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2 罪の正体
39 お願いごと
しおりを挟む上の空で虚空を見つめる界人の肩が、ふいに叩かれた。
「パートナーの報告を済ませて早速で申し訳ないんだけど、七月、夏休みに入るから、夕刻までには帰れるところなんだけど、君のダンスの腕を見こんで付き合ってほしいことがあって」
十二月学園の紅葉寮に戻った界人は、旭とともに、根掘り葉掘り聞かこうとする留守番組に捕まり、旭の部屋に押しこまれていた。
差し出されたマグカップを口につけて、紅茶を飲んでから、界人は答えた。
「お願いとは何でしょう?」
「教育長の界導先生が主催するダンスパーティーにその……女性の振りをして付き添ってほしいなーなんて」
「永野に女装させるだと!?」と充は立ち上がり、「似合う……んじゃないか?」と雄生は目をさまよわせる。
「界導教育長の動向をって学園からのお願いなんだけど、毎度毎度私一人で行っていたら完全な諜報員扱いじゃない?」
「俺は男ですが……」「永野は確かに男だ」「めかしこめば関係ねぇーだろ」と界人、充、雄生が口々に言い出すのを実希がぴしゃりと遮った。
「三人とも一旦黙れ。親父、ちゃんとわけを話して」
「いやー、うん、あのね」と旭は頭をかく。
「お一人で来られるのでしたら結構ですって返答で、困ったから、姪っ子を連れて行きますって返事を出してしまったんだ」
「適役がいなけりゃ、俺を連れていくつもりだったんだな?」
「実希はだめです。成人もしていないのに、リスクを負わせるのは反対です」
界人はそれだけはと、はっきりと主張を通して譲らなかった。たじろぐ旭に、実希は「よし」とこぶしを握り締めて見せた。
「わかった。やる。半年もあれば余裕だぜ。俺がなんとか仕立てる」
「半年? 仕立てる?」と戸惑い、固まる界人をよそに、実希たちはあれやこれやと張りきり出す。
実希が所作のすべてを監修し、雄生が見繕った布地や装飾を旭が仕立てる。充は呪詛で服装以外の外見を変える術を界人とともに試す日々。界人は志葉の見回りに付き添いながら話題作りのためにと、卯咲の市井の様子や情報を仕入れていく。
「永野、なにか収穫はあったか?」
この日、界人たちは旭の部屋で、中間報告と称して集まり、それぞれの成果を報告し合っていた。
「卯咲では、颯葵のセロト」
「待て待て、それはこの学園ではタブーだぞ!」
雄生が机を叩いてまくしたて、界人の報告を遮れば、旭が「まあまあ」とたしなめた。
「颯葵の話題はこの学園ではタブーだけど、界導先生の前では知らない振りはできないからねえ」
「俺なんて、月見さんの家に行ったとき、彼らのお子さんに『セロトニン忍』ごっこで遊びたいと言われて困ったぞ」
「あーね。クラスの奴も、蓄光人間とか朝型勇者とかふざけてて、先生に反省文、書かされてたわな」
充と実希が困った事例を話せば、界人の顔を旭がのぞきこんでくる。
「界人、なぜって顔してるね」
「タブーなら仕方ないですが、なぜと生徒に問われたらどう説明したらよいかと」
「学園の決まりごとだから、と生徒たちには説明するしかないよ。こっちの実情を事細かに告げても、理解してくれる子がどれぐらいいるかってね」
「じゃあ、俺は生徒なんで席はずしまーす」と席を立ちかけた実希を旭は「居ていいよ」と引き留めた。
「颯葵の作品に一貫しているのは、人間は昼行性の生き物であるから、夜行性にはなれないということ。人間が日の光を浴びず、夜に生きようとすればヒドい目に遭うというのがだいたいの話の筋だよ」
「それは人間の特性上、当然のことではありませんか?」
「でもさ、私たち、裏月はそうはいかないんだよ。月喰いは月夜に出現するから。裏月の影斬りは月喰いと戦い続ける限り、夜を生きていくしかなくなる」
「っていうどうしようもない事実をさ、この学園にいる限り、生徒たちはちっとも体感できないワケ」と旭は大きくため息をついた。
「それは、この学園は常時、結界で守られているから、ここにいる限り、月喰いに襲われる心配はないということですよね」
