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勿忘草
勿忘草7
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この日から輝李が自分の寮にいることは少なくなった。
それは勿論、瀾がいるマンションではなく、寮の乙の部屋に行っているからだ。
学院の寮には当然、消灯の見回りがある。
しかし、学院に多額の寄付をしている輝李にとって消灯の時間に乙の部屋にいる事についての処罰は暗黙の了解とでも言うように何もおとがめはない。
輝李の容姿が変わってから1週間もしない内に学院内では、
【乙と共にいる謎の美女と合宿旅行帰宅直後の輝李の失踪】
という噂は、たちまち広まった。
あれから毎日のように輝李は乙と一緒に登下校し、瀾には一切会ってはいないのだ。
しかし、8-[エイトアンダー]として危険を犯してまで小野崎から瀾を回収した手前、情報は常に由佳から入ってくる。
輝李が傍に居なくなった今、瀾の精神状態が尋常でないことくらいは輝李も重々承知の上だ。
『卒業まで我慢すればいい…
どうせ、あと半年なんだから』
その日、瀾は昼休みに数人の女生徒に呼び出されていた。
場所は校舎からも視角に入る所だが、あまり人は通らない。
瀾を呼び出した女生徒達は、乙派のファンで取り巻きの生徒達。
合宿旅行にも参加し、あのダンスホールで輝李に話し掛けられていた子達だった。
勿論、瀾にとっとは面識はない。
女生徒の一人が瀾に口を開く。
「貴女、まだ居たの?
劣等生のくせに乙お姉様に色目を使ってパートナー面していい気なものね!!
そういえば最近、輝李お姉様と一緒にいないけど捨てられちゃったんじゃない?」
「!!!」
俯いたまま話を聞いていた瀾の瞳が一瞬大きく開く。
捨てられた…。
確かにそうだ。
瀾が輝李に会った最後の日、輝李は瀾の首根っこを掴み、鋭い瞳で恐ろしい一言を投げたのだから…。
≪「…今度、乙を傷つけてみろ…
…お前を殺してやる!!」≫
たちまち瀾の胸に痛みが走る。
女生徒の言葉は、尚も続いて瀾を責める。
「輝李お姉様だけでなく、乙お姉様にまで手を出そうとするからバチが当たったのかしら?
≪二兎を追うもの一兎も得ず≫っていうじゃない。
ああ、輝李お姉様が居なくなったのも貴女のせいだったりして?」
「違…」
瀾がそこまで言った時だった。
───ガンッ!!!
突然、拳を壁に投げると乙は少女達に鋭い視線を向ける。
「誰がそんな事を頼んだ?
安心しろよ…
俺はお前らのようなプライドのない女は最初から相手にしない!!
…二度と野中に近づくな!!」
すると少女達は、泣きながら立ち去っていく。
瀾は困惑しながらも乙を横目で視界に入れる。
『私を…助けた…?
…どうして?
この人は私を利用した人なのに…』
瀾の中で内心ホッとしたのと、緊迫感が溶けた中で、輝李の事情に対しての怒りが沸々と沸き上がってくるのが解る。
そんな時、乙が気まずそうにも微かに口を開いた。
「…野中、大丈…」
「余計なことしないでっ!!!」
「!!」
瀾の言葉に途端に乙の顔が辛そうに歪み、それを見た瀾が口を開く。
「フン…何よ…
傷付いたような顔して…
私の方が貴方より傷付いてるわ」
「……ッ」
「ずっと傍にいてくれたのに……返してよ…」
瀾は俯き加減にそう言うと、乙をキッと睨み荒い声で乙を責めた。
「輝李さんを返してっ!!!」
乙は、悲しそうに瀾を見つめた。
何と弱々しい表情だろうか。
それは捨てられた子犬のような瞳だった。
しかし、瀾の哀しみはそれを気遣える程の余裕はなかった。
「…ッ…野中…」
「貴方は欲しいものを全て手に入れたはずでしょ!!
…私に近付いたのだって…
輝李さんを自分のものにするためじゃない…
…それなのに…」
俯き加減に呟くように瀾の声は徐々に涙声に変わっていき、やがてそれは精一杯の哀しみと怒りが混じり涙目で乙に訴えた。
「これ以上、私から何を奪うつもりなんですか!!!」
瀾は顔を両手で覆い泣きながら、乙を更に責め立てた。
「…もう私には何もないのに!!
