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4 愛が冷えた夜
50 二度目の日に
しおりを挟む泣く子をあやす子守唄がこだまする。暗い暗い箱の中で、薄い敷物に身を寄せて、腕に抱く温もりの名を呼ぶ。『郁』と。
音もなく現れた、白い包帯を体中に巻いた男が腕からその子を取り上げてしまう。
行かないで、郁を返して──
「かお、る」
歌が聞こえる。穏やかに頭をなでるような温もりを乗せた音がする。
界人が伸ばしたその手を取ったのは、セミロングの黒い髪をした小柄な男の子。髪は跳ねまくり、癖っ毛をかいていた誰かの面影を残している。
「なる、み……」
「界人! やっと起きた。今日はクリスマスイブだよ」
目覚めた界人に飛びついた彼は実希だった。
クリスマスイブ。界人が旭──成実と名を贈った彼とパートナーになって二年目の記念日となるはずだった日。ぼんやりとしたまま、界人は実希の頭をなでた。
「子守唄……」
「聞こえてた……? それ、聞くと俺、落ち着くからさ。あと、ごめんなさい、界人」
界人はゆっくりと実希をなでて、続きを待った。
「界人、『かおる』って言ってた。俺、その名前が界人の弟だってわかってるけど、うらやましくて」
実希が布団の裾を掴む。
「暗くて狭いところでさ、子守唄を聞きながら、『かおる』って呼ばれてたから、いいなって思っちゃって」
界人と郁しか知らないはずの母から継いだ子守唄を。実希はそれを知っているという。
『かおる』。それは界人の弟である郁の名前で。暗い部屋に閉じこめられていた界人は混乱して、記憶に残るその名を赤子に呼び続けていた。
自分の本当の名前を実希は郁だと勘違いしている。
「いつか、そう呼んでくれる人に、実希も会えるといいね」
呼べない。呼べないよ。これは僕が犯した罪。実希に生涯の傷を負わせてしまった拭えない罪過の痕。
実希は「うん」と鼻を啜りながらのどを震わせる。
部屋の戸が叩かれた。
「実希。永野の診察の時間だから部屋に行っていてくれ」
雄生の声だ。実希は名残惜しむように、頭をグリグリと布団に押しつけてから、パッと離れてドアを開け放ち、出ていった。
代わりに雄生がのそりと部屋に入り、実希が座っていたイスをうしろに引いて腰かけた。
「つらいだろうが、まず。あのあと、地下に潜った。が、月喰いが多く、捜索は困難だった。出入り口は封印せざるを得なかった」
地下空間で結界が解けると、地下に棲む月喰いたちが集まってきたのを界人は覚えている。そして、旭の放った最後の術によって、地上へと彼は戻された。
「そうでしょうね。急に月喰いが増えて、旭さんの術に押し出されて、地上に帰ることができた」
『僕より弱い奴に触られるとか、不快なんだけど』。旭はそう言って、界人を弾き飛ばしたのだ。
「月喰いの群れに襲われたらわかると思うがまず助からない。旭さんはもう死んだと思う」
実希の術を解く条件が、『布施旭』の死なのだと旭が告げていた。
実希が目覚めたのだから、そうなのだと界人は納得せざるを得ない。
「だが旭さんの死は学園全体としては伏せられることになる。あの学園の騒ぎを目の当たりにすれば嘘をついてもすぐわかるだろうから、実希には知らせざるを得なかったが、生徒たちには伝えないことになる」
かけがえのない養親であり、本当の親を一人、実希から奪ってしまった罪を界人は噛みしめる。
「暮葉先生が次年度に向けて、紅葉寮に新しい寮長を手配してくれるそうだ」
そう告げられれば、もう布施旭はこの世から消されるのだと界人は思い知る。
誰も居なくなった部屋で、彼ははめ殺しの窓から手を伸ばす光に、手を伸ばした。腕にまとわりついていた黒い何かがしゅるりと、引っこむ。掴もうとしても、その真の部分、生身を決して触らせなかった旭に似たものを彷彿とさせる。
窓から差しこむ光は、まるで旭が彼に笑いかけているようで、彼の目元は濡れていた。
ドアの向こうで、充と雄生が話している。
「正直、新しい寮長の手配は助かる。暮葉先生のことだ、まずい人材は配置しないだろう」
「俺もそろそろ限界だ。何人、刺客を弾いたことか」
「永野の後ろ盾がなくなったんだ。いくらでも狙い放題なんだろう」
充と雄生の間に沈黙が流れた。
「充、大丈夫か」
「結局俺は、永野に全て背負わせてしまった気がする」
「そう、か……」
「わかっていたとしても、俺たちには、どうしようもできなかったさ」
会話ののち、雄生は部屋を出た。
ひとりになった充は鼻を啜って涙声で詫びるようにつぶやいた。
「ゆづにぃ。最期にまた会えて良かった。ごめんね、ずっと」
界人はそれを聞いている。止むことない哀しみの音を。
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