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出会いと学生生活
どうでもいい反応と高校生活について
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高校生活はのんびりとしたものだったと記憶している。
殺伐とした中学生活を思い出すと、高校生活は本当に時間がゆっくり流れているような感じだった。
ボクは中学時代にいい思い出がない。
少し、中学の時の話をしたいと思う。
中学に入学した時、ボクは小学校の延長の気持ちで中学生活を始めた。
実はボク以外の周りはそうではなかった。
思春期の時期は大人になりたがる。
周りはみな、いつまでも小学生ではなかった。つい昨日までみんなで楽しんでいた遊びを中学に入学した瞬間、みんながしなくなった。
小学生の頃には着ることのなかったブカブカで新しい制服を着て、今までより遠くの学校に通うようになって、ただでさえ環境が変わったにもかかわらず、周りのみんなが大きく変わってしまったことに、ボクは戸惑いを隠せなかった。
自分はまだ子供であり、子供らしい遊びをしてもいいし、いきなりそんなに背伸びをしても仕方ない、とその当時のボクは思っていた。背伸びをするということはそれなりに無理をするということで、無理をするということはガマンしなければいけないということである。
人生においてガマンは肝要であることはさすがに当時でも理解はしていたが、この場合のガマンは単なる『背伸び』であって必要なガマンではないので、別にガマンしなくてもいいところでガマンするのは納得ができなかったから、ボクは自分を変えなかった。
しかしそんなボクを尻目に周りはどんどん変わっていき、ボクを相手にしてくれる友人は少なくなった。
中学に入学したばかりのときはそんな毎日で、しかも中間テストや期末テストという大きな試験があるという意味でも小学校の時とは大きく環境が変わった。
いくら自分が変わりたくないからと言っても、ある程度周りに合わせていかないと、自分の周りには誰もいなくなってしまう。ボクが一人でも平気な人間ならそれでも大丈夫だっただろう。しかし無類の寂しがり屋であるボクは一人でいることなど基本できない。
だから仕方なく自分を変えた。
好きだったアニメも見なくなったし、ミニ四駆も辞めた。
今まで夢中になってやっていた遊びをすべて辞めてしまったのだ。
友人たちの多くは部活動に夢中になっていたが、ボクは何か部活をしたいとは思わなかった。
というのも、ボクが通っていた中学は体育会系の部活がそのほとんどだったからだ。
ボクは走るのが遅かったので体育会系の部活はやろうとは思わなかった。
だから帰宅部しか選択肢はなかった。
のちに美術部に入部したが、当時は絵には興味もなかったのですぐに辞めてしまった。
中学1年の頃はすべてになにがなんだかよく分からなかった。気が付けば中学生活の最初の1年間は終わっており、ボクはどうにもなじめない中学生活を送っていた。
中学2年になればさすがのボクもいろんなことに慣れてきた。中学生活にも慣れてきたし、『釣り』といういわゆる大人の趣味も覚えることができた。
激しい変化があったのは中学3年の頃だった。
後で聞いた話であるが、中学3年になると同じ学校に『先輩』がいなくなることから、急激に好き勝手する者が増えるらしい。
髪の毛は当たり前のように茶髪にする者が多かったし、変形ズボンを履いている奴らも急激にボクの周りに増えたような気がする。
とにかくボクは、争いごとがキライである。
にもかかわらずそういうやつらはなぜかボクのような人間を相手にしてはなんらかの脅しを加えたりする。今でいう陰湿ないじめという感じではないにしても、喧嘩がキライでかなりのビビリであるボクに対してはこういう脅しが精神的に一番つらいのだ。
多分、脅している方としてはちょっとからかっているだけなのかもしれないが、当時のボクにはあの怖さは筆舌できないものがあった。
今はどうか……と言われると、まずそういう脅しを受けることはないし、受けたとしたら弁護士のところに行けばいい。大人社会は法律に守られているので、そんなに脅しに屈する必要はないのだ。
しかし子供社会においては『少年法』という現代社会において子供社会を『無法地帯』にできる法律があるおかげで、力の弱い者は常にビクビクしながら生活しなければならない。
ならば武道などを行い精神的なところから鍛えればいいではないか……という意見には一理あると、ボクも思うのだが、ただそれでは問題の根本は解決しない。要は、力のあるものが『暴力』によって力のないものを従わせるという縮図を解決すべきであって、いじめられそうな弱い子を武道で精神から鍛えたとしても、あくまでそういった子供社会の縮図を解決していかないことには抜本的な解決にはならないのだ。
