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新入社員
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こんこん……。
運命が扉をたたく音がする。
なんだろう。
扉をたたく音を聞いて、かのベートーベンは『運命が扉をたたく音がする』と言い、『運命』という交響曲を作曲した。
確かに扉をたたくノックの音は人の運命を左右することがあるな……とあたしは思いながらも『どうぞ』と答えた。
『失礼します』
入ってきたのはスーツ姿の若い男性だった。
あたしより一回りは若い感じだった。あたしが34歳だから、彼は22歳ぐらいかな……。
『どうぞ』
あたしは空いている椅子に彼を座らせた。
気まずそうに入ってきた彼は下を向きながら自信なさげな表情で押し黙っていた。
『コーヒーでも飲みますか??』
『あ……はい……』
あたしは部屋を出ると給湯室でコーヒーカップを二つとり、軽く水で流してからインスタントコーヒーを入れた。
そしてこぼさないように部屋にもって帰った。
給湯室から相談室までは廊下をはさんですぐのところにある。
時計は午後の3時を指しており、あと2時間ちょっとで終業時間を迎える。
相談室の勤務になってから1週間。
初めての来訪者だ。
『どうぞ』
『あ……ありがとう……ございます』
『はじめまして。相談室の那珂心音です。』
あたしは言った。
何を話していいか分からないし、黙っていては空気が重くなるだけなので、まずは名乗ることにしてみた。
『あ……営業1課の石岡です』
『よろしくお願いしますね』
『あ……はい……』
『え――――と……』
『はい……』
あたしは石岡くんの顔を見た。
顎が細く、全体的にも線の細い、最近の若い男の子によくあるタイプの顔をしている。
何を話そうか?
ここに来た理由を聞いてみようか??
でもあたしだったら言いたくないな。ここに来るのだってやっとだったんだから……。
『いい天気だね』
あたしは窓の外を見て言った。
小春日和の午後は、気持ちのいい太陽の光が窓から差し込んできて、気持ちまで洗い流してくれそうだ。春先の3時と言えばすでに太陽は西に傾き始めるが、春の西日は優しく暖かな光を見せてくれる。
まさにこの時間は心休まる瞬間かもしれない。
しかしあたしの目の前に座っている石岡くんには、そんな午後のひと時を感じる余裕さえないのが一目でわかる。
『いい天気ですね……』
心そこにあらずと言った感じで彼は言った。
あたしはお構いなく話をする。彼の悩みは聞きださなくてもいい。自分が言いたいと思った時に話せばいいのだ。だから今は世間話をする。
『休みの日はなにしてるの??』
『休みの日ですか?? 家でのんびりしてます』
『のんびり?』
『はい……』
あたしは独身時代から今に至るまで休みの日、『家でのんびり』したことなどない。
家にいて読書をしたりTVをみたりすることはある。
たまに疲れていたら昼寝もする。
でも『のんびり』したことはない。
そもそも『のんびり』ってなんなんだろう。
『のんびりって??』
純粋に分からなくて聞いた。
『のんびりって……のんびりですよ……』
相変わらず自信のなさげな口調ではあるが、それ以外になんの答えがあるんだ、というような目をして石岡くんはあたしに答えた。
ここをつっこんでも仕方ないだろう。
そもそもこの会話に何か特別の意味などないのだ。
『彼女とかいないの?』
『いないです。』
『そうなんだ……それでのんびりしてるんだ……』
『そういうわけじゃないですけど……』
『え? 違うの?』
『いやそう違ってもいませんけど……』
どっちなのだろう。
はっきりしないが仕方ない。
『あの……』
石岡くんは話しづらそうに話を始めた。
『この仕事、ボクには向いてないのかな……って。』
彼にしては重大な告白だったのだろう。
歳を重ねていくと簡単に言えるこの手の言葉なのだが、石岡くんのように新入社員の若い頃にはなかなか言えることではない。
こんなことを言っても周りは『社会に出たばかりで何言ってるんだ』と叱咤激励するに違いないからだ。しかしその善意は当人にとっては苦痛でしかない。
あたしも経験があるからよく分かる。
時代は昭和の猛烈社員の時代ではなく、あたしの世代ぐらいから『マイペース』で生活する平成のゆとり社員の時代なのである。ゆとり社員は猛烈社員と違って仕事に対して強い義務感はない。
だから自分に合った仕事というのを常に考えてしまいがちだ。
そもそも『自分に合った仕事』を探すには若いうちの方がいいのだから、簡単に仕事を辞めることを考えるのはいただけないが、そのことを若いうちから考えるのは悪いことではないとあたしは思う。
それに、それはだれもが通る道で、新人の頃はだれもが感じることだ。
学生時代とは違う大人の社会のルールに慣れていくのにすぐに慣れる人もいればなかなかなじめない人もいる。
そういえば石岡くんは入社何年目なんだろう?
