哀夜の滅士

兎守 優

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4 愛が冷えた夜

47 闇に踊る声

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「君が言ったことは現実になる。私が終わると言うことは、君も死ぬということだよ?」

 「君、自分の意思で他者と一線を引いて深く交わろうとしていない、やみいの刀に何度も斬られて縁が結べない、そう勘違いしてるでしょ?」と旭が空間を刀で裂いた。

「君のその血こそ、罪なんだよ」
 ボトリ。切られた空間が地に落ちた。落ちたかたまりは這いながら、また形を変え、空間の一部へとめぐっていった。
「誰とも結べない。誰とも交われない。孤高であることを強いる、それが君に流れる支配の血」
 グシャリ、ベショリ。不快な音を立てながら、踊る空間を削ぎ続け、旭は場を整えていく。
「君は縁が切れて、それでも縁を結べないまま、苦しみ続ける」
 地に落ちても立ち上がろうとする、弱々しい結界術の残骸をその切っ先が容赦なく、切り刻み続ける。

「それでも僕は構わない」
「僕が構うんだよ」
 旭に切られ、滴っていたはずの血が地面に一滴も落ちていないことに、界人は気づいた。
「君のその血はとっても魅力的だ。支配の血──この世で最も強い力を持つ。ねえ、わかってよ、界人。僕はね、何度も肉体が朽ちて、宙ぶらりんに何度も何度も戻って、ずっと所在ないまま、生きてきたんだよ。弱くて死に損なう僕の目の前に、消えることのない圧倒的な支配の力をぶら下げられたら、掴まざるを得ないよねえ?」
 滴り落ちていた界人の血は、結界術の透明な箱に囚われ、旭の手元へとたぐり寄せられていた。

「人間は弱い生き物なんだよ。僕は普通の人間みたく、体が持たない。だからさ、確かな強固なものに、押さえつけられていたいと思うのは自然なことだろう?」
 掌中に収めた、血の箱を愛おしげに掲げ、旭は界人の姿を透かし見つめる。
「私はね、君に支配されたいんだ。強く強く、ずっと、ずーっとね。君の血に永遠に支配され続ける。それが叶うなら他に、何も要らないんだよ」
 血で満たされた箱に、旭は唇をつけた。
「でもさ、どうせなら、極上の蜜が欲しいワケ。だから、君が縁の先を失って苦しんでよがり狂って、縁を繋ごうとして血がわいて高まるのを待っていたんだ」
 箱に歯を立てれば、閉じこめられた血が揺れて騒ぐ。
「本当にうらやましいよ。あぁ、本当に、素晴らしい。縁が切れても、生きていられるなんて。僕の縁はかき集めても、最初っからボロッボロで施しようがなかったってのにさ」
 大きな口を開けて、それを飲みこんだ。ゴクリとのどが鳴る。界人はじっと旭を見つめて動かない。

「君は思考の緩急をコントロールしてるよね」
 ペロリと旭は口の端を舐めた。
「つらい感情は短くとどめてすぐ散らして、楽しい感情と記憶は長ーく脳内に回しておく。そうでしょ?」
 口の端を歪めて、彼は言う。
「あーんな、身も心もズタズタにけがされて、次期当主なのに、実は非嫡出子でしたってさ、物語の主人公なら悲惨すぎて、人間性がさ、性根から腐っちゃうのに」
 眉根が寄る。「だって、君の思い出って、あまりにも愛にあふれてたから、おかしくって」とまるであわれむような表情を旭は浮かべた。

「だから、残したんだ、深く溺れるほどのアイを。癒えない傷として」
「わかったような口を……!」
「わかるさ。私はストーリーメイクをする、調整役の人間なんだ。だから、人の言動とか心理とか、よくわかってないといけない。君はかなり考察のしがいがあったし、作った道筋通りに進まない駒鳥で、とっても楽しかったよ」
 自ら仕立てた宴で旭は心底、楽しそうに微笑んだ。

「私のこと、愛しているだろう、界人」
「…………ええ」
「そんな一途な君に、もう一つ、とっておきの贈り物があるんだ。ずっと、温めてきたんだけどね」

 「仕上げだ」と言えば、空間が生まれ変わる。木の根が這っていた地下空間は、石造りの内装へと姿を変えた。

「君は暮れ枯坂でやみいの刀に貫かれ、縁を斬られたあと、私と縁を結んだ。そして、生まれたんだ、僕たちの愛の結晶が」
 ござの敷かれた場所が現れる。界人の目はその場所に釘付けになった。
 僕は、気がつけば暗い場所で、敷物の上に身を寄せて、鳴く赤子を抱いていた。「郁」と呼んで、あやす自分の声。
 白い包帯の男が来ると、その子を取り上げられてしまう。僕はいつも身が引き裂かれる思いで、夢に引きずりこまれていた。

実希みのりだよ。僕たちの子ども」
 界人の見ていた夢が砕け散った。

「黙れ。二度と口にするな」
 ごぷりと、旭は吐血した。
「素晴らしい、君の血は本当に素晴らしい。今までで一番、生きていると感じられる痛み! 君に強く支配されていると感じるよ」
 歓喜にわく旭に、界人を身を戦慄わななかせる。
「もう、やめて、旭さん……」
「やめてだって? 界人はひどいね。君が言ったんじゃないか。『ぜんぶ、壊してくれ』って。僕は君を救いたい。なら君が繰り返し願うほどの思い、叶えてあげたいと思うのは、当然でしょう?」
 「ごめんなさい、僕」と嘆く界人の弁解の続きを旭は許さない。「ダメだよ、界人。君はここで僕を殺さないといけない。さもないと」と口から血を流しながら、表情を殺した旭が界人に告げた。

