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1 縁罪
20 ひと目見たときから
しおりを挟む雄生の部屋に押し入ってきた旭は、表情を変えずに立ったまま、ペラペラと胸の内を話し出していた。
「あのね、新学期が始まってソワソワしてるだけだと思ってたんだ。でも、金曜日になると浮かれることに気づいて。あぁ、金曜は永野君が私の部屋に定期報告に来る日なんだ。日中あまり見かけることはないんだけど、気がつくと探してしまっていて、さっきもね、実希とダンスしてる所、盗み見てしまって、もう惚れ惚れてしまって」
「旭さん、ちょっと待って」
永野がやって来たのはいつだっただろうか。雄生は冷えた思考をめぐらせてカレンダーをさかのぼる。永野が来てから金曜日はまだあまり迎えていないのでは。
一回は超えた。二回目はおそらくまだ迎えられていないだろう。永野はまさにその昨日、大変な目に遭っていたにちがいないから。
とすれば、永野にとって旭さんと金曜を迎えたのは一度きり。しかし、旭さんにとってその一度は、永野の思うより長く、日が伸びるほど、膨れ上がるものだった。
双方の酷いズレは、初手において深刻な溝を生みかねない。だが重要なのは別のことだ。
旭さんがこういった思いを打ち明けてきたことはまずない。逃してはいけないと。
「こういうこと、荻野君は耐性ないし、実希にはその……言いにくいし、雄生君にしか相談できないんだ。だから……お願いっ」
「俺、恋愛とか経験はないんですが」
「いいの。良識ある大人な君から、世間一般的な助言が欲しいだけなんだ。私はどうも実希曰く、〝ズレ〟ているそうだから、もうどうしたらいいのか絶望で」
旭の顔は笑っていたが、全身で落ちこみっぷりを体現しており、雄生は布団を剥いで、ベッドに座り直した。
「まず、落ち着きましょう。旭さんはどうされたいんですか」
「永野君ともっとお近づきになりたい。あーでも、年上過ぎるかな。さすがにおじさんは彼も厳しいかもしれないよね。はぁぁぁ」
「すみません。まずなんですが」
「うん」
食いつかんばかりに凝視してくる旭に、雄生は言葉を選ばずに、ばっさりと切り捨てる。
「永野が同性、つまり男を好きかどうか、だと思いますが」
「あっ」と絶望の声を上げて旭は膝をついてしまった。
「そうだよね、そうだよねー。もうキスしちゃったし、嫌だったのかな。あー、私は穴に入りたい」
「ちょっ、旭さん、キキス!??」
「と言っても仮の縁結びのためだけどね」と旭はくたびれた様子で、イスに腰かけ、額に手を当てている。
「言い方悪いですけどいいですか」
「悪い事? いいよ、大歓迎」
「その関係、利用しましょう」
「雄生君、言葉が悪いよ」
「仮の縁を結べているということは少しでもチャンスがあるということですよ。本縁を結ぶまでに持っていければいいということでしょう?」
「いずれはその話はしなくてはと思っているのだが。恐いんだよ」
旭の指が髪をぐしゃりと掴む。
「私ではない誰かと本縁を結びたいと言われることが」
無問題。最初に、雄生の頭に浮かんだ考えはそれだった。
「本縁を結ぶ。そういうことは関係がもう少し深まってからにすべきです」
「もう少しって?」
「まず定番は食事に誘うですね。ご飯を食べながらおしゃべりで相手のことを知っていく。いわゆるデートですね」
「それなら、部屋に来てくれたときにごちそうできるよ」
雄生は頭を振った。
「ちがいます。学園の外で、です。それには相手の好みも知らないとダメです。苦手な物が出てくる店に連れていった日には、そこで関係が終わります」
「それは、避けたい……」
「好物は……?」と雄生が問えば、旭は「うーん。うーん。うーん……」と唸る。
「まずは寮生活の中で相手のことをよく知ることです。それから学園の外でのデートに誘って、お付き合いを申しこんで、大丈夫だったら、同棲して、想いを伝えればいいと思います」
「その手順、覚えられるかなあ」と天井を見上げる旭に、雄生は釘を刺した。
「まちがってもお付き合いする前から性的な関係を持つのは言語道断ですからね。体が欲しいだけだと思われて、気持ちが離れてしまいますよ」
「キキスは……」
不安が入り交じり、旭の声は消え入りそうだった。
「合意の上ですか?」