『石岡さんは入社何年目??』
『え……その……』
『今年入ってきたっぽいから、まだ1ケ月ぐらいかな??』
『あ……はい……』
適当に言ったが図星だったらしい。
彼は先ほどよりも自信なさげに下を向いた。
たぶん、石岡くんは『1ケ月ぐらいで何言ってるの』と言われることを予想しているのかもしれない。
でもあたしはそんなことを言うつもりはない。
社会人として経験を積んだものからすれば彼の悩みは取るに足りないものかもしれない。でも彼にとって今の悩みは山のように大きな問題なのだ。
『ここでの相談事は必要がなければどこにも外には出さないから安心してね』
あたしはまず守秘義務の説明をした。
新入社員が半年ぐらいで仕事が嫌になることなんて珍しいことではない。
嫌になるのはいろいろな理由があるが、その大半は人間関係がうまく構築できない場合が多い。
あたし自身、半年目で嫌になったことがある。でも今、考えてみたら嫌になった原因はすごくくだらないことだった。
上司の注意の仕方が嫌だ……とか。
取引先の人間に目の敵にされている……とか。
本当に一つ一つ思い返してみるとなんでこんなことで悩んでいたのだろうと思う。もっとうまく立ち回ればあんなに悩む必要もなかったのに……とも思うのだが、それはあたしが年相応の『経験』を積んだからに他ならない。
当時はそんな『経験』はないから必死に悩んだ。
もう世の中の終わりなのか……というぐらいに深刻になったりもしたのだ。
『この仕事の何が嫌なの?? 上司??? 同僚????』
『いや……人間関係は大丈夫なんですけど……』
石岡くんはこちらを向いて言った。
あたしには分かる。
それは嘘だ。
大丈夫なのは仕事の内容で人間関係は大丈夫ではない……とあたしは思った。
新人たちは与えられた仕事をなんとかこなすぐらいの能力はあるのだ。分からないことにぶち当たっても先輩などに聞きながらうまく仕事をこなすこともできる。
問題は……先輩などに聞きながら……の部分、つまり人間関係の部分だ。
同じことを聞いて怒られてしまったりすると自己嫌悪に陥ってしまい、次から分からないことがあっても聴けなくなってしまう。そして先輩の存在が完全に見えてしまい、ものすごくプレッシャーに感じることがあるのだ。
ただこれは、あくまであたしの推測の域をでないことなので、口に出して今の石岡くんに話すわけにも行かないから黙って彼の話を聞くことにした。
『なんだか……その商品を売るためになんでもする的な考え方についていけなくて……』
『そうねえ。あたしも行き過ぎたやり方ってどうかなって思う』
『ですよね。その……商品を売るために相手のことを考えずに相手先に押し掛けたり……考えられないですよ』
『相手あっての商売だからね。そういうことがあったの??』
『あ……いや……そこまではないんですけど……てゆうかあるってゆうか……』
『でもそれに近いことがあったから嫌になったのよね。なんか分かるよ』
『はい……。ありがとうございます』
『あたしは営業じゃないから分からないんだけど、近しい同僚とかには相談したの??』
『いや……その……』
相談していないはず。
間違いなく彼の悩みの相談は、営業部のだれも受けていないし、彼自身も理解してもらえないと決めているからしていない。
『してないです……』
『でもしなくていいと思うよ。なんか営業の人に言ったら『そんなの当たり前だ! お前は甘いんだ!』って言って怒られそうじゃん』
『そう……ですよねえ。オレ……甘いですよねえ。こんなことで嫌になるなんて』
『あたしはそうは思わないけど……』
『そ……そうですか……』
『だって仕事って嫌なことするから給料もらえるんだし……』
『ですよねえ……』
石岡くんの表情はさえないままだった。
『いい方法があるんだけど聞いてくれる?』