あまつさえ、武道を学んだとしてもその高潔な精神を学ぶことはできず、殺傷能力だけ身に着けてしまえば、『仕返し』という形での『暴力』を生むかもしれないからだ。
この問題に関しては『力』に対して『力』で解決するわけには行かないという非常に難しい問題がつきまとうのである。
クラスの不良たちに絡まれるのが嫌で学校に行かないこともしばしばあったのだが、実は彼らも本気でボクが学校に来ないことを望んでいたわけではないことは今になってなんとなく分かる。
こうやって書いてみると少しではあるがいい思い出も思い出すことができるのだから、慣れない中学生活ではあったが、かけがえのないものでもあったとも言えるのかもしれない。
大体、ボクはどうにものんびりした性質なので、急激な変化に対応することが著しく苦手なのである。だからこそ、学生生活の中で進級や卒業のたびに、生活環境の急激な変化を感じては落ち込んだり悩んだりして、他の友人たちと比較してずいぶんとゆっくり時間をかけながらその変化になじんでいっていた。
遠く昔を振り返ると幼稚園から小学校に進級したときもそうだったように思える。とにかく授業や宿題というものにその時期はついていけなかったと記憶している。
中学生活以外でも変化に対応できなかった、といえばやはり社会に出た時が特にそれが顕著だった。
こんな風にいちいち変化してそれについて行くのにこんなにも苦労しなければいけないのなら、小学校の高学年ぐらいで最初から社会に出ることができればいちいち苦労もしないのになあ……と思うことがある。
中学ではめまぐるしく周りが変化していったように見えたから、高校時代は本当にのんびりしたものだった。
高校生にもなると思春期まっただ中の中学生とは違ってずいぶんと大人になるからである。
高校生活がのんびりしたものだったかどうかは実に保田くんとは意見が異なるだろうと思う。
彼は意外なことに変化に対応できる男なのである。
対応できる……というかどちらかと言えば精神的に『打たれ強い』のであろう。
高校生活においてボクはのんびりしていたと考えるのに保田くんは正反対の意見を持っているであろうその理由は中学3年の頃のボクのような状態に保田くんが陥ったからである。
そもそも工業高校なんて学校は『悪のたまり場』であり、そこに入学してくる生徒の半数以上は髪の毛を金髪か茶髪に染め上げ、変形ズボンに短ランを着た、かなりイカツイ奴らである。
となれば、間違いなくボクのような根性のないやつは彼らの『からかい』の対象になるであろうことは容易に想像できた。
ボクは中学の時と同じ|轍は踏まないと心に決めていたからそういうやつら相手でも嫌なことは嫌だとはっきり言うことに決めていた。
もちろん、それは喧嘩を売るわけではない。
ただできないことは『悪いけどできないよ。』と断るだけの行為である。
何度も言うがボクらが受けてきたこの手の脅しは、今の陰湿ないじめとはかなり性質の異なるものであるから、ちゃんと断れば喧嘩になることなどないし、こちらは喧嘩する気など最初からないわけだから、必要以上に相手を刺激しなければ、最悪な結果には陥らないのである。
ただ、中学時代にボクのような経験をしてこなかった保田くんはそれができなかった。
前述したが、保田くんの断り文句には『できない。』という強い意志が微塵も感じられなかったので、そこにつけ込まれることは多かったように感じる。
とにかく保田くんは断らなかった。
だから彼らもそれを利用したのだろう。
実際問題ボクもそれを利用していた人間の一人なので、高校時代のイカツイ奴らのことを悪く言う気にはなれないのである。
保田くんは彼らから『ヤス』と呼ばれていた。
だから彼はヤスと呼ばれるのを嫌う。ボクはなかなかうまい呼び方だなとも思うのだが、彼の中では嫌な思い出と共に思い出されるこの呼び名では呼んでほしくはないのだろう。
まあ、それはボクが中学時代をあまり振り返りたがらないのと同じ理由である。この点について長く触れるのは保田くんの黒歴史について長々と語ることになるので辞めることにする。
ただ、そんな中、彼は学校を欠席することは少なかったから、中学時代に学校を休みがちだったボクにくらべればさほど悩んでもいなかったのかなとも思う。
前述したように精神的に打たれ強いのだろうと思う。
まあ・・・真実は本人しか知らないのだろうけど。
そんな保田くんとは対照的に、ボク自身はあの3年間がボクの人生の中で一番楽しかった3年間だと思う。若い頃は箸が転んでも面白い……なんて言葉があったと思うが、あの頃のボクがまさしくそんな感じだった。
毎日、遅刻ギリギリに登校して、授業はそこそこ真面目に受けて、休み時間は図書室に入り浸る。放課後は部活。
授業は工業高校らしく電気Ⅰなどの専門的な授業と、パソコンなどを使った実習があった。
