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1 縁罪
13 私刑
しおりを挟むはたりと充は足を止めた。誰かに呼び止められる予感がして。
金曜の放課後は校内の雰囲気が少しだけ浮き足立つ。下校していく生徒たちを遠目で見送り、充は隣の界人に視線を移す。
「今週の授業、週の途中始めで助かったな」
「そうなんだ?」
それとなく、充が話を振れば、質問で呼ぶ心づもりは一切なかったようで、不意をつかれたように界人は目を見張っていた。
「疲れるだろ、特に新入生クラスはさ」
「一年生、元気いっぱいだもんね」
「体育はキツかったな」
「楽しんでたように見えましたけど?」
チグハグな敬語とときおり混じるようになったタメ口。学園での生活にも少しずつ慣れてきた永野。
だが、まだ長い眠りから目を覚ましたばかりという彼には、自分たちが当たり前に過ごしてきた日常の何もかもが真新しく映り、まだまだわからないことだらけだろう。
何か、永野は聞きたいことがあるではないか。会話を重ねても、彼は本心をおくびにも出さないので、充は言葉に困った。
「まぁ、楽しいわな」
「荻野」
界人が充を呼んだわけではなかった。充が気づかぬうちに、もう一人、いた。
「は、い?」
「羽鳥先生が至急だと」
そっちだったか。羽鳥の心配性には困ったものだが恩人であるため、無下にはできない。
内心、悶々としながらも、充が界人を連れ立って行こうとすると、男が行く手を阻む。
「呼んでたのは荻野だけだが?」
「布施先生から永野を頼まれている」
何となく、金曜という休み前特有の雰囲気に絆されていた充の心がキリリと締め上げられる。
受け持つ生徒たちが目立った憎悪を向けないから許された気になっていたが、罪人だと端から決めつけられている、永野界人を見る目、その扱いは、変わらず厳しいものだ。
面倒だな。充はそう思いながらも、男から視線を外さない。男も男とて、引く気はないらしい。
「大丈夫。先に寮に戻ってるから」
「すぐそこですので」と指差す界人を尻目に、充はしくったと悔いた。険悪な立ち合いが続けば、そうやって永野が間に入るしかなくなる。
「早く行けよ、羽鳥先生、なんか焦ってたぞ」
最初からそう仕向けられていたのだ。目の前で永野に嫌がらせをして、罪人として虐げられる者べきだと植えつけ、立場を弁えさせるために。
「永野、寄り道しないでちゃんと戻れよ」
「はい。金曜日だから早く帰らないとなので」
金曜だから、界人は必ず寄り道をせずに帰る。金曜は帰らなければならない日だから。
焦る羽鳥の表情を浮かべ、天秤にかけ、充は一人で界人を帰してしまった。
界人は複数の男に拘束され、離れた旧校舎の地下に連れて行かれていた。乱暴に取り上げられた眼鏡が音を立てて転がる。
「その目、マジだな、罪人じゃねぇか」
「い、ん、んん」
「いいぜ。ここでは大声出しても誰にも聞かれないからさ」
「見えないところにしとけ」
「罪を犯しておいて裁かれないなんてなぁ、浮かばれないよな?」
「俺たちが代わりに刑を執行してやる」
服を脱がし、靴で肺を踏む。額に脂汗が噴き出る。腕を、足を、腹を。男たちは蹴り、圧をかけて界人を踏み、いたぶる。
「悪くねぇ面だし、いいカラダしてやがるが、性的な暴力はねぇ、しない主義なんだ、俺たち。感謝しな」
「穢れが移っちまうしな」
「善人面しやがって。本性出せよ、罪人」
界人は終始無言を貫く。歯を食いしばって暴行に耐え続けていた。
「コイツ、やべぇな。ぜんぜん意識飛ばねぇぞ」
「おい、殺すなよ。処理が面倒だ」
「じゃ、地獄、見させてやる、よ!」
鳩尾を抉るように潰され、蹴られ、界人の意識は一瞬、飛んだ。
灯りが消える。暗闇に彼を残して、男たちは地下から出ていく。
「まぁ、ほっといても月曜には出てこられんだろ?」
界人は苦痛にあえぐことさえままならない。息のできない夢の出口を求めて、床をかきむしっていた手が力をなくして動きを止めた。
充は廊下を急ぐ。職員室に羽鳥の姿はなかった。ならばと、充は教員寮へ足を向ける。
羽鳥には多大な温情がある。あのとき、彼が来なければ今ごろ自分は。
沈めたはずの過去がどこからか這い出る。震えが手足に伝う。充は縁が絡まる腕を押さえた。
生まれながら縁が薄かったこの身に奇跡が起きた日のこと。腕と腕にねじれ絡まる花環。ときおり痣のように浮かぶそれは、契った証だった。
ここに、繋がっていた確かな証がある。それはほとんど目には見えないが充をずっと生かし続けていた。
血縁で繋がれていないのに、まるで家族のように、目をかけてくれるのは、ありがたいことだ。だが、羽鳥には行き過ぎなぐらい過保護なときがあった。
「羽鳥先生、急用とは」
「急用も何も。話があるのはいつものことじゃないか。まったく、荻野くん、いい加減に」
「それはわかっています」
「わかってないよ。立夏寮に戻っておいで。あんなところに居たら君も巻きこまれるかもしれないよ」
「もう巻きこまれる覚悟は……決めました」
「白秋寮のこと、忘れた訳ではないだろう?」
戸を叩く前に何度も抑えこめたはずの震えが、またわめき出す。
手をきつく握り締めてこらえる様子の充を羽鳥は苦しそうな目で見つめ、「いいかい」と言い諭してくる。
「まだ犯人も見つかっていない。君の……トラウマにまた遭うかもしれないんだよ」
「俺は、俺、は」
「ちゃんと考えておいで。立夏寮の方が安全だ。君の未来のためにも」
「は、い」
「あと申し訳ないね。彼のこと。きっと君は察してくれて、フォローはしてくれたかもしれなけれど」
「わかってます。永野にはああいう態度を取るしかないんですよね、みんな。羽鳥先生がそんな人間じゃないのはわかっています」
「すまないね……」
頭を垂れる羽鳥に一礼して、紅葉寮に飛んで帰った充は、のそりと顔を出した人物に肝を冷やした。
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