『え?! あ……はい』
『営業部の飲み会って次……いつかな??』
『飲み会……ですか?? え――っと……毎週金曜日は大体、飲みに行っているみたいですけど』
『……みたいってことは行ったことないの?』
『あ……はい……』
思った通りだ。
きっとあたしの予想が当たっていれば彼の悩みは上司や先輩との折り合いが悪いことだ。
しかし逆の立場から……つまり上司や先輩は彼をそこまで悪くは見ていない。もちろん仕事の上で必要なきつい言葉もたまにはかけるかもしれないが、それは彼を戦力として必要とみているからそうするだけなのである。
ただ、石岡くんのような精神的に芯の弱そうな新人はそれらの言葉をすべて真に受けてしまう。
話半分で、言われたことを10個のうち、1個できればいいやぐらいに思って仕事をすれば彼のようにストレスをため込まなくてもいいのだが、そういうメンタリティーがない彼のような人間はすべてできないことを真面目に悩んでしまうのである。
そして悩んでいるうちに上司や先輩から言われる強い言葉を、自身の人格否定にまでしてしまう。常識的には上司や先輩が言うことの方が正しいと理解できているから大きく悩んでしまうのだ。
実際、上司や先輩は入社してすぐの新人に多くを求めているわけではない。
仕事の上で言ってしまった強いことの大半はお酒の席でフォローされることが多い。
最近ではそういうお酒の付き合いは断ってもいいし、無理強いしてはいけないという世間の風潮になっているから、石岡くんのように飲み会に参加しないという若者は増えている。
あたしの時代の『ゆとり社員』は飲み会にも積極的に参加した。
まだあたしの頃は昭和の時代の名残があり、そういう飲み会への参加は半分以上、強制参加だったのだ。しかし、強制参加とはいえ、こういう飲み会に参加することによっても自分の悩みを解決することができる場合もある。
一気飲みの強要など悪い側面ばかりが見られてしまいがちな強制参加の『飲み会』だが良い側面もあるのだ。
『じゃあ……今週は嫌かもしれないけど行ってみたら? 仕事に対する見方が変わるかもしれないよ』
運命が扉をたたく音がする。
なんだろう。
扉をたたく音を聞いて、かのベートーベンは『運命が扉をたたく音がする』と言い、『運命』という交響曲を作曲した。
確かに扉をたたくノックの音は人の運命を左右することがあるな……とあたしは思いながらも『どうぞ』と答えた。
『失礼します』
入ってきたのはスーツ姿の若い男性だった。
あたしより一回りは若い感じだった。あたしが34歳だから、彼は22歳ぐらいかな……。
『どうぞ』
あたしは空いている椅子に彼を座らせた。
気まずそうに入ってきた彼は下を向きながら自信なさげな表情で押し黙っていた。
『コーヒーでも飲みますか??』
『あ……はい……』
あたしは部屋を出ると給湯室でコーヒーカップを二つとり、軽く水で流してからインスタントコーヒーを入れた。
そしてこぼさないように部屋にもって帰った。
給湯室から相談室までは廊下をはさんですぐのところにある。
時計は午後の3時を指しており、あと2時間ちょっとで終業時間を迎える。
相談室の勤務になってから1週間。
初めての来訪者だ。
『どうぞ』
『あ……ありがとう……ございます』
『はじめまして。相談室の那珂心音です。』
あたしは言った。
何を話していいか分からないし、黙っていては空気が重くなるだけなので、まずは名乗ることにしてみた。
『あ……営業1課の石岡です』
『よろしくお願いしますね』
『あ……はい……』
『え――――と……』
『はい……』
あたしは石岡くんの顔を見た。
顎が細く、全体的にも線の細い、最近の若い男の子によくあるタイプの顔をしている。
何を話そうか?
ここに来た理由を聞いてみようか??