この実習が曲者で、終わったらレポートを出さなければならないという最悪の授業だった。
ぶっちゃけ、電気の知識なんて今も皆無であることから、ボクがいかにいい加減に学校に通っていたかがよく分かる。
そもそもボクは今でもどこか人生をあまり真面目に考えないところがある。
結婚してかみさんがいるにもかかわらずそんな感じなのだから、責任のまったくなかったこのころは特にそうだったと言えよう。
なんとなく、なんとかなるような気がするのだ。
実際、なんとかなりそうもなかったことは一度もない。
『食べていければそれで満足。』と思っていればそんなにあくせくいろいろ考えなくてもなんとかやって行けるのである。
事実、結果として今のボクが電気の仕事ではなく、介護の仕事をしていることこそ、ボクがいかに人生をいい加減に考えていたかということの証拠である。
またもや中学時代の話になるが進路指導で将来なりたいものを決めてプリントに書いて提出するという授業があった。大人になってから思うのだが、将来、最終的にどんな職業に就きたいか……なんてことは通常、学生時代には分からないものである。
小学生なら簡単に『プロ野球選手』などと夢を語るのだろうが、中学生ぐらいになると現実が見えてくるわけで、そうなると将来何になりたいなんてことはなかなか分からないわけである。
将来何になりたいということどころか、自分にどんな可能性があるかだって分からないのだ。
その辺のことを実は進路指導でやってほしいのだが、そういう授業はまったくなかったとボクは記憶している。まあそんないい授業があったとしてもボクのようにどこか楽観的にのんきに構えている人間にとって中学の時期に将来のことを考えろと言う方が、無理な話なのかもしれない。
そこを行くと多田くんはすごい。
彼は入学当時の挨拶の際、『手に職をつけ、就職するためにきた』というようなことを言っていた記憶がある。
多田くんは3年間、ずっと学年トップの成績を取り続けた。
だから先生も大学進学を勧めたのだが、彼は初心を貫いてH社という大企業に就職したのだ。彼は今でも高校卒業してその会社にいる。
いい加減なボクとはえらい違いである。
話を元に戻そう。
授業に関しては、そこそこ真面目にこなしていたボクは休み時間と放課後が楽しみだった。
このころ、保田くんとはよく遊んでいたが、それと同時に太っちょな茨木くんとも仲が良かった。
休み時間は図書室でなんの本が面白かったかを茨木くんや多田くん、そして保田くんと話したり、同じようなメンバーで教室の片隅でトランプをしたりするのが面白くて仕方なかった。
趣味で小説を書くようになったのはこの茨木くんの影響が大きい。
その話はまた別の機会に話すとして、ボクの書いた小説の主な読者は保田くんだった。
なぜ保田くんを選んだのか……。
それは、辛らつな意見がないという安心感からである。
ボクの小説は基本的には多田くんも茨木くんも読んでいたが、一番よく読んだのは保田くんだろう。
いや……
読んだというのは語弊がある。
読まされたといった方が正しい。
というのも保田くんには読書の習慣がないのである。
本は愚か、マンガも読まない。
保田くんが本、もしくはマンガを読んで感動したという話をボクは後にも先にも聞いたことがない。
だからボクの小説を読んだ保田くんが無反応だったのは仕方のないことだった。
ちなみに当時はネットがこんなに普及していなかったこともあり、小説はすべて手書きで書いて直接渡してその場で読んでもらっていた。だから彼はかろうじて読んでくれていたのだが……。
小説を書くようになって変わったものが趣味である。
当時も今も、釣りや野球は好きなのだが、小説を書き始めてからは、アニメやテーブルトークにはまりだした。
テーブルトークに関しては前述したとおり、これにはまりだしたときにはすでにボクは鉄道研究部であった。テーブルトークでキャラクターを作るときにはそのキャラクターの似顔絵も書かなければいけない。
いや正確には絶対に書かなくてもいいのだが、そういうものにはまりだしたときにはすでにボクはイラストにも興味を持ち始めていた。
単純にアートに対する興味として、ボクはアニメが好きだった。
ストーリーに関しても興味はあるものの、基本的には絵が気に入ることがなければ、そのマンガ、アニメは見ないことの方が多かったように思える。
アニメといえば、当時NHKで放送していた『ヤダモン』というアニメが好きだった。
当時はなんでそのアニメが好きかを問われてもその理由を答えることはできなかったのだが、後になって考えてみると、『ヤダモン』の絵は、その色使いといい、曲線といい、すごく魅力的で、やはり『アート』としての魅力で好きだったのだと言える。
ボクはこんな絵が描けるようになりたいという憧れから『ヤダモン』が好きになった。
ちなみに今は??
