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2 罪の正体
35 手紙
しおりを挟む学園が冬休みに入った頃だった。
雪がさらさらと降る。外は厳しい冷えこみで、クリスマスイブと呼ばれる日を界人は旭の部屋で過ごしている。
「永野、手紙が来てたぞ」
事務室から帰ってきた充が肩を小刻みに震わせながら界人の元をたずね、封の切られた手紙を差し出した。
「すまないが、念のため、中身は確認させてもらっている」
「構わないよ、ありがとう」
「充君、寒いところ、ご苦労さま」「いえ、俺は。ついでに生徒がはしゃいでないか、見回りに行けたので良かったです」「あんなに凍えるに、子どもは元気だねぇ」「あと羽鳥先生にもお会いしました」「あはは。捕まったんだね」「いつもの通りのお話で……」
旭と充が交わす会話のほとんどは、界人の耳に薄らと入る程度だった。
くしゃりと手紙の端に力がこもり、紙が捩れた。
「よかったね、郁」
「界人、どうかした?」と声をかける旭に、界人は抱きついた。
そばで見ていた充は「おぉ」と声を上げながら、部屋の戸を閉めていなくなってしまう。
「どうしたんだい。いつもの君なら、人前でこんな。恥ずかしがるだろうに」
ソファーで旭の膝に乗り上げたまま、界人は顔を上げた。ほおを紅潮させ、旭の目をしばらく見つめて、口を開いた。
「布施旭さん……いえ、成実さん」
親に授けられた名前を好きになれないという旭に、界人が贈った名を呼んで。
「僕と、本縁を結んでいただけませんか?」
旭の目が驚きでいっぱいに見開かれる。
「僕は、家のために、一度婚約していますし、色んな方と縁を結んできました。望んで関係を持ったわけではなかったですが、もう魂まで汚れきっています。それでも、もし、僕にわずかでも汚れていない部分が残っているなら」
旭のほおを界人はなでた。
「あなたに全部差し上げます」
するりとなでて、あきらめとともに落ちた手。膝から退こうと動けば、旭が界人の腕を掴んで引き止めた。
「君は美しいよ、界人」
逃げ腰の界人を旭の手が引き寄せて捕らえる。
「私は君が欲しい。過去の痛みごと全て。私は君を救いたいんだ」
はらり、はらりと、界人の目元から熱い雫が伝い落ちていく。
明かりを落とした部屋で、二人は一糸まとわぬ姿で、見つめ合う。
「怖かったら言って。何度でもすればいいし、本縁を結ぶ方法は他にもあるんだから」
界人の体は打ち震えた。その震えは過去に強制された行為への激しい拒絶ゆえか、それとも初めての純粋な快楽ゆえか。「きれい」「美しい」「好きだ」と言葉を紡がれ、とろ火に焦がされ、熱に浮かされた界人にはもうわからなかった。
長い夜が明ける。寝室にある採光用の窓は高く、射しこむ陽光は淡く広がり、室内の薄明かりと混じっている。
「目が覚めたかい?」
隣で呼ぶ静かな声に、界人は気だるい体を横にして振り向いた。
「まだ夢見心地のようだけど」
体温の高い手が眠りを誘うように、界人の額をなでるから、彼はとろんとまぶたを落としそうになった。
「お手紙のお返事、書いてあげたほうがいいんじゃないかなって」
界人は充を通して、郁から一通の手紙を受け取っていた。郁が陽惟という男性と結ばれ、双子を出産したという内容のものだった。
「手紙で返した方が良さそうですね」
擦れた声で界人は言う。「確かに」と旭もはにかんだ。
筆をとって手紙をしたためる。迷わず筆を走らせ、界人は書き上げる。
郁へ。まずは出産おめでとう。手紙をくれてありがとう。子どもは双子なんだね。尊人くんと琉生くん、いい名前だね。
僕も報告があります。僕は布施旭さんと縁を結ぶと決めました。郁とお義兄さんの都合が良くなったら、ご挨拶に行ければなと思っています。
冷えこむ季節だから、どうか体は大事にね。
界人
十二月の終い頃に出した手紙。郁からの返事は二月の暮れに、充を通して界人の元へ届けられる。三月の頭に界人はまた返事を書いて出した。
郁。お返事をありがとう。僕と旭さんのこと、祝福してくれてうれしいです。
羽純大学を卒業したんだね。尊人くんと琉生くんの面倒を見ながら、学業にも励んで、偉かったね。僕は実習期間が終わって四月から、十二月学園の教員になります。副担任として生徒たちを見守ります。
お義兄さんのお加減はいかがでしょうか。なにか助けが必要なら、遠慮なく言ってね。
界人
十二月学園で次年度を迎え、充の下について、副担任となった界人は、ぽつりぽつりと郁と手紙のやり取りを続けていた。
五月の中頃に郁から返事が届く。書いた字の濃さや流れにばらつきがあり、郁が忙しい生活の合間を縫って返事を書き綴っていたのだとうかがえた。
界人は梅雨を迎える前に手紙を書いた。
