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ひとしずく
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背後に聞こえる怒声や歓声は、少しずつ聞こえなくなりました。
長い長い螺旋階段はどこまでも伸び、湿っぽく暗い階段に時々足をとられます。転ばないようにと付いた壁はどこもかしこも冷たく湿り、来るものを阻んでいるようにさえ感じました。
不気味な呻き声が肌を撫でます。
ぞわぞわと背中を震わせる凛は、それでも上を目指しました。
思えばこんなふうにひとりで歩くことなど初めてです。隣にはいつも蓮がいたのでした。
「蓮…」
呟いても、拾ってくれる人はいません。心細く不安な心を掻き立てるように、抜ける風は呻き、濡れたアスファルトは足元を滑らせます。
この城へ向かう時、蓮と共に梯子を下りたことを思い出しました。
真っ暗で梯子の感触しか分からなかったあの時と、風の呻きが似ていました。
「凛、ねえ、凛」
突然聞こえてきた声に、びくっと肩を震わせました。
「怖い?ねえ、凛…」
蓮?
言いかけて、慌てて口を閉じました。
あの時梯子を降りた時と全く同じ声色でした。
蓮によく似た声ですが、どこか冷たさと仄暗さを孕んだ、不気味に反響する声です。
蓮の声を求めて止まなかった凛ですが、これは絶対に蓮ではないと頭の中で警笛を鳴らし、声を出してはいけないと必死に息を飲んだのです。何故か、見つかっては終わりだと思ったのです。
「答えてよ、ねぇ」
「凛、僕を置いていくの?」
「酷いなぁ凛は」
「もう僕のこと好きじゃない?」
「嘘つき」
「嘘つき」
「嘘つき」
段々と濁っていく声に叫び出したくなるのを堪えている凛の耳を、爆音が貫きました。
「お前はアリスだ!!!!」
悲鳴を必死に口の中で噛み、凛はその場に蹲ってしまいました。
耳鳴りがサイレンのように響き、意味が分からない声に怯え、大きな目からポロポロ涙が零れます。
声の正体もそんなことを叫ぶ意味も、全く分からりません。濁る声は狂ったように笑い出し、とうとうぶつりと切れて無くなりました。
後に残った静寂に、凛の苦しい呼吸が狭くカビ臭い階段に木霊しました。
「……れ、ん…」
頼れる人は、ここにいません。階下の音も聞こえません。
恐怖に竦む足は、もう一歩だって進めそうにありませんでした。
ぴちょん。
不意に響く、雫が落ちる音。
湿度が高いせいで発生した結露が、溜まった水に一滴落ちる音でした。
凛は怖々そちらを見遣ります。
真っ暗い階段の隅に溜まった水は、森の湖のように澄んでいました。
“凛”
いつか、蓮の声は澄んだ水に落ちたひとしずくみたいだと思ったことがありました。
ぴちょん。
控え目に、しかしどこまでも澄んだ音は、恐怖に震える凛の心にじわりと広がっていきました。
「…うん。大丈夫」
蓮に励まされているような気がした凛は、ぐっと前を見て、蹲って震えた体をしっかり伸ばして足を踏み出しました。
長い長い螺旋階段はどこまでも伸び、湿っぽく暗い階段に時々足をとられます。転ばないようにと付いた壁はどこもかしこも冷たく湿り、来るものを阻んでいるようにさえ感じました。
不気味な呻き声が肌を撫でます。
ぞわぞわと背中を震わせる凛は、それでも上を目指しました。
思えばこんなふうにひとりで歩くことなど初めてです。隣にはいつも蓮がいたのでした。
「蓮…」
呟いても、拾ってくれる人はいません。心細く不安な心を掻き立てるように、抜ける風は呻き、濡れたアスファルトは足元を滑らせます。
この城へ向かう時、蓮と共に梯子を下りたことを思い出しました。
真っ暗で梯子の感触しか分からなかったあの時と、風の呻きが似ていました。
「凛、ねえ、凛」
突然聞こえてきた声に、びくっと肩を震わせました。
「怖い?ねえ、凛…」
蓮?
言いかけて、慌てて口を閉じました。
あの時梯子を降りた時と全く同じ声色でした。
蓮によく似た声ですが、どこか冷たさと仄暗さを孕んだ、不気味に反響する声です。
蓮の声を求めて止まなかった凛ですが、これは絶対に蓮ではないと頭の中で警笛を鳴らし、声を出してはいけないと必死に息を飲んだのです。何故か、見つかっては終わりだと思ったのです。
「答えてよ、ねぇ」
「凛、僕を置いていくの?」
「酷いなぁ凛は」
「もう僕のこと好きじゃない?」
「嘘つき」
「嘘つき」
「嘘つき」
段々と濁っていく声に叫び出したくなるのを堪えている凛の耳を、爆音が貫きました。
「お前はアリスだ!!!!」
悲鳴を必死に口の中で噛み、凛はその場に蹲ってしまいました。
耳鳴りがサイレンのように響き、意味が分からない声に怯え、大きな目からポロポロ涙が零れます。
声の正体もそんなことを叫ぶ意味も、全く分からりません。濁る声は狂ったように笑い出し、とうとうぶつりと切れて無くなりました。
後に残った静寂に、凛の苦しい呼吸が狭くカビ臭い階段に木霊しました。
「……れ、ん…」
頼れる人は、ここにいません。階下の音も聞こえません。
恐怖に竦む足は、もう一歩だって進めそうにありませんでした。
ぴちょん。
不意に響く、雫が落ちる音。
湿度が高いせいで発生した結露が、溜まった水に一滴落ちる音でした。
凛は怖々そちらを見遣ります。
真っ暗い階段の隅に溜まった水は、森の湖のように澄んでいました。
“凛”
いつか、蓮の声は澄んだ水に落ちたひとしずくみたいだと思ったことがありました。
ぴちょん。
控え目に、しかしどこまでも澄んだ音は、恐怖に震える凛の心にじわりと広がっていきました。
「…うん。大丈夫」
蓮に励まされているような気がした凛は、ぐっと前を見て、蹲って震えた体をしっかり伸ばして足を踏み出しました。
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