「そう。特に教員は寮で生活しているから尚のこと。生徒でどうしてもの子だけ、教員寮で預かるけど、彼らは基本、学園の外から通う。そうしたらどうしたって、教員と生徒とじゃあ、月喰いへの危機感とか、話題とか、感覚とか、ズレていくんだよね、困ったことに」
「私たち教員は持ちうる限りの見識をもって、生徒に知識を与えて、教え導くまでだよ」と旭は口にした。
「さて、本番が近づいてきたね。みんな、最後までよろしく」
旭のあいさつで、集まりはそこでお開きとなり、「じゃあ」「そんじゃ」「ちーっす」と充、雄生、実希はマグカップを流しに置いて次々と部屋を出て行ってしまう。
旭の部屋に界人だけが残された。
「まーた、気をつかわせたかな。あはは」
カップを傾けながら、旭がからからと笑う。
「なんかさ、ここは結界内だから感覚が麻痺する気持ちもわかるんだよなぁ」
残りの菓子をつまもうとした界人は手を止めた。
「結界のギリギリまでは月喰いが近寄れる訳だから見せようと思えば見せられる。でも、夜にそんな実習なんて言ったってさ、ほとんどそれは実戦なんだよ。それに、万一に備えて影斬刀を扱える教員が複数人ついていないと、何かあっても生徒を守れない」
伸ばしかけた手を膝に戻し、話を続ける旭を界人は見守った。
「この学園に影斬刀を扱える教員が何人いるかってね。君はどうだい、界人」
眼鏡の向こうの瞳が界人をまっすぐに見つめてくる。彼の答えはすでに決まっていた。
「僕は、守るためならば刀をふるうこと、ためらいません」
「君のそういう、強くてまっすぐなところ、好きだよ」
好き、と言われて界人はほおを染めた。旭は満足げににんまりとしている。
「そういえば、七月も近いから、私は君の体調が心配だよ」
界人は唇を食んで、目線をさまよわせてしまうが、旭の視線が惑う彼を追ってくる。
「だからさ、とっておきの秘密の治療を試してみない?」
視線が絡み合う。旭の目が細められた。
「今日、強くしてもいい?」
低く擦れた声で誘われれば、界人はますます身をぎゅっと固くしてしまう。
ベッドで二人は抱き合う。鎖骨に痛みを感じた界人が小さく呻いた。
「ごめん。強すぎた?」
気づかう声はリップ音に消えていく。痛む箇所を旭の唇が這い、濡れた舌が傷口に染みて、じわりと痛みが広がっていく。
痛い。けれど、胸の鼓動がうるさい。熱がカッと燃えるように滾り、収まる気配がない。
苦痛なのか、悦なのか。わからない底なしの深い沼へ引きずりこまれ、界人は溺れていった。
ブラウンのショートヘア、焦茶色の髪色と紅茶色の瞳に、二重まぶたに憂いのある目元、薄いピンクベージュのリップをひいた唇。光沢のあるベージュのカーディガンを袖に通し、紺色のワンピースを着て、ラウンドトゥでつま先の丸いローヒールパンプスを履いた、あどけなさを残しつつも、大人の雰囲気をまとう女性の姿が鏡に映っていた。
「バッグはこういう跳ねた色にしといた方がいい」と実希から渡された、ピスタチオグリーンだというハンドバッグを持たされている。
「素が良すぎて化粧も邪魔になるし、着飾るとくどくなるからシンプルでいいんだよ」と実希は雄生が用意したアクセサリーや化粧品の類は全て下げてしまった。
「はーい、オヤジ。できたから見ていいよ」
合図で界人が振り返れば、振り向いた旭と目が合う。旭はダークグレーのパーティースーツを着用しており、蝶ネクタイを結んだ服装をしていた。
「いいか、永野。ダンスは見学したいからと極力断れ。呪詛で外見はごまかせても、触れられたらバレるかもしれない。感触もごまかせるようには服も一応は仕立ててあるが、危ない橋は渡るな」
充たちに行ってこいと背中を押されるがまま、界人は旭にエスコートされ、紅葉寮を出た。正門をくぐれば迎えの車が着いており、ドアが開けられる。
「界導先生、歓迎はしてないだろうけど、こういうところは丁寧なんだよね」
旭は界人あらため、姪っ子の、布施メイコを先に通した。
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