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4 愛が冷えた夜
49 哀泣き世界の王
しおりを挟む十二月学園内の結界が突然、二方、消失した。開かれた聖域に、月喰いが押し寄せ、地下からもそれはわいて溢れて、ズリリと地を引きずって這っていた。
「ゆ、ゆうせぇ」
「充、その血は!」
入り口で応戦していた雄生が血相を変えて、充に叫んだ。戦慄く手足を引きずるようにして、充が紅葉寮へ辿り着いたとき、目の前で寮は月喰いによって覆い尽くされてしまった。
ゴァァアと地が揺れるほどの叫びがこだました。
「まずい、俺だけじゃ、実希一人が限界だ、充!」
「クッソ、しくった、クソが! 充、校舎に逃げろ!」と月喰いに閉ざされた寮から、雄生の呻き声が上がる。
充が気づく頃には、もう彼は周囲を月喰いに囲まれていた。
誰も守れない、誰も救えない。みっともなくかき集めて啜って繋いだ血の縁すら、ここで無下にしてしまう。
絶望の淵で立ち尽くしてしまう彼に襲い来る闇。魔の手を閃光が切り裂いた。
「君を守れて良かった」
月喰いを斬ったのは、羽鳥だった。
「羽鳥先生!」
「ずっと後悔していた、縁を斬ってしまったこと。償いになんてなりやしないけど」
そこかしこからわいてくる、キリのない月喰いを羽鳥はその刀で切り裂き続ける。
「君の命を未来に繋げたことに悔いはない。ごめんね、ミツキ、どうか、しあわせに……」
ミツキと彼は言った。充は目を見開く。
羽鳥先生の姿をした彼が握っている刀、それは忘れもしない、家族が持っていた影斬刀。
俺が縁を結んだ相手、竜生、その兄である結月のものだ。
「ゆづにぃ、謝らなくていい、から、死なない、で……」
多勢の月喰いを斬り続け、羽鳥の形をした結月は、月喰いに食らいつかれながら、その身を闇に蝕まれていく。
紅葉寮への入り口が開かれ、充の体が投げこまれる。
月喰いの異常な流入が急に止まった。「誰かが結界を張り直したんだ」と雄生がつぶやく。
外で怒声が上がった。「ジジィ、くたばるんじゃねぇぞ」と。その声に充はわずかに顔を上げた。
あの子が、ハツキくんが、来てる。
充は涙と血に塗れながら、うごめく闇の方に囚われ、外へ這っていこうと手を伸ばしていた。
建物の入り口を跨いだ手に、月喰いが手を伸ばそうとしている。紅葉寮に入っていこうとするソレに界人は吠えた。
「実希に近づくな!」
途端、月喰いの体が左右に裂けて散った。
「な、がの……」
入り口には、血を浴びて床を這う充の姿があった。
「実希は死んでない、永野。だが、ここじゃ持ちそうにない」
雄生が部屋から飛び出してきた。実希を結界で包み、抱えている。界人は充を立ち上がらせる。
四人で紅葉寮を出ようとしたが、外は大勢の月喰いが待ち構えており、校舎までの道が開けない。
夜の深い闇の中で、悲鳴が飛び交う。界人は血を吐きながら、心の内でしばし葛藤した。
その名を呼んではいけない。ならば。対象の名を口に出さず念じながら、力の限り叫んだ。
「し、ず、め!」
夜に躍る影たちが次々と地面に吸いこまれていく。界人は一人、寮から出て、月喰いを散らしながら進み、叫び続けた。
その慟哭を止めることができなかった。体の底から悲鳴がわき上がり続け、口からは絶えず血を吐き、窒息寸前だった。
「ちょ、あんたどこから、! や、永野に触れたら……」
「邪魔だ」
言い知れぬ威圧感が場を支配した。狂ったように吐血し、悲鳴を上げる界人は何者かに抱きしめられた。
「界人。君なら大丈夫」
暴れていた彼の体が鎮まっていく。
「さあ。私の目をよく見て」
焦茶色の穏やかな瞳。だが、その目に宿る力は強く、界人の中へと入りこんでくる。
「おとうさ……ごぶっ、ふ」
男の笑う顔が界人の目に焼きついて離れない。彼はそれきり、動きを止めた。
結界内の月喰いが全て消滅した。突如、現れた界導。彼の腕の中で動かなくなった界人の元へ、充はふらりと足を向ける。
「ながの……?」
「眠っただけだ」と界導は答えた。界人を抱えて、彼は充へと近づいた。
「目が覚めて知らない場所に居たらパニックになってしまうだろう。部屋に連れていった方がいい」
界人を充に引き渡し、界導は背を向けて去っていく。
「界導先生! あなた、こんな夜道を一人で帰るおつもりですか!」
雄生が叫べば、界導は夜の闇の中、振り向かずに答えた。
「君は界人の治療に専念すべきだ。それに、並みの者が私にそうそう近づけると思うな」
見えない壁の向こうで騒いでいた月喰いの姿がない。新たに打ち立てられた結界の外側は、充が気づけば静かになっていた。
「たとえ、夜に巣くう化け物だとしても。私にたやすく近づけはしない」
「何なんですか、あなたは」
充が問えば、彼は一度だけ、振り向き、微笑んだ。
「永野界人の後見人だ。彼を庇護する義務がある」
界導は身を守る武器など持たずに、夜道を堂々と歩き、去っていった。
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