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1 縁罪
26 残痕
しおりを挟むピリリと肌を逆なでる怒声が紅葉寮に響き渡る。
「タケオ、昨日、俺の部屋に入っただろ!」
「寝ぼけててまちがえたんだよ、気づいてすぐ出たって!」
「ベッタベタ、痕が残ってんだよ、気をつけろ、デカブツ!」
旭の部屋で界人は、実希と雄生の言い合いを聞いて、苦笑いを浮かべていた。
旭は界人に湯気の立つマグカップを差し出しながら、ため息をついている。
「まったく暑くなってきたのに、カッカッしちゃってねえ」
「元気でいいですね」
廊下に騒ぐ声が響き渡っているが、旭は構うことなく、手を数度叩いて界人に告げた。
「さて、今日から呪詛の授業だよ。と言っても、土日の数時間ぐらいを積み重ねていくことになるけどね。あと、定期テストの前後はお休みにしようね」
「お時間いただきありがとうございます」
うんうんと旭がニコニコと頷きながら、講義を始める。
「まず、呪詛というのはね、大前提として、使用者の痕跡が必ず残る。どういうことかわかるかな?」
「取りこんだ気を一度、体内で精製し、適切な型として押し出す。使用者を媒介したエネルギーの放出が呪詛だからと考えます」
「そう、使用者を一度経由しないことには呪詛は使えない。使った者の跡が必ず残るものだ」
「使用者の痕跡を消すことは不可能ということですね」
「まあね。人間は存在するかぎり、気という名の在証を放ち続ける生き物だから。それがなかったら、人間じゃないとも言える」
今朝の実希と雄生のやり取りはつまり、そういうことだ。打ち上げで酒を嗜んで、酔っていた雄生がまちがえて実希の部屋に入ってしまったのが、発覚しての騒ぎ。
実希はいわば雄生の在証という名の匂いを嗅ぎとり、彼に部屋に入られたと感じたわけだ。
「話が広がっちゃったね。呪詛を使ったのが誰かわかるということは、悪いことに使ったらバレちゃうよってこと」
「はい。わかりました」
「まあでも、呪詛の使用痕から特定するには、使役者以上のエネルギーが要るから無闇にできるものじゃないんだ。犯人捜しのデメリットの方が大きい場合、あえて使役者を特定しないことも多い」
「呪詛の使用痕が残る。呪詛の使役者を特定するには、使役者以上のエネルギーが必要。リスクと比較して、使役者を特定をしないこともある、ですね」
「うんうん。いいね、その調子。じゃあ次に行こう」
飲み終わったマグカップを下げて、旭は観葉植物の葉っぱをピッと摘み取り、界人に見せる。
旭に手を出すように言われ、差し向けた界人の手のひらに、ちょこんと葉が載せられる。
「今の君の呪詛エネルギーの量を確認してみよう。私が今から言うとおりのことを頭で考えながら、手のひらの葉に意識を向けてみて」
界人はつばを飲みこみながら頷いた。
「じゃあ、飛んでくださいって思ってみて」
目を閉じて念を込める。手のひらの違和感に気づき、界人が目を開けたときには、葉が天井まで吹き上がってしまっていた。
「す、すみません」
「大丈夫。エネルギー量はないより、あるほどいいから。呪詛エネルギーを練るよりは、君にはエネルギーを制御する技術の方が必要みたいだね」
「精進します」
「でも、ま、これが呪詛の全てみたいなものだよ。この気を形あるものに具現化して飛ばす、任意の方向、高さ、飛距離を定め、威力、効果を付与して、ね。君はどんな呪詛を使いたいのかな?」
呪詛は文字通り、のろいだ。まじないとも取れるが、呪詛は万物の自然なエネルギーの流れを強制的にねじ曲げ、放つ力だ。良い作用をするものばかりではない。ならば、界人が選ぶのは。
「守護符を使いたいと思っています」
界人の答えに、旭はにんまりと笑う。
「そうかそうかい。応用が利くようになれば、結界術に流用できる。君が将来、有望な結界術の使い手となってくれること、期待してるよ」
旭がいつもよりよろこんでいるように見えて、界人も控えめにはにかんだ。
旭の部屋から戻った界人は、充を見かけるなり、話を切り出してきた。
「充はどんな呪詛を使えるんですか?」
なぜいきなり呪詛に興味を示したのか。界人は生徒と同じように、知りたい盛りだが、何かしらのきっかけがあったのだろう。
興味を削いでは育たないと、充は余計なことは聞かずに、それとなく疑問を口にして、答えることにした。
「敬語抜けねぇな……まぁ、いい。威力はお粗末だが、一通りの呪符は扱えるようにはした……なんで急に?」
「実は布施先生に教えてもらっていて」
「それはどういうことだ!」
充は声を荒らげてしまった。
「悪い。旭さんに呪詛を目の前で見せてくれなんて言ってないよな!」
「うん」と驚きながら答える界人の肩を充は強く掴んだ。
「手本が要るときは俺に言うんだ。旭さんはダメだ」
「旭さんに教わらない方がいい?」
「いいや、指導全般はあの人が一番腕がいい。見てもらうだけにしてくれ。旭さんに呪詛を使わせないでほしい」
「わかった」
界人は生意気したい放題の生徒とはちがい、聞き分けがいい。だが、充は念に念をと言い含める。
「学園の結界の話、以前もしたがもう一度言う。十二月学園の四方のうち、二方がこちらの学園持ちなんだ。志葉先生と旭さんが担当。で、結界術は常時、安定的に保たないといけないから、消耗が凄まじいんだ」
「そうだったんだ」
「普通、結界術を担う者は全ての役務を免除される。が、旭さんは教職と並行しての結界術使用なんだ」
界人の目は真剣さを帯びて、充に視線を注がれている。充は話を続けた。
「あと加えて、旭さんは生まれつき、短期で突発的な呪詛を練ることができない。今までの溜めを放出し、出した側から、次に備えて貯えていくしかないんだ。溜めが長い方は結界術に、短い方は守護符や緊急用の呪詛に回している。常にフル回転状態なんだ、あの人は」
「そんなに……大変なものを抱えているんですね」
「だから頼みがある」
「はい?」
界人の目をのぞきこんで、充は言う。
「旭さんをどうか、支えてほしい」
界人の目が大きく見開かれ、まぶたが落ちて、ゆっくりと開かれる。
「僕にできることなら」
「俺もできる限り協力する」
充はホッとして界人の肩から手を離した。
「あの、早速で申し訳ありませんが、守護符にする依り代はどんなものを使えばいいのでしょうか」
「持ち運ぶ場合は、ハリのある色つやのいい木の葉だ。体内に守護符として仕込むことが目的なら、可食性があり、かつ薄い、乾物を使う。自分用に仕込むなら、食事に混ぜて取りこむ手もある」
「では自分に守護符を向ける場合、体内の呪詛エネルギーをそのまま守護に転用することはできないのでしょうか?」
「できなくはないが、リスクが高いんだ。体内で守護符として正確に精製ができなかった場合、最悪、細胞や内臓が破壊される。より安全に呪詛を使うには、取りこんだエネルギーを放出する際に精製して、依り代などを使って安定させるしかない」
「そうですね。リスクは避けたい」
話の途中で、ドアが叩かれた。
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