こんな時だけ優しくするなんて…卑怯ですっ!!!」
「…ッ…」
記憶もなく唯一瀾にとっての支えは輝李だけだった。
財産すら何も持たない瀾が、輝李に捨てられ、いつ路頭に迷うかも解らない状況の中、記憶すら未だに戻る気配すらない。
当たりどころのない不安と輝李という切っ掛けで、捌け口をぶつけられるのは目の前にいる乙だけだった。
瀾は辛そうな顔で言葉の出ない乙に続けた。
「貴方の顔なんか、もう見たくない!!
…私の前に現れないで…
ウッ…ヒック…こんな風になったのも全部貴方のせいじゃない!!」
そして、瀾は最後に力の限り叫び乙の前から走り去ったのだ。
「…貴方なんか…大っ嫌い!!!」
瀾は、そのまま教室ではなくマンションに走り戻った。
部屋に入ると息を切らし、テーブルに置いてあった合宿旅行の時に乙が瀾のために作ってくれた参考書のノートを視界に入れる。
(『アールグレイの昼下がり』参照)
忽ち怒りが込み上げ、感情のまま払いばら蒔き、棚に大切に置いてあるパーティーの時にアクセサリーと一緒に貰ったジュエリーケースさえも床に払い除けた。
そのジュエリーケースは乙の母の形見でもある。
瀾には、それを知るよしもないことであるが…。
ベッドに勢いよく飛び込むと大粒の涙が溢れかえる。
「ウッ…ヒック…輝李さん…」
考える事は悲しいことばかりだ。
あんなに優しかった輝李との思い出も温もりも、この部屋には虚しく悲しく映るだけ…。
どのくらい泣いたのだろうか。
既に日は傾き始めた頃、瀾は由佳が帰ってくる前に部屋を片付けるため、少し放心気味にリビングへ向かう。
ノートを片付け、ジュエルケースに目を落とすとアクセサリーが床に散らばり、空のケースの中に微かな隙間が開いているのに気が付いた。
それは隠し細工のされている物だったのだ。
瀾はケースを手に取り細工を開け、中に入っていた裏返しの数枚の写真を手に取った。
「 …ッ!!!」
写真を見た瀾の瞳が大きく見開き、手に持っていた写真が床に滑り落ちる。
途端にガクンと腰を落とすと瀾は愕然と口をついた。
「…どういう…こと…」
そこには過去のものであろう自分が輝李とではなく、何処かの屋敷で自分を背後から抱きしめ微笑んでいる乙と共に、まるで恋人同士のように写っていたからだった。
そして…〔月と昼〕の運命の歯車が廻り始める…
それは勿論、瀾がいるマンションではなく、寮の乙の部屋に行っているからだ。
学院の寮には当然、消灯の見回りがある。
しかし、学院に多額の寄付をしている輝李にとって消灯の時間に乙の部屋にいる事についての処罰は暗黙の了解とでも言うように何もおとがめはない。
輝李の容姿が変わってから1週間もしない内に学院内では、
【乙と共にいる謎の美女と合宿旅行帰宅直後の輝李の失踪】
という噂は、たちまち広まった。
あれから毎日のように輝李は乙と一緒に登下校し、瀾には一切会ってはいないのだ。
しかし、8-[エイトアンダー]として危険を犯してまで小野崎から瀾を回収した手前、情報は常に由佳から入ってくる。
輝李が傍に居なくなった今、瀾の精神状態が尋常でないことくらいは輝李も重々承知の上だ。
『卒業まで我慢すればいい…
どうせ、あと半年なんだから』
その日、瀾は昼休みに数人の女生徒に呼び出されていた。
場所は校舎からも視角に入る所だが、あまり人は通らない。
瀾を呼び出した女生徒達は、乙派のファンで取り巻きの生徒達。
合宿旅行にも参加し、あのダンスホールで輝李に話し掛けられていた子達だった。
勿論、瀾にとっとは面識はない。
女生徒の一人が瀾に口を開く。
「貴女、まだ居たの?
劣等生のくせに乙お姉様に色目を使ってパートナー面していい気なものね!!
そういえば最近、輝李お姉様と一緒にいないけど捨てられちゃったんじゃない?」
「!!!」
俯いたまま話を聞いていた瀾の瞳が一瞬大きく開く。
捨てられた…。
確かにそうだ。
瀾が輝李に会った最後の日、輝李は瀾の首根っこを掴み、鋭い瞳で恐ろしい一言を投げたのだから…。
≪「…今度、乙を傷つけてみろ…
…お前を殺してやる!!」≫
たちまち瀾の胸に痛みが走る。
女生徒の言葉は、尚も続いて瀾を責める。
「輝李お姉様だけでなく、乙お姉様にまで手を出そうとするからバチが当たったのかしら?