でもあたしだったら言いたくないな。ここに来るのだってやっとだったんだから……。
『いい天気だね』
あたしは窓の外を見て言った。
小春日和の午後は、気持ちのいい太陽の光が窓から差し込んできて、気持ちまで洗い流してくれそうだ。春先の3時と言えばすでに太陽は西に傾き始めるが、春の西日は優しく暖かな光を見せてくれる。
まさにこの時間は心休まる瞬間かもしれない。
しかしあたしの目の前に座っている石岡くんには、そんな午後のひと時を感じる余裕さえないのが一目でわかる。
『いい天気ですね……』
心そこにあらずと言った感じで彼は言った。
あたしはお構いなく話をする。彼の悩みは聞きださなくてもいい。自分が言いたいと思った時に話せばいいのだ。だから今は世間話をする。
『休みの日はなにしてるの??』
『休みの日ですか?? 家でのんびりしてます』
『のんびり?』
『はい……』
あたしは独身時代から今に至るまで休みの日、『家でのんびり』したことなどない。
家にいて読書をしたりTVをみたりすることはある。
たまに疲れていたら昼寝もする。
でも『のんびり』したことはない。
そもそも『のんびり』ってなんなんだろう。
『のんびりって??』
純粋に分からなくて聞いた。
『のんびりって……のんびりですよ……』
相変わらず自信のなさげな口調ではあるが、それ以外になんの答えがあるんだ、というような目をして石岡くんはあたしに答えた。
ここをつっこんでも仕方ないだろう。
そもそもこの会話に何か特別の意味などないのだ。
『彼女とかいないの?』
『いないです。』
『そうなんだ……それでのんびりしてるんだ……』
『そういうわけじゃないですけど……』
『え? 違うの?』
『いやそう違ってもいませんけど……』
どっちなのだろう。
はっきりしないが仕方ない。
『あの……』
石岡くんは話しづらそうに話を始めた。
『この仕事、ボクには向いてないのかな……って。』
彼にしては重大な告白だったのだろう。
歳を重ねていくと簡単に言えるこの手の言葉なのだが、石岡くんのように新入社員の若い頃にはなかなか言えることではない。
こんなことを言っても周りは『社会に出たばかりで何言ってるんだ』と叱咤激励するに違いないからだ。しかしその善意は当人にとっては苦痛でしかない。
あたしも経験があるからよく分かる。
時代は昭和の猛烈社員の時代ではなく、あたしの世代ぐらいから『マイペース』で生活する平成のゆとり社員の時代なのである。ゆとり社員は猛烈社員と違って仕事に対して強い義務感はない。
だから自分に合った仕事というのを常に考えてしまいがちだ。
そもそも『自分に合った仕事』を探すには若いうちの方がいいのだから、簡単に仕事を辞めることを考えるのはいただけないが、そのことを若いうちから考えるのは悪いことではないとあたしは思う。
それに、それはだれもが通る道で、新人の頃はだれもが感じることだ。
学生時代とは違う大人の社会のルールに慣れていくのにすぐに慣れる人もいればなかなかなじめない人もいる。
そういえば石岡くんは入社何年目なんだろう?
『石岡さんは入社何年目??』
『え……その……』
『今年入ってきたっぽいから、まだ1ケ月ぐらいかな??』
『あ……はい……』
適当に言ったが図星だったらしい。
彼は先ほどよりも自信なさげに下を向いた。
たぶん、石岡くんは『1ケ月ぐらいで何言ってるの』と言われることを予想しているのかもしれない。
でもあたしはそんなことを言うつもりはない。
社会人として経験を積んだものからすれば彼の悩みは取るに足りないものかもしれない。でも彼にとって今の悩みは山のように大きな問題なのだ。
『ここでの相談事は必要がなければどこにも外には出さないから安心してね』
あたしはまず守秘義務の説明をした。
新入社員が半年ぐらいで仕事が嫌になることなんて珍しいことではない。
嫌になるのはいろいろな理由があるが、その大半は人間関係がうまく構築できない場合が多い。
あたし自身、半年目で嫌になったことがある。でも今、考えてみたら嫌になった原因はすごくくだらないことだった。
上司の注意の仕方が嫌だ……とか。
取引先の人間に目の敵にされている……とか。
本当に一つ一つ思い返してみるとなんでこんなことで悩んでいたのだろうと思う。もっとうまく立ち回ればあんなに悩む必要もなかったのに……とも思うのだが、それはあたしが年相応の『経験』を積んだからに他ならない。
当時はそんな『経験』はないから必死に悩んだ。