と言われると……。
とくにそんなに好きでもない。
あの頃に比べれば、今は自分の絵がそこそこ描けるようになってきており、あの頃とはアートの感覚も変わってきており、あの憧れは消えてしまったのだろう。
まあ……黒歴史の一つであることは否めない。
悲惨だったのは保田くんと太っちょの茨木くん。
二人はボクの下手くそな絵を受け取り手であった。
そんなもんもらってもなんの得にもならないから、ゴミが増えるだけで、勘弁してほしかったに違いない。
ボクはせっせと絵を描くと保田くんに渡していた。
普段、怠け者のくせにそういうことに関しては異様な勤勉さを示すのである。
あの頃はそんなことが楽しかった。
なぜ楽しかったのだろう??
絵を渡しても、小説を渡しても保田くんも茨木くんもとにかく反応が薄かった。
あんな下手な絵や小説に対してしっかり反応してくれたのは多田くんだけで、彼は本当にいい奴であると思ったが、よくよく考えてみれば彼自身も小説や絵をボクに渡して来たりしていたのだから、おそらく同好の志であったがゆえの反応だったのだろう。
特に保田くんの反応は、かなり薄かった。
こんなやりとりがあったと記憶している。
『プレゼントだ。いいものをやろう。』
ボクは封筒に入れたイラストを保田くんに手渡す。
保田くんは『ああ・・・』と言って受け取る。
もうこの時点で保田くんはかなり嫌そうな顔をしているのだ。
前述したが保田くんには読書の習慣はない。読書の習慣のないものに小説など渡しても無駄なのである。ボクの書いた小説は当時も今も駄作の方が多い……いや駄作のみと言っても過言ではないが、仮にこれが、かの大衆小説の大家でもある直木三十五の作品を渡しても同じ反応だったに違いない。
当時のボクはそういうことはまったくわかっていないから期待しながら保田くんの反応を見る。
嫌な顔をしているのは何かのネタだと思っていた。
なんでそういう思考になるかは我ながら今振り返ってもよく分からなかったりする。
ただ、保田くんの嫌な顔はネタでもなんでもない。
はっきり嫌だったのだ。
『どうだ??』とボクは聞く。
『うわ~。』と……どうでもいい反応をする保田くん。
『すごいだろ。』
なぜか得意気なボク。
そして無言な保田くん。
『うわ~。』
保田くんはボクがどんなイラストを描こうが、どんな小説を書こうが『うわ~』という嫌なんだか良いんだか分からない反応しかなかった。
たぶん迷惑だったのだろうけど。
もしかしたらボクの記憶が曖昧なだけで、実際はなにかしら感想を言ってくれたに違いないのだが、今、思い出すと保田くんの反応は『うわ~。』しか思い出せないのだ。
まあ……。
もらったところで処理に困る代物だったので保田くんの反応は正しかったのかもしれない。
何度も言うが、彼はただでさえ読書というものをしない男で、漫画すら読まない。
そんな男に素人の下手くそなイラストや小説もどきを見せたところで、いい反応が得られるわけがないし、保田くんも非常に迷惑だったに違いない。
そんな保田くんの曖昧な拒否が『うわ~。』という反応に集約されていたのかもしれない。
社会人になって、あの頃よりも押しの強くなった保田くん・・・。
保田くんがこれを読んだらこういうに違いない。
『今頃、気がついたのか・・・。』
そういうことが分かりつつも今でもボクはせっせと小説の類を書いては保田くんに送りつづけている。
え?
反応??
