哀夜の滅士

兎守 優

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2 罪の正体

41 柵の中で

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 勧められた席を断り、ソファーの端に座った界人は、飲み物も断って口を引き結んだ。
「パーティーのことは私のせいで申し訳なかった」
「遅いですよ。僕がどれだけ心細い思いをしたか」
「マダムたちに囲まれて無理やりにでも抜け出せなかったのは反省してる。私が解放されるまでかいどう先生が君のことを見ていてくれて、君が楽しそうにしていたから、大丈夫だなんて思ってしまったんだ」

 かいどうと庭を散策したあと、メインフロアに戻ればまだ旭は輪の中心にいて。立ち尽くす界人をかいどうは再び連れ出し、屋敷を案内したり、部屋でお茶を出してくれたりして、界人の相手をしてくれたのだ。
 かいどうとの間にほとんど会話はなかったが、そばにいてくれるだけで、界人はカサついた心が潤うのを感じていた。
「ごめん。君がヤキモチを焼くのが、可愛くて、つい」
 ソファーが沈みこむ。

「君はよく表情を変えるようになったね。私がそんな君をそばでも遠くからでも、見られてうれしいんだけど」
 界人はムッと口を噤んで、ますますそっぽを向いた。

「ねえ、界人。そばにいたいときはさ、手を握ってくれない?」

 すり、と布地を滑る音がする。音がピタリと止まって、界人が流し目で見れば、彼の手はソファーの半分の位置で動きを止め、それ以上、進んではこなかった。
 旭と目が合いそうなスレスレで、界人は目を逸らした。
 膝の上で握りしめていた左手をソファーの上に落として、手を開いていく。ズリ、ズリと、腕が布地に滑る流れに任せて、ソファーの真ん中へ、手を近づけていく。
 指先が触れてしまう。界人が指を引きかけたのは一瞬で、手の甲に指を覆いかぶせて、その大きな手の温もりを確かめるように握った。
 ぐるんと旭の手が向きを変え、彼の指が動いた。界人の指を食らうように絡みつき、手のひらが合わさる。指の付け根まで、旭の指が食いこんでいった。

「おいで、界人」
 繋いだ手ごと、引き寄せられて、倒れた界人は旭の膝の上に頭を乗せられて。繋がったままの手に、旭は食むように唇を這わせてくる。
 旭が肌の感触を楽しむように唇を滑らすので、彼の膝枕に転がされた界人は目を細めた。「ベッド、行く?」と旭がニヤリと笑う。
「いえ。もう少し、このままで」
 イタズラな笑みを返して、気の済むまで界人は、母の温もりにすがっていた幼き日のことを思い出しながら、無邪気に旭の膝に頭を預けていた。


 学園が後期に入る前、九月に入ると充は部屋から出てこない日がある。界人はそれでも充の部屋のドアを叩いた。
「充。話がしたい」
 声など届かない。音すらも響かない。彼は今、カギのかかった箱の中にひとりきり。過去の檻に囚われ、意識がすべて無音の弔いへと落ちている。
 それでも、少しずつ。言葉を重ねていくしかない。愛なき冷えた暗闇へひとり、落ちていってしまわないように。

「君の話を聞かせてほしい」
 受け止める、すべて。君が抱える箱があふれて壊れてしまう前に。
 確かにその意思は心の奥底にはずっと眠っていた。理不尽に押し寄せ、踏みにじり、愛を貪り奪う者たち。そのすべてを手にかけて、二度と息ができぬよう、沈めてしまいたい、邪念がずっと渦巻いていた。
 けがれなき弟をだというだけで虐げる、世界のすべてを葬りたいと願っていた。積もり積もったその恨みが、仮初めの家族に身勝手な制裁を下し、一門を根絶やしにしたのだ。

 大罪だった。生まれ育った屋敷中を土足で踏み荒らし、引っかき回して、全ての命を摘んだ。
 夢を見ている心地で意識はほとんどなく、体の自由も利かなかったが、界人は己の罪であると強く自覚した。
 飼い太らせた憎悪が、防波堤の堰を切らせた。君は操られていたと何度言われようとも、界人はながつき家の血の浄化を自分の罪だと、自罰の言葉を刻み続ける。
 もう二度と。刀を握って離さなかった左手を握りしめる。一度犯してしまった過ちの道を二度も誰かに辿ってほしくはなかった。

「充」
 カギが開く、音がした。半開きのドアの向こうから、懺悔のようなか細い声が紡がれる。
「俺には両親と、年の離れた兄が二人いた」
 褪せた過去が静かに色づき出す。
「俺は生まれたときに、その兄の一人に縁を斬られたらしい」
 充はドアの向こうで、自分の内に浮かび上がる過去を押し止めようと、上澄みを掬うように、声を絞り、言葉を細く切っていく。
「でも、もう一人の兄と…………縁を結んで、生きられた」
 ほんの少しだけ、充の声に明るさが乗った。
「みんな死んだ。俺を守るために」
 その一言で、全てが暗に落ちていく。
「そんなこと……」
「あるんだよ。俺には幼馴染みもいて、将来、争い合う運命だった」
 充がうめいた。苦しみながらも、それをまるで己の罪のように、懺悔していく。
「争いは起こった。家同士で殺し合って、俺と彼だけしか生き残らなかった」
「幼馴染みの子は生きているんだね?」
 充の自嘲気味に笑う声がした。
「会えない……会えるわけない。俺の父が、争い合うように仕向けたのに。今さらもう、会わせる顔もない」
 充の独白めいた告白は、さらに続いた。
「俺と縁を結んだ兄は最後まで、戦った。俺を押し入れに押しこんで。そして誰の声も、ぶつかり合う音もしなくなった」
 ギシリとベッドが沈みこむ音が鳴る。

「静まりかえった屋敷で押し入れから這い出て……飲んだんだ、千切れた縁の先を」

 界人は目を伏せる。月明かりの乏しい夜、暗黒が口を開ける坂の入り口で、流れ出たあかに泣き、切れてしまった縁を抱いて慟哭したさいの記憶がめぐる。
「だから俺は縁の相手を失っても、生きている。これきりにしてくれ」
 それきり、扉が閉ざされる。

 戦う術を持たずにつきいを前に逃げず、生きようとしない死にたがり屋と怒られた日のこと。
 台所下にしまわれた使われていない刃物。
 会えない家族と忘れられない痛みの記憶と、寮のみんなを新しい家族だと思えて救われたという話と。
 縁は血の味がする、その言葉を口外しないよう、旭に止められたこと。
 暴力が嫌いで、危ないことは極力回避させようと立ち回っていて、生徒たちが学園を巣立ったあとのことまで考えて対策を講じていて。
 刀を握るなら、慎重になれ、と血相を変えて説得してきて。
 監視役だというのに、己の目で見て、自らの頭で考えて判断して、ときには怒って、まちがいを正そうとして強く口を出してきて、ときには旭との仲を取り持とうと背中を押して、充はそうして界人に向き合い、接していた。

 ドアに鍵がかけられた。界人は伸ばしかけた手を落とし、自分の胸に手を当て、受けた痛みを握りしめた。
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