もう世の中の終わりなのか……というぐらいに深刻になったりもしたのだ。
『この仕事の何が嫌なの?? 上司??? 同僚????』
『いや……人間関係は大丈夫なんですけど……』
石岡くんはこちらを向いて言った。
あたしには分かる。
それは嘘だ。
大丈夫なのは仕事の内容で人間関係は大丈夫ではない……とあたしは思った。
新人たちは与えられた仕事をなんとかこなすぐらいの能力はあるのだ。分からないことにぶち当たっても先輩などに聞きながらうまく仕事をこなすこともできる。
問題は……先輩などに聞きながら……の部分、つまり人間関係の部分だ。
同じことを聞いて怒られてしまったりすると自己嫌悪に陥ってしまい、次から分からないことがあっても聴けなくなってしまう。そして先輩の存在が完全に見えてしまい、ものすごくプレッシャーに感じることがあるのだ。
ただこれは、あくまであたしの推測の域をでないことなので、口に出して今の石岡くんに話すわけにも行かないから黙って彼の話を聞くことにした。
『なんだか……その商品を売るためになんでもする的な考え方についていけなくて……』
『そうねえ。あたしも行き過ぎたやり方ってどうかなって思う』
『ですよね。その……商品を売るために相手のことを考えずに相手先に押し掛けたり……考えられないですよ』
『相手あっての商売だからね。そういうことがあったの??』
『あ……いや……そこまではないんですけど……てゆうかあるってゆうか……』
『でもそれに近いことがあったから嫌になったのよね。なんか分かるよ』
『はい……。ありがとうございます』
『あたしは営業じゃないから分からないんだけど、近しい同僚とかには相談したの??』
『いや……その……』
相談していないはず。
間違いなく彼の悩みの相談は、営業部のだれも受けていないし、彼自身も理解してもらえないと決めているからしていない。
『してないです……』
『でもしなくていいと思うよ。なんか営業の人に言ったら『そんなの当たり前だ! お前は甘いんだ!』って言って怒られそうじゃん』
『そう……ですよねえ。オレ……甘いですよねえ。こんなことで嫌になるなんて』
『あたしはそうは思わないけど……』
『そ……そうですか……』
『だって仕事って嫌なことするから給料もらえるんだし……』
『ですよねえ……』
石岡くんの表情はさえないままだった。
『いい方法があるんだけど聞いてくれる?』
『え?! あ……はい』
『営業部の飲み会って次……いつかな??』
『飲み会……ですか?? え――っと……毎週金曜日は大体、飲みに行っているみたいですけど』
『……みたいってことは行ったことないの?』
『あ……はい……』
思った通りだ。
きっとあたしの予想が当たっていれば彼の悩みは上司や先輩との折り合いが悪いことだ。
しかし逆の立場から……つまり上司や先輩は彼をそこまで悪くは見ていない。もちろん仕事の上で必要なきつい言葉もたまにはかけるかもしれないが、それは彼を戦力として必要とみているからそうするだけなのである。
ただ、石岡くんのような精神的に芯の弱そうな新人はそれらの言葉をすべて真に受けてしまう。
話半分で、言われたことを10個のうち、1個できればいいやぐらいに思って仕事をすれば彼のようにストレスをため込まなくてもいいのだが、そういうメンタリティーがない彼のような人間はすべてできないことを真面目に悩んでしまうのである。
そして悩んでいるうちに上司や先輩から言われる強い言葉を、自身の人格否定にまでしてしまう。常識的には上司や先輩が言うことの方が正しいと理解できているから大きく悩んでしまうのだ。
実際、上司や先輩は入社してすぐの新人に多くを求めているわけではない。
仕事の上で言ってしまった強いことの大半はお酒の席でフォローされることが多い。
最近ではそういうお酒の付き合いは断ってもいいし、無理強いしてはいけないという世間の風潮になっているから、石岡くんのように飲み会に参加しないという若者は増えている。
あたしの時代の『ゆとり社員』は飲み会にも積極的に参加した。
まだあたしの頃は昭和の時代の名残があり、そういう飲み会への参加は半分以上、強制参加だったのだ。しかし、強制参加とはいえ、こういう飲み会に参加することによっても自分の悩みを解決することができる場合もある。
一気飲みの強要など悪い側面ばかりが見られてしまいがちな強制参加の『飲み会』だが良い側面もあるのだ。
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