もう何度も言うまでもないが彼には読書の習慣はない。
ほとんどと言っていいほど反応はないのでおそらく読んでないに違いない。
保田くんに書物を渡すという行為は無駄な行為であることは分かっていつつも、悲しいかな読者が多田くんと保田くんしかいないので、やはりなんらかの反応を求めては送ってしまうのである。
つくづくボクは愚かな奴なのかもしれない。
殺伐とした中学生活を思い出すと、高校生活は本当に時間がゆっくり流れているような感じだった。
ボクは中学時代にいい思い出がない。
少し、中学の時の話をしたいと思う。
中学に入学した時、ボクは小学校の延長の気持ちで中学生活を始めた。
実はボク以外の周りはそうではなかった。
思春期の時期は大人になりたがる。
周りはみな、いつまでも小学生ではなかった。つい昨日までみんなで楽しんでいた遊びを中学に入学した瞬間、みんながしなくなった。
小学生の頃には着ることのなかったブカブカで新しい制服を着て、今までより遠くの学校に通うようになって、ただでさえ環境が変わったにもかかわらず、周りのみんなが大きく変わってしまったことに、ボクは戸惑いを隠せなかった。
自分はまだ子供であり、子供らしい遊びをしてもいいし、いきなりそんなに背伸びをしても仕方ない、とその当時のボクは思っていた。背伸びをするということはそれなりに無理をするということで、無理をするということはガマンしなければいけないということである。
人生においてガマンは肝要であることはさすがに当時でも理解はしていたが、この場合のガマンは単なる『背伸び』であって必要なガマンではないので、別にガマンしなくてもいいところでガマンするのは納得ができなかったから、ボクは自分を変えなかった。
しかしそんなボクを尻目に周りはどんどん変わっていき、ボクを相手にしてくれる友人は少なくなった。
中学に入学したばかりのときはそんな毎日で、しかも中間テストや期末テストという大きな試験があるという意味でも小学校の時とは大きく環境が変わった。
いくら自分が変わりたくないからと言っても、ある程度周りに合わせていかないと、自分の周りには誰もいなくなってしまう。ボクが一人でも平気な人間ならそれでも大丈夫だっただろう。しかし無類の寂しがり屋であるボクは一人でいることなど基本できない。
だから仕方なく自分を変えた。
好きだったアニメも見なくなったし、ミニ四駆も辞めた。
今まで夢中になってやっていた遊びをすべて辞めてしまったのだ。
友人たちの多くは部活動に夢中になっていたが、ボクは何か部活をしたいとは思わなかった。
というのも、ボクが通っていた中学は体育会系の部活がそのほとんどだったからだ。
ボクは走るのが遅かったので体育会系の部活はやろうとは思わなかった。
だから帰宅部しか選択肢はなかった。
のちに美術部に入部したが、当時は絵には興味もなかったのですぐに辞めてしまった。
中学1年の頃はすべてになにがなんだかよく分からなかった。気が付けば中学生活の最初の1年間は終わっており、ボクはどうにもなじめない中学生活を送っていた。
中学2年になればさすがのボクもいろんなことに慣れてきた。中学生活にも慣れてきたし、『釣り』といういわゆる大人の趣味も覚えることができた。
激しい変化があったのは中学3年の頃だった。
後で聞いた話であるが、中学3年になると同じ学校に『先輩』がいなくなることから、急激に好き勝手する者が増えるらしい。
髪の毛は当たり前のように茶髪にする者が多かったし、変形ズボンを履いている奴らも急激にボクの周りに増えたような気がする。
とにかくボクは、争いごとがキライである。
にもかかわらずそういうやつらはなぜかボクのような人間を相手にしてはなんらかの脅しを加えたりする。今でいう陰湿ないじめという感じではないにしても、喧嘩がキライでかなりのビビリであるボクに対してはこういう脅しが精神的に一番つらいのだ。
多分、脅している方としてはちょっとからかっているだけなのかもしれないが、当時のボクにはあの怖さは筆舌できないものがあった。
今はどうか……と言われると、まずそういう脅しを受けることはないし、受けたとしたら弁護士のところに行けばいい。大人社会は法律に守られているので、そんなに脅しに屈する必要はないのだ。
しかし子供社会においては『少年法』という現代社会において子供社会を『無法地帯』にできる法律があるおかげで、力の弱い者は常にビクビクしながら生活しなければならない。
ならば武道などを行い精神的なところから鍛えればいいではないか……という意見には一理あると、ボクも思うのだが、ただそれでは問題の根本は解決しない。要は、力のあるものが『暴力』によって力のないものを従わせるという縮図を解決すべきであって、いじめられそうな弱い子を武道で精神から鍛えたとしても、あくまでそういった子供社会の縮図を解決していかないことには抜本的な解決にはならないのだ。
