しだけってある白ごまを入れて出汁を注げば出来上がりだ。

『どうぞー。』

あたしはカップルのテーブルに二つのうどんを置いた。
二人がうどんを食べている間、あたしも厨房で自分用につくった賄いを食べた。
暖かい出汁が心にまで染みてくるような味だ。麺も出汁もネギも言うことはない。
これなら大きな問題はないはず。

『ごちそうさま~。』

カップルはあたしが食べ終わったぐらいのタイミングで食べ終わったようだ。
休みの日にしっかり寝坊をして、ゆっくり家を出てきて、朝ごはんは適当に駅前のうどん屋で食べて…これからデートだろうか。
会計を済ましてカップルはお店に出ていった。

出ていく時の二人の会話があたしの耳に届いた。
それはショッキングなものだった。
『ここのお揚げは今ひとつだね。』
『そうね。駅地下のお店の方が美味しかったわね。』

お揚げの味があまり…ということは分かっていたつもりだけにあたしはすごくショックだった。


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