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1 縁罪
2 センセイ
しおりを挟むノック音が二回、鳴る。上体を起こしたままの格好で、うつむいていた顔が音のした方へ向けられた。暗い髪色の髪の毛束が、振り向く動きに合わせて舞う。
引き戸が軽やかに開いた……はずだった。勢い余って、扉は跳ね返り、閉まりかけてしまった。大きな音がドアの向こう、静かな廊下中に響き渡る。
「病院では静かにね、充君」
病室の丸イスから半身振り返ったグレーヘアの男、布施が訪問者に諭した。
「布施先生。扉が勝手に閉まったのですが、化装憑きの類でしょうか」
黄色みがかった灰色の髪をなでつけ、切れ長のアールグレイの瞳をさまよわせる青年、充は鋭く目だけを動かし、扉を睨んでいた。
布施のうしろで、天井近くの採光窓から射しこむ柔らかな光に包まれた男、界人が憂いの色を帯びた紅い瞳を揺らめかせる。口を挟んで良いものかと思案して、二人を見比べていたが、次の瞬間にはもう言葉が口から出ていた。
「反動で……閉まったんじゃないかな?」
ドアを睨んでいた充の視線が、界人の方へ移った。界人もまた、彼を見つめた。
二人の間にしばし流れた沈黙を朗らかな笑い声が破る。「二人とも真面目だね。気が合うよ、きっと」と布施は癖っ毛で跳ねる髪をわしゃわしゃとかいて、にこやかに笑い返す。充は「なる、ほど!」と発して、姿勢を正した。
「失礼します」
「どうぞ」
布施も何のためらいもなく、彼の入室のやり直しに付き合った。
「今日から君の先生になる、荻野 充君だ」
「荻野だ」
折り目正しく、キビキビとした動きで、いかにも厳格な先生といった様子の荻野は、口調も表情も固い。彼の目尻もキッと斜めに上がっている。だが、まぶたが二重のため、そのきつい面の印象を幾分か和らげていた。
「彼は永野界人君。ミチル君の新しい生徒さんだ」
「なが、の?」
聞きまちがえか。いや、永槻の言いまちがえかもしれない。いずれにしろ、座ったままでは失礼だろう。
立ち上がろうとした界人は、ぐらりと視界が揺れるのを感じた。とっさに腹に力を入れ、気取られないようにと、こらえたはずだったが、充の手がすでに界人を制していた。
「そのままでいい、永野」
「宜しくお願いします……」
ベッドで半身起こした状態で界人は身を屈め、頭を下げるにとどめた。
「とはいえ、まずは体をよく治してから。退院したら充君に色々教えてもらって」
「あの……」と充は声の大きさを落としていき、布施を呼んだ。努めて潜められながら交わされた二人の会話だったが、界人の耳には届いてしまう。
「先刻の……病室は……。布施さん、わざとですか」
「何のことかな」
「いえ」
界人は耳に入れてはいけないやり取りなのだと思い、聞いていない振りをして、口を噤み、目を伏せる。
己の処遇は状況は、今どうなっているのか。彼は把握できていなかった。
もしも自身の下手に出た言動のせいで、最愛の弟である郁にもしものことがあれば。そうなる前にどうにかしなければ。
白い掛け布団を掴む手に力が入る。界人は肩ひじを張りながら、おずおずと顔を上げた。
「あー、もしかして道に迷っちゃったのかな。それはすまないことをした。ってわけではないのかな、新しい生徒さんが増えて、うれしいってことで合ってる? 荻野先生」
布施にあれやこれやと推察を転がされながら、固い表情をしていた充の口元がわずかに緩んだ瞬間を界人は見た。
「センセイってそういうもんじゃないですか?」
センセイ……という言葉の響きが道の先から呼んだ。そのあとに続く言葉は何だったのだろうか。誰かが呼んでいた。何かを伝えようとして。
その先を掴もうともがいて、長く暗いトンネルを抜けて見えた先も地獄。答えも掴めず、地上へ導く光もなかった。
どんな地獄でも構わない。何としてでも守り抜きたかった最愛の弟である、郁を救えないなら、どんな世界だって、僕にとっては黒暗々な地の底だ。
「審議中の身だが、働き次第では自由が許される」
地の底で界人が見た揺らめく光。強い眼差しを持ちながらも、その目は奥底に怯えをにじませていた。
病室での初めての出会いから、連れ出されるまでの間、界人が充と顔を合わせることはなかった。界人が目を覚ませば、いつも顔を見せていたのは、布施という男であったのに。
一度きりの邂逅で見た充。その目の奥に潜め、心の奥底に沈めて、何かをひどく怖がっているように見えた彼の姿を界人は忘れられなかった。
先生だという彼、荻野充について、界人は見知らぬ建物の前に来ていた。
平屋の大きな家。かつて檻だった場所によく似ている。ならばこの先は牢獄なのだろうか。
大罪人を生かし続けることに何の意味があるのか。重罪と決まった事案が覆るなど、まずあり得ない。審議をしようがしまいがもう決まっているというのに。
昨年の卯咲で起こった災夜、界人はその惨状が広がる地の中心で目が覚めた。奪われて所在不明だった黒き闇の刀、闇縫いの刀を手にして。
界人が自らの行いについて何も覚えていないと告げても、信用ならないと一蹴されるにちがいなかった。
潔白だと言いきれない証拠が彼の手に握られていた。裏月で最も危険とされており、何者かによって盗まれていた闇縫いの刀。それと、裏月上位五家の当主が持つ浄化の刀で、所在が不明だった、日和見刀を一振り。
極めつけは彼の瞳が、罪証と呼ばれる紅染の瞳を宿していた逃れなき事実。
誰も彼のことを一連の惨劇の黒幕ではない。そう、はっきりと証言できない状況がそろっていた。
「生きることが罰だということですか?」
渦巻く負の感情の一片が口からこぼれてしまう。無実を証明できる者も、味方もいないこの世界で生き続ける意味はあるのだろうかと。
いや、あるとすれば。償いと奉仕次第で、粛清される運命にある忌子の呪いを背負った郁の立場を少しでも良くしてあげられるかもしれない。
界人の優先事項はいつも郁。愛する者のためならば、自分はどうなろうが界人にはどうでも良かった。
「敬語、要らない。今のうちに慣れろ」
「荻野先生、あの」
「これからルームメイトとして暮らすから、そんときぐらいはタメでいい」
「タメとは」
「敬わなくていいってこと」
建物の中、部屋の前で充は立ち止まった。カギを開ける音から間を開けず、扉が開く。界人の心の準備も整わない間に、充が扉を開けてしまった。
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