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3 隠された謀
45 壊れた天秤
しおりを挟む充との不仲を引きずったまま、界人は郁の養親の家を訪れていた。学園の後期が始まって、秋めいてきた日曜のこと。頼みこんで付き添ってもらった充は、月見家の門をくぐらなかった。
「君が郁の兄か」
「はい。永槻界人と申します」
居間に通された界人は、本名を名乗り、顔を上げようとした。
「君は郁を危ない目に遭わせた。今さら、どうするつもりなんだ」
郁の養父である月見満生の反応は厳しいものだった。
「満生さん、いいじゃないの。兄弟なら何があっても生きているうちに、会っておくものよ」
恒子、郁の養母である女性が、界人の肩に手を当てて、顔を上げるよう促した。
「私の弟はね、オギノ サネミくんと言うのだけど、死んでしまったの、とてもきれいなままで。病気だったの」
恒子は満生の隣に座り直す。界人は彼女の話を表情を変えずに受け止めた。
「会いたかったのに、会えなかったのよ。弟は私たちのために家の犠牲になったから、会いに行ってはダメだったの」
会いに行かないと決めた人がいる。界人の心が揺らぐ。
「あなたは後悔しないように、生きているうちに、会いたい人と顔を合わせておくべきよ」
界人は無言で首を縦に振った。
「永槻。君に渡しておくべき物がある」
そう言って満生は隣の部屋のふすまを開けて行ってしまった。彼はすぐに細長いものを持って帰ってくる。
「これは郁が庭に置かれていたときに一緒にあった物だ」
満生が掲げた細長いものの、その形状、長さは、影斬刀にちがいなかった。
「私は迷っている。だが、これは君にとって必要な物だろう。渡すには条件がある。約束してほしい。この刀を決して、郁に握らせないと」
界人はもう一度、頭を下げた。
「月見満生様、月見恒子様。郁を養育していただき、誠にありがとうございました」
「裏月になど、関わらせたくはなかったよ」と満生は静かな口調で言った。
「申し訳ありません。ですが、僕が郁を守り抜きます」
満生が刀袋を界人に差し向ける。
「あの子の選んだ道だ。君の言葉も信じよう。これが育て親としてできる精一杯の見守り方だ」
界人の手に、その刀が渡っていく。満生は言った。
「君は見失うなよ、大切なものを」
「あなたは……見失ってしまわれたのですか」
「私は手負いの獣、同然だった。だが、再び愛に触れて、揺らいでいた私の地は固まったよ」
そう言って満生は隣の恒子の肩に、愛おしげに触れたのだった。
月見家からの帰り道。界人は恒子が口にした、オギノという姓名が気になっていた。充の姓名は荻野といったから。
「充。荻野って、もしかして、養親の姓名だったりする?」
隣を無言で歩いていた充が「あー」と口を開いた。
「俺、立夏寮の羽鳥先生のところに最初はいたから、羽鳥先生の旧姓をもらったんだ。それで、そうだな。安易に俺が提案した。それでお前は永野になった」
「だから、永野……なるほど」
話を流しながら界人は考える。羽鳥真見。もし彼の旧姓が、充の荻野で、郁の養親が言った、彼は死んでいることが事実だとするならば。
誰が羽鳥真見は偽っているのだろうか。
戌月折秋、界人の元婚約者は、界人を殺そうとしたため、雪季が処した。それなのに、彼は別人の体で戻ってきた。
そこに何かこの恐ろしい秘密の答えが隠されているような、予感を界人は感じとった。
師走が近づき、忍び寄る寒さが肌を震わせる季節。暖房の効いた部屋で、界人の手は震えている。戸の向こうでは旭が風呂から上がった気配がしていた。スッと、ソファーの下に手を入れ、探るようにしてからまた元に戻した。
「界人。お待たせ」
「成実さん」
それは親から付けられた名前を厭う旭に、界人が渡した名前だ。呼ぶ度に、旭は表情をほころばせる。
「なぁに、界人」
旭は界人の隣に座って、彼を抱き寄せた。
「僕はあなたの全てを受け止めたい」
スンと旭は鼻を鳴らした。
「僕の全て? 君だよ。僕は君を救いたい。それが僕の全てだよ」
旭の抱擁がキツくなっていく。
「君は何度も僕に願った。僕の全てである君の強く願うこと、それを僕は叶えよう。そう思うのは当然のことじゃあない?」
ミシリと体が悲鳴を上げる。
「君が言ったんだよ、『僕を許さないでくれ』。そして、」
裂けた傷口からにじみ出るそれを彼は舐めとって、この上なく幸せそうに笑った。
「『ぜんぶ、○○○くれ』って」
界人は叫んだ。自分の叫び声で目が覚める。
「永野!」と充の呼ぶ声がして、ドアが激しく叩かれた。界人は何度も呼吸を繰り返した。
「すまない、永野」
ドアの向こうから充が嘆く。
「俺は気づけなかったんだ、こんなに長い間。いや、気づかない振りをしていたんだ、本当にすまない」
充が額をドアに擦りつける音がした。
「言いたかったこと、本当はちがったんだろう?」
もう何も口に出してはダメだ。界人は自分の内に潜む力に怯えた。
「言ってくれ。俺はもう巻きこまれる覚悟を決めた」
もう、巻きこまないと決めた界人の心はグラついた。もしもまだ、全てをいや、一つでも救える道があるのなら、界人はふらふらと立ち上がり、ドアを細く開けた。
「呪詛には、使った者の痕が必ずしも残る、そうだよね、充」
「そうだ」
ドアのすき間が広がっていく。照明が目に染みて、界人は自分の目を細めた。
「志葉先生を殺したのは……旭さんだったんだよ」
廊下で悲鳴が上がった。二人は顔を見合わせ、廊下へと急いだ。
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