郁。忙しい毎日の中で、お返事を書いてくれてありがとう。尊人くんと琉生くんはもうお話しが上手なんだね。すごいね。
僕の方は変わりないよ。学園での生活も二年目だからね。馴染んでいます。
お義兄さんが少しでも良くなるよう、願っています。郁も体に気をつけて。無理をしないでね。
界人
界人が副担任となって初めて迎えた夏休み、彼は再び微熱の症状に倒れた。夏の疲れということで養生を強いられ、実希に付きっきりで看病され、旭とは金曜の習慣が抜けず、口付けを交わし合う日々を過ごす。
八月の頭に届いた郁の手紙への返事は、十月頃になって、ようやく出すことができた。
郁。お返事が遅くなってごめんね。尊人くんと琉生くんはもうすぐ一歳かな。どんな子なんだろう。会ってみたいです。
今年の夏も暑かったね。でも僕の方はそんなに変わりないよ。ただ、生徒が真面目でいい子ばかりで、どんどん力をつけていくので、僕も全力で応えないといけないと、日々、励んでいます。
季節が変わり、お義兄さんのお体に障らないといいのですが。郁も頑張りすぎないでね。
界人
界人が十二月学園へやってきてから、季節は二度目の冬を迎える。学園は冬休みに入っていた。
充が凍えながら持ってきた手紙。彼を労い、かじかむ手を擦って温めてから界人は慎重に開いた。
永野界人 様
兄さま、郁です。取り急ぎ、年明けの下旬頃、都合をつけてもらえるとうれしいです。その頃であればいつでも大丈夫です。
家族写真を撮りたいのと、兄さまと布施先生にお会いできればと思っています。
月見 郁
界人が充に目配せを送れば、彼は行ってこいと目で返事をしてくる。
「旭さん、郁に会えるかもしれません」
旭に出迎えられるなり、界人は彼に飛びつく勢いで抱きついた。
「一月の下旬ね。大丈夫だよ」
界人を抱きとめ、手から落としかけた手紙をすくい上げ、旭はスンと鼻を鳴らして、界人にくすぐったいと笑わせた。
「お返事、書いちゃおうか」
旭の部屋の机を借りて、界人は嬉々として文をしたためる。
月見陽惟 様 月見郁 様
永野界人と申します。新年のご挨拶を申し上げます。
旧年、顔合わせのお話をいただき、誠にありがとうございました。一月の二十二日に、わたくし、永野界人と布施旭で弥生堂へうかがいたいと存じます。
何卒よろしくお願いいたします。
十二月学園紅葉寮 永野界人
書き終えた界人は、うしろのベッドで音も立てずに大人しく待っていた旭を呼んだ。
「旭さん。折り入ってお願いがあります」
「向こうの名前で呼んでくれたら、聞いちゃうかも」
「もう! 成実さん……郁に出産祝いを贈りたくて」
界人は旭の隣に並んで、彼を見上げた。
「ショールかブランケットがいいんです。飾りがなくて、落ち着いた明るい色合いのものがよいのですが」
「そうだねえ。そうすると布地を卸してきて、作っちゃった方が早いかも」
「布地をいただければ、作れます。刺繍も施したいので」
「いいよ。今度、お店に見に行こう」
界人を見つめる旭の目が熱を帯びていることに彼は気づく。膝に手を置いて、応じようとすれば、旭がやんわりと押し戻した。
「まずはお返事を充君に渡しておいで」
手の甲にキスをして送り出すので、界人はほおを赤く染めてしまう。
廊下へ出た彼は、しばらくその場で、寮に忍びこむ寒さにその身に晒していた。
ストーブを点けてある部屋は、息も詰まるほどの暑さで、重い空気が滞留していた。充は足を投げ出し、ソファーに身を預けていた。
雄生は界人を見れば怯えはするものの、暴挙に出なくなったし、旭さんはよりいっそうニコニコと機嫌が良さそうだし、実希はすきあらば界人に甘えにくるし、界人は旭さんと仲睦まじく、いい感じだし、学園内でも目立った騒ぎはない。
良いことづくめの一年で、頭が逆上せそうだ。
伸びをして立ち上がり、充は部屋のドアを開けた。
冷えこむ廊下に、送り出したはずの界人が突っ立っている。
「なんだ、永野。お前もストーブでのぼせたか?」
界人は激しく首を横に振った。
「い、いや、郁のお手紙に返事を出したいんだ。中身を確かめて、封をして送ってもらえるかな?」
「あぁ、わかった」
まるで人形のようにぎこちない動きで界人は「すぐ戻るけど、ちょっと部屋に寄らせて」と入ってきた。
渡された手紙に充は目を通した。文面のある箇所、何度もその一点に目を滑らせ、穴が開くほど見ていた。
「ヤサオ、実希、一大事だ!」
波乱の予感が十二月学園、紅葉寮に渦巻いた。
暖房の入ってない自部屋で、界人はベッドに座りこんだ。明かりも点けずに、深呼吸を繰り返し、弾む息を整える。
界人の口の端に何かが伝った。ベッドサイドの照明のスイッチを入れ、拭い見れば、それは──
血だった。
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