哀夜の滅士

兎守 優

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1 縁罪

23 雨の気配

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 五月の半ばを過ぎた頃、季節を前倒ししたかのような、雨の日が続き、紅葉寮の木材は水気を含んでじっとりと重く、部屋全体をじめじめとさせている。
 こんな天気ではしばらく、外へ出かけられないだろう。せっかく旭と界人の関係が深まりそうだったのにと充は残念に思いながら、カップの中身をすすっていた。
 「ねえ」と実希みのりが界人の服の裾をつまんだ。
実希みのりくん、どうかした?」
「これから、雨じゃん。親父と出かけないんなら、俺の練習に付き合ってほしいなーなんて」
「そうだね。いいよ」
「やった! さんきゅ!」
 実希みのりはことあるごとに界人に引っつくようになった。界人を邪険にしていた実希みのりの態度の変わりようには、充も驚いていた。二人の様子を見たゆうせいも気づいたようで、充に小声で告げた。

実希みのり。ずいぶんと永野に慣れてきたな」
 慣れてきたのはいいことだ。だが、大人と子ども、ましてや学園内では界人と実希みのりは、教員と生徒という立場だ。寮の中では馴れ合っても構わないが、寮の外では良くない。
 界人はただでさえも、罪状について審議中の身で、目の仇にしている者が多い。万一、界人と実希みのりの仲睦まじい様子を目撃され、生徒である実希みのりに何かあったら、いけない。そう考えたところで、充はあれ? と思った。

「そういや、あんま嫌がらせ、なくなったな」
「うわさだが彼ら、旧校舎への不法侵入がバレて暮葉先生にキツく言われたらしいぞ」
 師走暮葉のキツくというのを充は想像する。
「暮葉先生、一応は刑士団の団長だからなぁ。校長に否と言われなければ、身内だろうと徹底して裁くと思う」
 界人と実希みのりが楽しそうに談笑している様を充は見つめる。年と身長の差のせいもあって、まるで、親子のようで。
 もしも、界人の罪が確定されて、刑罰が決まってしまったとしたら。
 充は腕の震えを抑えこもうと、爪を立てて気づく。
 自分は界人を見張る立場の者。公平に物を見ていなければならないのに。いつの間にか、界人に肩入れしすぎてしまっている自分自身に、充は歯がゆい思いを抱え、唇を噛んだ。


 唇を何度も舐めながら、界人はセミダブルのベッドの上で、旭の隣に横たわっていた。
「日曜は実希みのりと過ごしているんだって?」
 フフッとなり、界人の肩の緊張が解ける。
「ええ。〝練習〟をしているんです」
「素直に遊びたいって言えばいいのにねえ、まったくあの子は」
 何度目かの金曜を迎えても、界人の緊張が完全に解れることはなかったが、彼は自分から身を擦り寄せるようにはなっていた。

「また、……旭さんと行きたいです」
 「君はお願いが上手になったね」と旭が笑い、布擦れの音がする。
「外泊は許可がおりないけど、行ける範囲ならどこへでも、連れて行ってあげるよ」
 そろりとほおをなでられれば、それは合図だ。界人は気取られないよう、身を固くして身構えながら、唇を近づけていく。

「界人」

 唇と唇が触れ合う瞬間までは、甘い陶酔が界人の心を占めていたのに。触れ合ってしまうと、迫り上がる不快感にその体は打ち震えてしまう。
 いつまで、恥じらっている振りをできるだろうか。
 界人の意識が落ちていく。心地よい揺蕩たゆたい。触れ合う苦しみのことなど、夢の藻屑に沈めて、むつみあいの温もりだけをとどめて、その意識はふわふわと暗い海に浮かんでいた。


 身支度を整えた界人の視線が、時計に向けられる。時計の針は十一時を指そうとしている。もうそろそろいいだろう、と約束の相手を迎えに、彼は向かいの戸を叩いていた。
「あの……実希みのりくんと今日、約束していて。居ますか?」
 実希みのりのために半開きにしてあるドアから出てきたのは、ゆうせいだった。
実希みのりな、土曜はダンスレッスンの指導で忙しくて、金曜に忘れ物したの、今朝気づいて急いで取りに行ったみたいで」
「今朝って何時頃ですか?」
「九時ごろ……」
「二時間もかかりますか?」
 界人の追求に、ゆうせいは顔をしかめて、言い放つ。

「でも、永野。充に一人で寮から出るなって言われてるだろ」
「旭さんと充さんは買い出しで……」
「お、おれは行けないからな! 何か問題があったらここに居られなくなる」
実希みのりの教室は、どこでしたっけ」
「ダメだ、充にも旭さんにも迷惑がかかる。ひとりで行くんじゃねえ」
 「そうですね。一人になればまた面倒なことになる」と界人が目を伏せてぼそりとこぼせば、ゆうせいは「ヒッ」とのどを鳴らした。
「一緒に行ってくれそうな先生、探してから行きます」
 「お、い! 永野!」と言ったゆうせいの制止を無視して、界人は紅葉寮の外へ飛び出してしまった。

 外はしとしとと雨が降っている。小走りで寮を出て、校庭を目指し、体育館を通過しようとして、彼は立ち止まった。
「こんな雨の中、どこへ行くつもりだ?」
 ピチャリと水たまりを踏む足音がする。音のした方へ、界人の体が向いた。視線の先には、体育館から歩いてくる、傘を差した志葉の姿があった。
「志葉先生……! でしたよね? 寮生の実希みのりが二時間も帰ってこないので探しに行きたいんです」
「あぁ、高等部の子かな。いいよ、君を一人にしておくのはこちらとしても困るから」
 志葉は傘を傾けて、界人に傘に入れるよう、促した。
「ありがとうございます」

 界人は志葉に付き添ってもらい、校庭を突っ切り、十二月学園の現校舎へ向かう。
「高等部はこの階」
 界人は志葉とともに、しらみつぶしに高等部の教室をたずねていく。
実希みのりって生徒、来なかった?」
実希みのり……あ、そういや、別クラの何人かと出て行ったような」
 生徒が歯切れの悪い返事をした。
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