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1 縁罪
12 カギをかけた秘密と
しおりを挟む充が難しい顔をしてうつむいてしまい、間が空いて、気まずい雰囲気を感じとった界人が「あの……」と口を開くので、その目はすぐにそちらへ向けられた。
界人はそわそわしながら問うた。質問攻めに遭う前、気になって仕方なかったことが彼にはあったからだ。
「荻野さん、さっきは実希さんと雄生さんの……二人の部屋のカギ、壊してはないかもしれないですが、何か細工でもして、開けて入ったのかな?」
界人が問えば、充はどういう意味だという顔をしている。「あぁ、それは私から」と布施が手を挙げて代わりに答えを口にした。
「実希の部屋のカギは閉めちゃダメだよ」
「あーそれか。そうだな、実希には、聞いたって言うなよ。実希は暗くてカギがかかっているところが嫌いなんだ」
暗くて、カギのかかった部屋。界人はむず痒さを覚え、片腕を押さえた。
屋敷に住んでいた頃は施錠された部屋には絶対に入ってはならず、不当に侵入しようものなら、庭で公開処刑されていた。
鍵をかけることは秘密ひいては命を守るために、絶対だと思っていた。暗くてカギのかかった部屋。郁がずっと捕らえられていた場所だ。
界人は気づきもしなかった。郁は『にいさま』と言う以外、何も話さなかったから界人は、弟の快不快をほとんど知らない。
カギのかかった暗い部屋で、あの子がもしトラウマになってしまっていたら。染みついた家訓と考えが、知らずのうちにもし相手を傷つけることになってしまったら。
自分のやってきた行動すべてが覆る衝撃。頭を殴られる痛撃を受けるのは、これが初めてではない。激しく胸が焼ける思いを過去に味わった覚えがある。
思い出さなければ。そう強く使命感に駆られるのに、界人はその記憶がしまわれている扉の前に立つことしかできない。扉は施錠されている。音を立ててはならない。壊す選択肢はないのだ。
扉の向こうで赤子が泣いている。泣かないでと早くなだめなければ。けれども、壊したらダメなんだ。だから、どこかにカギが落ちていなければならないのに。
界人の思考の渦がスッと収まった。見上げればその頭部に、布施の手が乗せられていた。
「少し休んだ方がいい」
穏やかな目が界人を見つめていた。彼に背中を押されるがまま、界人は自部屋に入っていく。扉が閉まり、ガチャリと金具がハマる音がした。
使われないはずのキーを回す音が鳴っている。ドアはいつも半開き状態で、閉まっていた試しがないため、カギなど必要はなかった。
不要なのに、カギを持つ理由。雄生は考える。
実希はいつか、このトラウマを解決したいのだろう。
雄生はドアの前に立つだけだ。叩けば戸が自然と開いてしまうから。
代わりにドアの向こうから実希を呼べば、ガシャガシャと騒がしい音は止まった。
「実希、あんな怒ってどうしんたんだよ」
布擦れの音がして、しばらく間が開いた。
「バカオ。知らないの? 裏月で赤い目っつったら、忌み子か罪人だけだって」
バカオと呼ばれようが、雄生は気にも留めず、扉の向こうから実希に話しかける。
「生まれつきじゃないから、あいつは犯罪者だと?」
「バカオ、刑士の役割を持つ、闇縫いの刀ぐらいは知ってるだろ?」
「あぁ。裏月で罪を犯した者を裁く刀だろ?」
「あれで斬られた奴は、肉体と魂の縁が切れて、その証拠に瞳が赤く染まるんだよ」
「そんじゃ、永野は」
「んで、犯罪者と隣合わせで暮らさなきゃなんねぇんだよ。あのバカ親父、何考えてんだか」
「でもさ、ただの犯罪者なら緘口令を敷いた上に、執行猶予つけるなんてしなくね?」
「あ、れ? そもそも縁が切れてるってことは生きてないんじゃ……うーん。ねむい。もういいや」と言葉が細切れになる。
部屋の明かりが絞られた。ドアの向こうから実希の怒鳴り声が飛ぶ。雄生は肩を跳ねさせ、つま先に力を入れて、ドアの前にとどまった。
「カギ、閉めんなよ」
「わかってるって」
実希はそれだけ伝えると、すぐに物音を立てなくなった。
雄生は物静かになった部屋でひとり、指を組み替えている。時計の音だけが、トッ、トッ、トッと鳴る中、彼はソファーで項垂れていた。
ミシリと夜の寒さが廊下を軋ませ、足音をかき消す。カギのかかっていない戸が音も立てずに開いた。
「実希」
明かりが広がり、床がミシリと音を立てた。
「何? 寝る時間」
自室のドアを半開きにして目を擦りながら、たずねてきた旭を見上げたのは実希だ。
「さっきは厳しく言ってごめんね」
「なんだよ、親父」
「おやすみ」
「……おやすみ」
ドアのすき間から伸ばした手が額に触れると、実希はむず痒そうに軽く手を払い除けて、さっさとベッドへ戻ってしまった。
やがて痛いほどの静寂が訪れた。旭はゆっくりと振り返る。相部屋のもう一人の住人がいない。
旭は探さなかった。努めて足音を潜め、黙って廊下へ出た。
陽が昇りきる前、深夜に部屋を不在にしていた張本人は、旧校舎近くに姿を現した。
早朝、職員会議まで時間があるが、教職員はこの朝の早い時間はほとんど寮の外へは出歩いていない。この人気の少ない時間ならば、誰かに目撃されにくいと踏んで、梅津雄生は密かに報告を挙げようと、男を呼び出していた。
「立緒先生」
「で?」
「闇縫いの刀で斬られたそうで、その証拠に瞳が赤いそうです。ただ」
「それで充分だ」
「彼は何者かに操られ」
雄生の口を塞がれる。その先は言うなと言わんばかりに。
「貴様は梅見様に恥を欠かせないよう、普段通り振る舞え。いいな?」
梅見の当主の名を振りかざせば従うしかないと、コイツはよくわかっている。
閉鎖された学園という檻で渦巻く、蹴落としあい、蹂躙、潰しあい。
皆、ひどく毒されている。保身のため、権威を保つため、他者を平気で踏みにじってきた悪しき因習に。
貴賤善悪など関係なく、じきに皆、おかしくなって、死ぬ。
そうでなくても、因習はびこる裏月に生まれ、刀を握った影斬りはいずれ陽の光に耐性がなくなり、夜に呑まれていく運命だ。
あきらめで濁った目が虚ろを見つめる。朝の静けさの中、雄生は昨夜の出来事を思い返していた。
昨晩、一人、見送った。朝の会議でいずれ、誰々が出勤してこないと話題になるだろう。
早く、発症してしまえばいいのに。縁起でもない考えが頭をもたげ、雄生は唇を噛んだ。
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