実希みのりに全部打ち明けたあと、実希みのりを殺す」
 旭は刀をぐるりと回して、ほくそ笑んだ。
「君がここで倒れたらみーんな死ぬよ。そうだね、次はかいどう先生かな。あーでも、界人の弟君の方がやりやすそう」
「父さんにも郁にも……実希みのりにも手出しはさせない」
 旭は歯をむき出しにニタリと笑い、刀を掲げた。
「かかってきなよ。あぁ、今までで殺さないように調整してたから、気をつけた方がいいよ」
 刀の切っ先を界人が下げれば、地面が抉れた。
「それほどの力量がありながら、なぜ隠していた」
「だって界人、自分より強い人間がいたら、大事な人、守れないもんね」
 空間がよじれる。やみいの刀は振り上げられただけで、旭の刀を押し返した。


 「不完全でこれか」と旭はニィと口を歪め、片目を細めて耐えきる。
 旭の目の前には、貶められ傷だらけで尚も、美しく気高く立ち続ける、孤高の支配者が佇んでいる。
「愛を見失い、闇に惑わされた者、君はよく知ってると思っていたけど?」
 繰り出される漆黒の軌道が、幾重にも張りめぐらせた結界を切り裂き、守護のかかっていない丸腰の刀に触れかける。
 「そうか、そうか。知れ渡ったら、うらづきの意義が根本から覆っちゃうもんね」と旭は刀をいなしながら、さらに結界術を打ち出していった。
「あのね、知っていて刀を握らない者もいるんだよ、知ってもブレない者もいる。でも、たいがいの人間はこの事実を知ったら正気ではいられなくなる」
 界人の刀はすぐさま向きを変え、次々に押し出されいく結界術のかたまりを刻み続ける。

つきいとは、愛を失った人間のなれの果てだよ」
 旭の言葉を受けても、界人の剣戟はまったく鈍らない。
「人間が人間を殺し合ってるんだもの、そりゃあ、狂うよね」
 刀で受けきれなかったじゅを界人は避けずに、全て食らい、その身にいくつもの切り傷と痣を作っていく。
「じゃあなんでみんな気づかないのかって話だよね。は匿い隠してるんだよ、大事なことを。フルムーンイーター。あれは陽動。もうこれでわかったんじゃない?」
 刀を振るう以外の感情を廃し、変わらない界人の表情の機微を旭は都合よく解釈していった。

「人間の頭はね、危機に瀕したとき、それほど多くの情報をさばけないんだ。自分にとって最大の脅威とは何か、脅威の排除またはそれからの逃避、危機回避で頭がいっぱいになって、他のことには認識が甘くなる」
 刀の押し合いになれば、旭はすぐさまじゅを打ちこみ、結界術で距離を取る。
「君は困ったことにその点、危機に瀕した際の脳内の処理に長けている。目の前の君をすり抜けてなんて行けないし、とどめを刺さないかぎり、僕は一歩も外へは進めやしないだろうね」
 足元が深く抉られている。旭は界人に距離を詰められ、彼を弾くばかりで、自身が一歩も前へ進めていないと気づいた。

「でもね、一つだけ、あるんだ、どんな人間も鈍らせる方法が」
 旭はそれでも余裕の笑みを崩さず、界人に向き合う。
「アイだよ、人はアイに足を取られて、身動きができなくなる」
 界人は足を止めた。
「そうだよね、界人。現に君はアイに縛られて、僕を殺せていない。アイがなかったら、容赦なく斬り伏せていただろうに」
 肩で息をして、あかい罪証を宿した瞳で旭を見ている。

「君の身ごもった愛はどんな味がするんだろう。ねえ、愛ってどんな味がするの、どんな匂いをさせてる? どこでそれを感じるの?」
 目の前の界人は、上半身、斜めに大きな切り傷と、全身にいくつもの傷を負っている。彼の内にある愛がにじみ出たような赤色で、全身を彩っていた。
「君は知るよ、与えられてきた愛がまやかしだったってこと。君は何を愛しているんだい? 僕という器か、それとも僕を成す魂か」
 界人の目がゆっくりと見開かれて、美しく白い肌に、映えるあかい花を咲かせていく。

「死を迎えて、魂が無事な方と器が無事な方を引き合わせた事例を知ってるんだ。器は所詮は魂の入れ物。意思は魂に引きずられてる。生前と同じ魂を持ち、別人の体で愛する人の前に戻るわけさ。でも、拒絶される。そりゃ、そうだ、知らない姿形の人間から愛してるだなんて、とうてい受け入れられるわけないよ」
 「まあ、稀に魂の方に執着してる輩もいるにはいるけど」と旭はぐるりと目を回してから、界人へ視線を戻した。

「さぁ。僕か、僕以外か。選べよ、界人」
 旭は手を広げて、惨劇に咲き誇る孤高の王を出迎える。
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