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5 君がくれた名前
52 醒めぬ夜の中で
しおりを挟むベッドサイドにある、一枚の写真。パートナーの報告をするために訪れた弥生堂で、郁と陽惟たちと撮った、いつかの家族写真だ。
写真は裏を向けたままになっている。めくり返せば、いつでも会うことができるのに。
胸を焦がし、ときに包みこみ、じんわりと温かくなる、この感情に名前をくれた、その人の残像を彼は胸に抱く。
空いた心の穴を塞ぐことはできやしないが、わずかに残る愛をどうにか抱えこんで、まぶたをつつく朝陽を眺め、また今日を生きていく。
心を癒す、温かな日々が胸に刺さり、抜けない。刃を抜くことはできなかった。今も過去も未来もすべての幸せを抉り続けるとわかっていても。
家のために蹂躙された、忌まわしき過去はもうなりを潜めている。愛を掴もうとすればするほど、頭をもたげていた穢れが今は打ち払われていく。
救われたのだ、あなたが植えつけた痛みとその愛に。
姿形、声、色、匂い、あなたの思い出が、痛む胸を切り刻む。癒えることのない傷を抱えても、記憶にとどめたあなたの名を呼ぶ。
哀、悼む、その痛み──愛を知ってしまったから、知らぬ日々には戻れない。
凍りきった心のわだかまりを一度でも溶かしてしまったら、温もりにすがらずにはいられなくなる。
だからこそ、彼はその氷塊を自ら進んで溶かそうとはしなかった。自らの親が彼自身にそうしたのと同じように。
彼にとってそれが。哀が愛なのだと、自覚してしまったから止まれなかった。親が与えた痛みを超える、哀を注がずにはいられなかったんだろう。
出自を選べなかった不遇さ、死に狂う日々で芽生えた強き血への異常な固執、愛を受け入れられなかった脆き強さ。いくら彼の身の不幸を並べ立てても、彼の犯した罪は消えない。
それでも。僕だけが知っている。あなたはそうやってひどく、運命に抗おうと、もがいていたのだと。
僕だけは覚えている。痛みを刻むためだけに、作り上げた幸せな世界の話を。
たとえ偽りだったとしても、あなたが作った物語だから、僕は忘れられないんだ。
世界が眠りに覆われる闇夜、人知れず、口ずさむ。世界を壊そうとした、あなたの名を、呼ぶことを許してほしい。
形の定まらない闇の向こうから、縁がそよいでいる。永続する生き地獄に囚われた、朽ちない魂へ、その先は繋がっている。
腕に包帯のように絡みつく、黒い布。見える者にしか見えない、縁の痕。
界人の母、志希もとい色葉がまとっていた黒。最も低い身分を現していたその色をまとう。白くはためく光を遮るような漆黒のシャツに袖を通せば、夢から呼ぶ声が鼓膜を揺する。
センセイ、オキテ
醒めぬ夜の中で、誰がその名を呼んでいる──
哀夜の滅士 結
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