哀夜の滅士

兎守 優

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1 縁罪

15 千切れた縁の先

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「界人!」
「長く苦しんだね、きっと」
「え、……」
「私が中途半端に守護符をつけておいたせいで」
 充はこのとき初めて、仕込んだという守護符の存在を知った。彼は驚いたのと同時に、胸の内にチクリと下りた疑念に気づいた。

「私が運ぶよ」
「もも申し訳、、ありません」
「寮に戻ったら私に任せて、充君は体を休めなさい」
「は、はい」
 充の脳内には、自責の念と旭への疑念が渦巻いていた。
 旭さんは単発的な呪術を生まれながらにして持ち合わせておらず、知覚することもできないはずだ。だから、あの日、つきいが唐突に結界内に現れた干渉に、彼は気づけなかった。
 だとすれば旭さんが現場にたどり着くまでにずっと追っていたのは、愚か者の短絡的な犯行の痕ではなく、自らが仕込んだ守護符の形跡だったのではないかと。
 守護符への干渉に、即座ではなく時間差で気づくとするならば。旭さんはどこかの時点で早々に、気づいていたのではないか、永野の失踪に。

「さーて。実希みのり、起きてるー?」
「起きてるじゃねぇよ、ドア、開かない」
「あはは、忘れてたよ」
「もう少しでタケオに突破させるとこだったんだけど?」
 充は旭たちの声がして目覚め、部屋を飛び出た。
「旭さん、永野は!」
「鍵してあるから大丈夫。充君も今日ぐらいゆっくりしていいよ」
「なあ、昨日の何だったの」
「ちょっとつきい退治に、ね」
「学園に入ってくるとか、やばいヤツじゃん、それ」
「だからちゃんと結界を伸ばして張っといたでしょ」
 「外のがあんだから、こっちは張んなくていいよ……」と実希みのりは暗い顔した。
 うつむいた実希みのりを「じゃ、親子共同授業、行ってくるねー」と部屋から引っ張り出し、旭は行ってしまった。

 充は寮から出る気になれなかった。あれから寮に戻って眠れず、朝方に寝落ちた。
 眠れぬ間、旭の行動をずっと頭の中で反芻していた。守護符への干渉に、彼は本当に気づけなかったのだろうかと。
 実希みのりの今朝の態度を見て、充は急に自分を恥じた。
 旭さんは消耗の激しい外の結界の一つを担っているのだ。生来から呪術に適性の薄かった者が到底成し遂げられるものではない。
 彼は不足状態からの常に消耗を続けているのだ。消耗の限度は常人より早いはずだ。彼にあまり術を使わせてはいけない。
 つっけんどんだが実希みのりはたったひとりの肉親の身をひそかに案じている。実希みのりのような子どもたちがもう家族を失わないように、俺は生徒たちを教え導きたかったはずなのに。

 うらづきの影斬りを養成する、十二月学園にいては、いずれ、巣立った生徒は命を落とす。影斬りが対峙するのは、異形の化け物、つきいだ。襲われれば陽の光に弱くなるよう退たい症を発症し、最悪は夜の闇に引きずりこまれて帰ってこられなくなる。
 どうしてこの学園の外へ出られないのか。ただ一つの障壁が彼にはある。充には会ってはいけない人がいる。学園の外へ出たいのに、出られない。彼は葛藤を抱えていた。

 キャッキャッと高い声を上げて、よろこび跳ねてはしゃぐ姿が、今でも記憶の中で再生される。記憶の中のその子はもう立派な影斬りになっていた。
 もう会ってもいいかと思う気の緩みと、生涯、隠れて生きていきたい気持ちとの狭間で、充は苦しんでいた。
 苦悶を打ち切るように、電話が鳴った。充は慌てて受話器を掴んだ。

『永野先生はいらっしゃいますか?』
おぎです。彼は今、不在で。どなたか御用ですか?」
『永野先生の弟とおっしゃる方が窓口に』
「俺が代わりに応対します。今行きますね」
 充はブラシでほこりを落とし、身だしなみを整えてから事務室へ向かった。

 話し声が二人分。一人ではなく、もう一人、訪問者がいるようだった。
「わざわざついてきてくれてありがとう、成清なるせくん」
「母校に顔出しついでだって」
 充はとっさに入り口の影に隠れてしまった。
 どうして。だが、行くしかない。変に待たせるのは失礼だ。
 充は震えを押し殺してから、声を張って進みでた。

「永野に御用の方ですか?」
 紺桔梗色の髪をした青年が振り向いた。大きな黒い瞳は吸いこまれそうで、充は目のやり場に困った。
「はい。月見郁と申します」
「あ、この人、陽惟さんの見舞いに行ったとき、病室、まちがえた人じゃね?」
「その節は失礼しました。おぎです。永野のルームメイトです」
「ルカオ。旧姓、永野なのか?」
ながつきだよ。ふざけてるの、成清なるせくん」
「い、いえ。学園では便宜上、彼は永野先生として通っているもので」
 体面をとりつくろい、涼しげな表情で月見郁と成清なるせを紅葉寮に案内していたが、充の心臓は今にも破裂しそうだった。

「永野は今、不在で」
「へー、教員寮ってこんな感じなんだー」
「懐かしいの?」
「バッカ。教員寮に生徒が入れるワケないだろ」
「前は教室に乗りこんできたくせに?」
「講義終わったあとに、同じ講義室にいたお前んところに訪ねてきてやっただけだろうが、ヘナヘナ野郎」
 「申し訳ありません。彼、口は悪いんですが、面倒見はいい人なので」と郁が充に言うが、充は「はあ?」とあいまいな返事しかできない。

「てか、ルカオの兄貴居ねぇなら長居するの、良くねぇだろ。教員は忙しいんだぜ」
「いえ、今週は休みが多かったですし、今日もオフなので」
 二人の言い合いに口を挟んでしまった充が、次なる場つなぎの話題をひねり出しているところで、個部屋のドアが開いた。

 今、永野は自分の部屋から出てきた。旭さんは、鍵をかけてきたから大丈夫だと言った。ならば妙だ。

「ごめん、おぎさん。お客さんが来ているところでしたか?」
「兄さま」
「郁……?」
 充がおかしいなと考えこむ間に、郁は界人に駆け寄って飛びついていた。

「兄さま、兄さま。良かった、元気で」
「郁、泣かないで。俺は大丈夫だから」
 泣きじゃくって離れない郁の背を界人は優しくなでる。二人の再会を前に、充の疑念は散ってしまった。
「部屋で……ゆっくり話せばどうだ?」
「そうするよ」
 そう提案してみたが、二人が部屋に入っていったあと、充はしまったと思った。

「チッ。相思相愛でお熱いこった」
 残された、彼とどう会話を繋げたらいいのか。充は悩みながらも、話し出していた。
「ハツキさん、でしたっけ?」
「あぁ。成清なるせ葉月はつき。十二月学園の卒業生なんだ、俺」
「知り合いの先生方もいらっしゃるでしょうから、どうぞ校内をご自由に」
「そうさせてもらう。邪魔して悪かったな。じゃ、また。おぎセンセ」
 成清なるせが部屋を出て行けば、充は上手くやれたとソファーになだれこんだ。
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