あまつさえ、武道を学んだとしてもその高潔な精神を学ぶことはできず、殺傷能力だけ身に着けてしまえば、『仕返し』という形での『暴力』を生むかもしれないからだ。
この問題に関しては『力』に対して『力』で解決するわけには行かないという非常に難しい問題がつきまとうのである。
クラスの不良たちに絡まれるのが嫌で学校に行かないこともしばしばあったのだが、実は彼らも本気でボクが学校に来ないことを望んでいたわけではないことは今になってなんとなく分かる。
こうやって書いてみると少しではあるがいい思い出も思い出すことができるのだから、慣れない中学生活ではあったが、かけがえのないものでもあったとも言えるのかもしれない。
大体、ボクはどうにものんびりした性質なので、急激な変化に対応することが著しく苦手なのである。だからこそ、学生生活の中で進級や卒業のたびに、生活環境の急激な変化を感じては落ち込んだり悩んだりして、他の友人たちと比較してずいぶんとゆっくり時間をかけながらその変化になじんでいっていた。
遠く昔を振り返ると幼稚園から小学校に進級したときもそうだったように思える。とにかく授業や宿題というものにその時期はついていけなかったと記憶している。
中学生活以外でも変化に対応できなかった、といえばやはり社会に出た時が特にそれが顕著だった。
こんな風にいちいち変化してそれについて行くのにこんなにも苦労しなければいけないのなら、小学校の高学年ぐらいで最初から社会に出ることができればいちいち苦労もしないのになあ……と思うことがある。
中学ではめまぐるしく周りが変化していったように見えたから、高校時代は本当にのんびりしたものだった。
高校生にもなると思春期まっただ中の中学生とは違ってずいぶんと大人になるからである。
高校生活がのんびりしたものだったかどうかは実に保田くんとは意見が異なるだろうと思う。
彼は意外なことに変化に対応できる男なのである。
対応できる……というかどちらかと言えば精神的に『打たれ強い』のであろう。
高校生活においてボクはのんびりしていたと考えるのに保田くんは正反対の意見を持っているであろうその理由は中学3年の頃のボクのような状態に保田くんが陥ったからである。
そもそも工業高校なんて学校は『悪のたまり場』であり、そこに入学してくる生徒の半数以上は髪の毛を金髪か茶髪に染め上げ、変形ズボンに短ランを着た、かなりイカツイ奴らである。
となれば、間違いなくボクのような根性のないやつは彼らの『からかい』の対象になるであろうことは容易に想像できた。
ボクは中学の時と同じ|轍は踏まないと心に決めていたからそういうやつら相手でも嫌なことは嫌だとはっきり言うことに決めていた。
もちろん、それは喧嘩を売るわけではない。
ただできないことは『悪いけどできないよ。』と断るだけの行為である。
何度も言うがボクらが受けてきたこの手の脅しは、今の陰湿ないじめとはかなり性質の異なるものであるから、ちゃんと断れば喧嘩になることなどないし、こちらは喧嘩する気など最初からないわけだから、必要以上に相手を刺激しなければ、最悪な結果には陥らないのである。
ただ、中学時代にボクのような経験をしてこなかった保田くんはそれができなかった。
前述したが、保田くんの断り文句には『できない。』という強い意志が微塵も感じられなかったので、そこにつけ込まれることは多かったように感じる。
とにかく保田くんは断らなかった。
だから彼らもそれを利用したのだろう。
実際問題ボクもそれを利用していた人間の一人なので、高校時代のイカツイ奴らのことを悪く言う気にはなれないのである。
保田くんは彼らから『ヤス』と呼ばれていた。
だから彼はヤスと呼ばれるのを嫌う。ボクはなかなかうまい呼び方だなとも思うのだが、彼の中では嫌な思い出と共に思い出されるこの呼び名では呼んでほしくはないのだろう。
まあ、それはボクが中学時代をあまり振り返りたがらないのと同じ理由である。この点について長く触れるのは保田くんの黒歴史について長々と語ることになるので辞めることにする。
ただ、そんな中、彼は学校を欠席することは少なかったから、中学時代に学校を休みがちだったボクにくらべればさほど悩んでもいなかったのかなとも思う。
前述したように精神的に打たれ強いのだろうと思う。
まあ・・・真実は本人しか知らないのだろうけど。
そんな保田くんとは対照的に、ボク自身はあの3年間がボクの人生の中で一番楽しかった3年間だと思う。若い頃は箸が転んでも面白い……なんて言葉があったと思うが、あの頃のボクがまさしくそんな感じだった。
毎日、遅刻ギリギリに登校して、授業はそこそこ真面目に受けて、休み時間は図書室に入り浸る。放課後は部活。
授業は工業高校らしく電気Ⅰなどの専門的な授業と、パソコンなどを使った実習があった。
