哀夜の滅士

兎守 優

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2 罪の正体

36 丘の上

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 新雪が溶けた頃、十二月学園の紅葉寮には浮ついた雰囲気が漂っていた。
 旭の部屋で界人は体を左右に捻り、自分の衣服を確認していた。
「いいね、似合っているよ、界人」
「そんな、旭さん。いつもの服装と変わりませんよ」
 長袖の白いシャツは旭がこの日のためにと下ろした新品で、ダークグレーのスラックスとジャケットまでもが、旭とおそろいだった。

「ね、君がくれた名前で呼んでよ、界人」
 髪はすきながら、旭は甘いささやきを界人に吹きこむ。
「成実……さん。今日はよろしくお願いします」
「仰せのままに」
 旭のちぐはぐな返しに、界人は苦笑してしまった。

「そういえばね、手ぶらで行くのもなんだと思ってさ、界人から手紙以外の贈答品を外部に出してはいけないから、これらは全て、私からということにしておくよ」
「ありがとうございます」
 界人が仕立て、刺繍も施したショールとブランケット。他に、充が買ってきて忍ばせたらしい何かと。
 彼は紙袋の中身を見ずにはにかみ、「うんうん」と旭はにこやかに笑う。
 ジャケットの上にトレンチコートを羽織り、二人は玄関口に立つ。
「日曜だからかな。まだみんな、寝てるのかも」
 前日まで騒がしくしていた紅葉寮のルームメイトたちの見送りはなく、静かな旅立ちとなった。
 界人と旭は、うらづき第三位、立華改め、月見家となった弥生堂を目指して寮を出た。

「志葉先生も連れてきた方が良かったかなあ」
さきの見回りがあるそうですし、弥生堂へ行くのなら、監視を増やす必要はないそうです」
「はは。そうだね。立華先生いや、今は月見先生か。彼の洞察眼の前なら、どんな人間も丸裸だから心配ないね」
 楽しげな旭の横顔ばかり気にしていたが、ふいに旭が視線をうしろへ向けたので、界人は目を丸くした。

「それに今日はみんなそろってのお出かけだからねえ?」
 「げ、バレた」とゆうせいの声が。「ヤサオがデカいからだろ」と悪態をつく実希みのりの声も。
「申し訳ありません。心配であとをつけました」
 充だけは正直に頭を下げてくる。
 「別に、俺はちょっと散歩に付き合っただけだし」と実希みのりはそっぽを向き、「俺だって見回りの一環だ」とゆうせいはその反対を向いてしまう。
 充だけが真正面で、戸惑いを見せていた。

「そっか。じゃあ、充君は先生としてのお役目を果たさないとね」
「お、俺も行くんですか」
「行くんでしょう? だから、来た」

 「彼もいるよ」と旭は充に目配せを送れば、充はうつむく。実希みのりが小突いて背中を押した。
「界人と親父のこと、しっかり見届けてこいよ、じゃあな!」
 ゆうせいを引っ張り、実希みのりは引き返していった。
 残された充は歩き出そうとしない。界人は白い息を吐きながら、眉根を寄せた。

「ごめん、気づかなくて。充も行きたいなら、遠慮なく言ってくれて良かったのに」
「もう界人ってば。最近は志葉先生ばかりで、充君はもう自分がお役目御免ぐらいに思ってたんだよ」
 界人が口を開こうとすれば、足元に小さな衝撃が走る。彼にまとわりつくように跳ねるのは、毛の白いうさぎだった。
「おや? この子は弥生堂の……」
 屈んで伸ばされた旭の手をすり抜け、うさぎは充の方へ跳んでいく。充の周りもぐるぐると忙しなく、駆け回った。
「うさちゃんも、おいでってよ」
 充は苦笑いを浮かべながら、うさぎを踏まないように、おそるおそる歩き出した。