≪二兎を追うもの一兎も得ず≫っていうじゃない。
ああ、輝李お姉様が居なくなったのも貴女のせいだったりして?」
「違…」
瀾がそこまで言った時だった。
───ガンッ!!!
突然、拳を壁に投げると乙は少女達に鋭い視線を向ける。
「誰がそんな事を頼んだ?
安心しろよ…
俺はお前らのようなプライドのない女は最初から相手にしない!!
…二度と野中に近づくな!!」
すると少女達は、泣きながら立ち去っていく。
瀾は困惑しながらも乙を横目で視界に入れる。
『私を…助けた…?
…どうして?
この人は私を利用した人なのに…』
瀾の中で内心ホッとしたのと、緊迫感が溶けた中で、輝李の事情に対しての怒りが沸々と沸き上がってくるのが解る。
そんな時、乙が気まずそうにも微かに口を開いた。
「…野中、大丈…」
「余計なことしないでっ!!!」
「!!」
瀾の言葉に途端に乙の顔が辛そうに歪み、それを見た瀾が口を開く。
「フン…何よ…
傷付いたような顔して…
私の方が貴方より傷付いてるわ」
「……ッ」
「ずっと傍にいてくれたのに……返してよ…」
瀾は俯き加減にそう言うと、乙をキッと睨み荒い声で乙を責めた。
「輝李さんを返してっ!!!」
乙は、悲しそうに瀾を見つめた。
何と弱々しい表情だろうか。
それは捨てられた子犬のような瞳だった。
しかし、瀾の哀しみはそれを気遣える程の余裕はなかった。
「…ッ…野中…」
「貴方は欲しいものを全て手に入れたはずでしょ!!
…私に近付いたのだって…
輝李さんを自分のものにするためじゃない…
…それなのに…」
俯き加減に呟くように瀾の声は徐々に涙声に変わっていき、やがてそれは精一杯の哀しみと怒りが混じり涙目で乙に訴えた。
「これ以上、私から何を奪うつもりなんですか!!!」
瀾は顔を両手で覆い泣きながら、乙を更に責め立てた。
「…もう私には何もないのに!!
こんな時だけ優しくするなんて…卑怯ですっ!!!」
「…ッ…」
記憶もなく唯一瀾にとっての支えは輝李だけだった。
財産すら何も持たない瀾が、輝李に捨てられ、いつ路頭に迷うかも解らない状況の中、記憶すら未だに戻る気配すらない。
当たりどころのない不安と輝李という切っ掛けで、捌け口をぶつけられるのは目の前にいる乙だけだった。
瀾は辛そうな顔で言葉の出ない乙に続けた。
「貴方の顔なんか、もう見たくない!!
…私の前に現れないで…
ウッ…ヒック…こんな風になったのも全部貴方のせいじゃない!!」
そして、瀾は最後に力の限り叫び乙の前から走り去ったのだ。
「…貴方なんか…大っ嫌い!!!」
瀾は、そのまま教室ではなくマンションに走り戻った。
部屋に入ると息を切らし、テーブルに置いてあった合宿旅行の時に乙が瀾のために作ってくれた参考書のノートを視界に入れる。
(『アールグレイの昼下がり』参照)
忽ち怒りが込み上げ、感情のまま払いばら蒔き、棚に大切に置いてあるパーティーの時にアクセサリーと一緒に貰ったジュエリーケースさえも床に払い除けた。
そのジュエリーケースは乙の母の形見でもある。
瀾には、それを知るよしもないことであるが…。
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どのくらい泣いたのだろうか。
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それは隠し細工のされている物だったのだ。
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「 …ッ!!!」
写真を見た瀾の瞳が大きく見開き、手に持っていた写真が床に滑り落ちる。
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そして…〔月と昼〕の運命の歯車が廻り始める…
0
小説が音声と映像で流れ出す!?
厳選されたCV達がお送りする臨場感!!
YouTubeにてボイスドラマ公開中!!
★アールグレイの月夜(YouTube版)
https://www.youtube.com/playlist?list=PL0mziGmecVSUVpSKdpmNMNom6F3FWffNL
★アールグレイの昼下がり(YouTube版)
https://www.youtube.com/playlist?list=PL0mziGmecVSXcYllzM7PGJbwUaHxBfz0L
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