この実習が曲者で、終わったらレポートを出さなければならないという最悪の授業だった。
ぶっちゃけ、電気の知識なんて今も皆無であることから、ボクがいかにいい加減に学校に通っていたかがよく分かる。
そもそもボクは今でもどこか人生をあまり真面目に考えないところがある。
結婚してかみさんがいるにもかかわらずそんな感じなのだから、責任のまったくなかったこのころは特にそうだったと言えよう。
なんとなく、なんとかなるような気がするのだ。
実際、なんとかなりそうもなかったことは一度もない。
『食べていければそれで満足。』と思っていればそんなにあくせくいろいろ考えなくてもなんとかやって行けるのである。
事実、結果として今のボクが電気の仕事ではなく、介護の仕事をしていることこそ、ボクがいかに人生をいい加減に考えていたかということの証拠である。
またもや中学時代の話になるが進路指導で将来なりたいものを決めてプリントに書いて提出するという授業があった。大人になってから思うのだが、将来、最終的にどんな職業に就きたいか……なんてことは通常、学生時代には分からないものである。
小学生なら簡単に『プロ野球選手』などと夢を語るのだろうが、中学生ぐらいになると現実が見えてくるわけで、そうなると将来何になりたいなんてことはなかなか分からないわけである。
将来何になりたいということどころか、自分にどんな可能性があるかだって分からないのだ。
その辺のことを実は進路指導でやってほしいのだが、そういう授業はまったくなかったとボクは記憶している。まあそんないい授業があったとしてもボクのようにどこか楽観的にのんきに構えている人間にとって中学の時期に将来のことを考えろと言う方が、無理な話なのかもしれない。
そこを行くと多田くんはすごい。
彼は入学当時の挨拶の際、『手に職をつけ、就職するためにきた』というようなことを言っていた記憶がある。
多田くんは3年間、ずっと学年トップの成績を取り続けた。
だから先生も大学進学を勧めたのだが、彼は初心を貫いてH社という大企業に就職したのだ。彼は今でも高校卒業してその会社にいる。
いい加減なボクとはえらい違いである。
話を元に戻そう。
授業に関しては、そこそこ真面目にこなしていたボクは休み時間と放課後が楽しみだった。
このころ、保田くんとはよく遊んでいたが、それと同時に太っちょな茨木くんとも仲が良かった。
休み時間は図書室でなんの本が面白かったかを茨木くんや多田くん、そして保田くんと話したり、同じようなメンバーで教室の片隅でトランプをしたりするのが面白くて仕方なかった。
趣味で小説を書くようになったのはこの茨木くんの影響が大きい。
その話はまた別の機会に話すとして、ボクの書いた小説の主な読者は保田くんだった。
なぜ保田くんを選んだのか……。
それは、辛らつな意見がないという安心感からである。
ボクの小説は基本的には多田くんも茨木くんも読んでいたが、一番よく読んだのは保田くんだろう。
いや……
読んだというのは語弊がある。
読まされたといった方が正しい。
というのも保田くんには読書の習慣がないのである。
本は愚か、マンガも読まない。
保田くんが本、もしくはマンガを読んで感動したという話をボクは後にも先にも聞いたことがない。
だからボクの小説を読んだ保田くんが無反応だったのは仕方のないことだった。
ちなみに当時はネットがこんなに普及していなかったこともあり、小説はすべて手書きで書いて直接渡してその場で読んでもらっていた。だから彼はかろうじて読んでくれていたのだが……。
小説を書くようになって変わったものが趣味である。
当時も今も、釣りや野球は好きなのだが、小説を書き始めてからは、アニメやテーブルトークにはまりだした。
テーブルトークに関しては前述したとおり、これにはまりだしたときにはすでにボクは鉄道研究部であった。テーブルトークでキャラクターを作るときにはそのキャラクターの似顔絵も書かなければいけない。
いや正確には絶対に書かなくてもいいのだが、そういうものにはまりだしたときにはすでにボクはイラストにも興味を持ち始めていた。
単純にアートに対する興味として、ボクはアニメが好きだった。
ストーリーに関しても興味はあるものの、基本的には絵が気に入ることがなければ、そのマンガ、アニメは見ないことの方が多かったように思える。
アニメといえば、当時NHKで放送していた『ヤダモン』というアニメが好きだった。
当時はなんでそのアニメが好きかを問われてもその理由を答えることはできなかったのだが、後になって考えてみると、『ヤダモン』の絵は、その色使いといい、曲線といい、すごく魅力的で、やはり『アート』としての魅力で好きだったのだと言える。
ボクはこんな絵が描けるようになりたいという憧れから『ヤダモン』が好きになった。
ちなみに今は??