 丘の真下に着けば、道案内をしていたらしいうさぎは、一目散に丘を駆け上っていってしまった。
 丘の上には塔のような建物がそびえ立っていた。ポッと白い花弁が顔を出し、次々と花を開かせていく。界人が目を輝かせて振り向けば、旭は眼鏡を押し上げて微笑む。
「珍しいね。月見草がこんな朝から花開くなんて」
 旭は「さあ、行こうか」と界人の手を取り、うしろを遠慮がちについてくる充に先を促した。

 白い花に脇を固められ、草を踏み分け、三人は門の前まで進む。朽ちかけの門は、軽く押せば直ぐさまキィと音を立て開いた。
 大きな寸胴のような建物──弥生堂の扉は開いていた。覆い布が垂れ下がっており、界人は足を止めて呼んだ。
「ごめんください。永野界人です」
 覆いの裾が膨れ上がり、白いうさぎが彼目がけて突進してきた。
「わあ!」
 倒れかけた界人に「永野、どうした!」と充が慌てる。
「ごめん、兄さま。さっきまで大人しかったのに、もち丸が急に元気になっちゃって」
 涼しげな声とともに、覆いの横をするりとすり抜け、紺桔梗色の髪色の青年が顔を出した。飛びこんできたうさぎを胸に抱えながら、界人が青年に近づき、抱きしめた。

「郁……会いたかった。また会えてうれしいよ」
「僕も、兄さま」

 二人がぎゅうと抱き合う直前、うさぎは界人の腕から抜け出す。
 「だあれ?」と奥から、鈴を転がしたような幼い声がした。
 「さ、どうぞ、どうぞ」と郁は三人を中へと導いた。
 出入り口の覆いが落ちれば、弥生堂の中は真っ暗になる。ところどころに置かれた淡い光源装置と、郁が手に持つ大きなランタン、居間から漏れてくる照明の明かりが頼りだった。
尊人みこと琉生るい。ごあいさつして、界人兄さまだよ」
 居間のガラス戸を引くと、「にーさま!」「にぃさま!」と男児は元気な声をそろえて、界人たちを出迎えた。
「初めまして。尊人みことくん、琉生るいくん。界人です」
 界人が屈んで目線を合わせれば、「抱っこ!」「僕も」と二人はねだり、「兄さまは抱っこじゃありません」と郁がたしなめ、笑いが起こる。

「郁、これ……」
 旭から受け取った紙袋を界人は郁に差し出した。
「ああ、表向きは私からということに。あなた方への贈り物です」
 旭が紙袋に手を添えて押し出す。
「わぁ、ありがとうございます」
 紙袋を受け取る郁の表情がパーッと華やいだ。
「これ、花紋の刺繍が入ってる! すごい」
 郁が袋から取り出したのは、界人が刺繍を施したショールだ。
「うさちゃんが好きなやつだ」
「うさちゃん、おふとんだよ」
 尊人みこと琉生るいが口々に言って、ショールの端を掴む。二人に呼ばれた白いうさぎは鼻をヒクつかせ、はためくショールに合わせて頭を動かし、ショールの動きを追っていた。

「んだよ、にぎやかだな」
 金属の擦れあう音とともに、黄土色の跳ね髪の青年が、暗がりから居間に顔を出した。
成清なるせくん、来ないかと思ったよ」
 成清なるせは居間の上がり口の前でピタリと止まった。
「木こり屋の木の実クランチじゃねえか」
 居間のテーブルに置かれた紙袋を成清なるせは指差した。
 「それは充君から」と旭が説明すれば、「先生、えーと、充先生だっけか。どうもッス」と成清なるせは首を振って、軽い会釈のように頭を下げたが、居間には上がらなかった。

「パパ、まだ寝てるの」
「パパ、うさちゃんがおうち入るって」
 尊人みこと琉生るいがうさぎを居間のガラス戸の方へ押し出せば、戸に人影が浮かんだ。
「はいはい、今出ますよっと」
 細い声がして、戸が開けばうさぎは一目散に反対側へ走り、足音を立てながら階上へ駆け上っていってしまった。
 ガラス戸を引いて居間へゆっくりと現れた男は、ひどくやせ細り、全身が雪のように白く、界人の姿を見つめ、儚げに微笑んでいた。
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