「合意も何も、永野君が生きるために必要なことで」
「まずちゃんと確認を取った方がいいですよ。何か誤解されたままですと、後々軋轢が生じますから」
「ねー、夕飯作ったけど」
実希が隣の部屋から呼んだ。「今、行くねー」と旭のいつも通りの声が返っていく。
夢のような話から覚め、現実へと叩き戻される。雄生は身震いをした。
「あの、旭さん」
「ありがとう。これからもよろしくね、雄生君」
立ち上がった旭を見上げれば、雄生はその張りついた笑みにゾクリとした。
充が部屋の戸を開ければ、旭と、そのうしろに雄生の影があった。
「おい。どの面下げて」
「まぁまぁ、充君。穏やかに」
「すみません、お風呂お先に失礼しました」と風呂場から出てきた界人を充は体を張って、雄生の視界から覆い隠した。
「ちょうど夕飯できた。食べよ」と実希が言うが、充は旭だけを通して、雄生を頑なに入れようとしない。
「雄生君は私のいいパートナーなんだから、そんな邪険にしなくても」
「は? 何だと? あとで面貸せ、雄生」
「まぁまぁ、仲直りして」
「旭さん、ちょっと距離、縮めすぎですよ」と雄生が旭と席を入れ替え、界人の間に雄生が割って入れば、「永野の隣、座んな」と充が界人を自分の席と入れ替えた。
食卓の席で充と雄生はいがみ合う。立ち上がりかけた充は勢いそのままに、うしろに引かれ、動かされ、旭の隣へ。
充は移動させたのは実希だった。実希は雄生と界人の間に腰を下ろし、待ったをかけた。
「あー、これでもう動かない。配膳終わり。いただきまーす」
「いただきます?」と戸惑いながら手を合わせる界人に、充は話を振った。
「今日のダンス練習、どうだったんだ?」
「たくさん動くとお腹空くなって思いました」
「そうそう。たんまり腹ごしらえしろよ」と実希が箸を押しつけ、界人に握らせていた。
「実希くん、料理、上手だね」
「ま、雄生以外はみんな料理できるからさ」
雄生が充をひと睨みしてから、「実希、珍しいじゃないか。名前で呼んでも怒らないなんて」と言った。
「うっせ。だって名字、布施だから仕方ないじゃん」
「なるほど。永野が呼ぶとどっちも〝布施さん〟になるな」
充は頑として雄生から目を逸らして返した。
「何だかんだ仲のいい親子ですよね、お二人は」
界人がそう笑えば、雄生が口を開こうとした。言わせまいと充が覆い被せようとする前に、実希の声が誰よりも先を行った。
「早く自立しな、義父サン」
「高等部を卒業してから言いなさい」
旭にたしなめられて、実希はほおを膨らませている。
「でも、実希くんが自立してしまうと、寂しくなりますね、布施さんは」
界人の言葉に旭は目を丸くして、「そ、そうだね」と目を泳がせた。
「参ったな。考えたこともなかった」
「俺が独り立ちする前にさ、いつまでも気ぃ遣う必要ないんだから、相手作って一緒になっちゃえばいいじゃん」
「いやー、ぼちぼち」
実希が口に入れたおかずを飲みこんでから、頭を強く振った。
「ダメ。こうやってはぐらかして何年経ったと思ってんの? そろそろ余生考えなよ。いつまでも俺が一緒に居てやれるワケでもないんだしさ」
「大丈夫だ。旭さんの相手は俺が何とかする」
「充、お前、それはどういう意味で」
充が険しい顔で射抜けば、雄生が立ち上がりかけた。充は首の振りだけで表の方を指した。
「さっきの発言の真意と話の続きだな。飯終わったら外出ろ」
「外で暴れるのはやめろよ。何ピリピリしてんだか知らないけどさ」
実希に肩を叩かれたが、充は今度こそ引く気がなかった。
「私たちは一時待避しようか」
食事が終わり、旭が席を立ち、界人を呼んだ。
「片づけ、頼んだからねー」と実希は充と雄生に押しつけていく。
「実希。食後のお茶でもどう?」
「うーん。今日はいいや。早く風呂入って寝たいから。おやすみ」
「お休み」
「おやすみなさい」
旭と界人が部屋を出て行った。残されたのは充と雄生と実希だ。
「バーカ。あんな雰囲気出してんのに割って入れるワケねぇーじゃん」
充は実希の頭をなぜる。
「大人になったな、実希」
実希はその手を押し上げて、得意気な顔で生意気な口を利いた。
「大きい子どものケンカ、どうぞ?」
充が言い返す前に、実希はサッと向かいの部屋へ駆けこんでしまった。
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