と言われると……。
とくにそんなに好きでもない。
あの頃に比べれば、今は自分の絵がそこそこ描けるようになってきており、あの頃とはアートの感覚も変わってきており、あの憧れは消えてしまったのだろう。
まあ……黒歴史の一つであることは否めない。
悲惨だったのは保田くんと太っちょの茨木くん。
二人はボクの下手くそな絵を受け取り手であった。
そんなもんもらってもなんの得にもならないから、ゴミが増えるだけで、勘弁してほしかったに違いない。
ボクはせっせと絵を描くと保田くんに渡していた。
普段、怠け者のくせにそういうことに関しては異様な勤勉さを示すのである。
あの頃はそんなことが楽しかった。
なぜ楽しかったのだろう??
絵を渡しても、小説を渡しても保田くんも茨木くんもとにかく反応が薄かった。
あんな下手な絵や小説に対してしっかり反応してくれたのは多田くんだけで、彼は本当にいい奴であると思ったが、よくよく考えてみれば彼自身も小説や絵をボクに渡して来たりしていたのだから、おそらく同好の志であったがゆえの反応だったのだろう。
特に保田くんの反応は、かなり薄かった。
こんなやりとりがあったと記憶している。
『プレゼントだ。いいものをやろう。』
ボクは封筒に入れたイラストを保田くんに手渡す。
保田くんは『ああ・・・』と言って受け取る。
もうこの時点で保田くんはかなり嫌そうな顔をしているのだ。
前述したが保田くんには読書の習慣はない。読書の習慣のないものに小説など渡しても無駄なのである。ボクの書いた小説は当時も今も駄作の方が多い……いや駄作のみと言っても過言ではないが、仮にこれが、かの大衆小説の大家でもある直木三十五の作品を渡しても同じ反応だったに違いない。
当時のボクはそういうことはまったくわかっていないから期待しながら保田くんの反応を見る。
嫌な顔をしているのは何かのネタだと思っていた。
なんでそういう思考になるかは我ながら今振り返ってもよく分からなかったりする。
ただ、保田くんの嫌な顔はネタでもなんでもない。
はっきり嫌だったのだ。
『どうだ??』とボクは聞く。
『うわ~。』と……どうでもいい反応をする保田くん。
『すごいだろ。』
なぜか得意気なボク。
そして無言な保田くん。
『うわ~。』
保田くんはボクがどんなイラストを描こうが、どんな小説を書こうが『うわ~』という嫌なんだか良いんだか分からない反応しかなかった。
たぶん迷惑だったのだろうけど。
もしかしたらボクの記憶が曖昧なだけで、実際はなにかしら感想を言ってくれたに違いないのだが、今、思い出すと保田くんの反応は『うわ~。』しか思い出せないのだ。
まあ……。
もらったところで処理に困る代物だったので保田くんの反応は正しかったのかもしれない。
何度も言うが、彼はただでさえ読書というものをしない男で、漫画すら読まない。
そんな男に素人の下手くそなイラストや小説もどきを見せたところで、いい反応が得られるわけがないし、保田くんも非常に迷惑だったに違いない。
そんな保田くんの曖昧な拒否が『うわ~。』という反応に集約されていたのかもしれない。
社会人になって、あの頃よりも押しの強くなった保田くん・・・。
保田くんがこれを読んだらこういうに違いない。
『今頃、気がついたのか・・・。』
そういうことが分かりつつも今でもボクはせっせと小説の類を書いては保田くんに送りつづけている。
え?
反応??
もう何度も言うまでもないが彼には読書の習慣はない。
ほとんどと言っていいほど反応はないのでおそらく読んでないに違いない。
保田くんに書物を渡すという行為は無駄な行為であることは分かっていつつも、悲しいかな読者が多田くんと保田くんしかいないので、やはりなんらかの反応を求めては送ってしまうのである。
つくづくボクは愚かな奴なのかもしれない。
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