哀夜の滅士

兎守 優

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1 縁罪

10 操り人形

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 銀色のトレイがカツンと高い音を立てた。トレイに置かれたボウルから湯気が立ちのぼっている。金属製の食器は、汁物の熱気をすぐに奪っていく。
 食後のコーヒーやお茶のように、他の者たちが汁物だけをあとから取りに並ぶ中で、冷めた食事を気にしない者たちがいた。

 気もそぞろでぬるくなったスープをすすっている男、のんびりとスプーンを動かしてマイペースに箸を進める男、そもそも冷めるまで放置している男たちがいた。
 十二月学園、教職員寮の食堂、混雑する時間にもかかわらず、端の陰うつとした一角で、大柄の男、ゆうせいは、旭と実希みのりのたった三人で昼飯を共にしていた。

「今日も来ないのな」
「いいだろ、別に。てか、実希みのりは入り浸りすぎだろ」
 ゆうせいが指摘するが、実希みのりはまったく聞き入れず、持参した弁当箱から白米を口に運んでいる。
実希みのりは充君のこと、気になるの?」
「ちっげーに決まってんじゃん。あんの眼鏡が変なことやらかさないか肝冷やしてんの」
「俺も気になります。永野が何をしたのかって」
 ゆうせい実希みのりに便乗して、チラリと旭をうかがった。彼はすすっていたスープの器を置いて、やれやれと眼鏡を押し上げ、頭をかく。

「困ったことに調査中だからってかんこうれいを敷かれてるんだよねえ」
「それって、ボケ眼鏡、もう終わりじゃん」
「保留なのは確かだから、まだ大丈夫だよ」
「学園にしてはぬるいですね」
 人の影がヌッと現れた。ゆうせいは口を噤んでしまう。多くの教職員で混雑するはずの食堂で三人しかないこの場所、寂れた島に来る者など冷やかしか、よっぽどの呼び出し以外になかった。

「梅津、至急の呼び出しだ」
 男はそれだけ告げると去ってしまう。ゆうせいは途端に表情を曇らせた。
「はい。だだいま参ります」
 張り上げた声は、彼の感情を押し殺すには足りなかった。隠そうとしても、彼の行きたくないという態度がにじみ出てしまう。「俺、お先に失礼します」と言い、焦る様子を見せながらも、ゆうせいは弁当の片づけに手間取っている素振りを見せていた。食堂で借りた食器を返しに行くまでの時間稼ぎだった。

「中等部の先生ってタイヘーン」
 ゆうせいが横目に見やれば、旭は軽く手を振り、見送っている様子だった。実希みのりは延々と振り続ける手をはたき落とし、軽く睨みを利かせている。
「で、高等部はどうなの?」
 「実希みのりも高等部なのにねぇ」と叩かれた手をヒラヒラと振ってあおぎ、旭は口を曲げて思案顔になった。

「賢い子と無関心な子と優しい子の三パターン化が進んでるね。実希みのりは無関心の振りした優しくて賢い子だよ」
「ぞわぞわする。前置きはいいから要件は?」
「今度の土曜、特別授業があるから講師として手伝ってくれるとうれしいな」
 「仕上がりが正直不安で……」と口にする旭の様子など、実希みのりは気づかう素振りもなく、ぶっきらぼうな口を利く。

「ふーん。頻度は?」
「体育祭まで週一のペースのつもりなんだけど」
「また追々聞くよ。美味しいご飯で手を打つから」
「ありがとう、実希みのり
 ゆうせいはいてもたってもいられず、食器を抱えて席を立っていた。

 親子の会話はまだ続いているにちがいなかった。
 実希みのりはすぐ声を荒らげるが、養父の旭はどこ吹く風だ。あまり仲がいいとは言えない彼らだが、食堂を一人離れた彼は内心、うらやましいとさえ思っていた。
 昼食を共にしていた旭と実希みのりの二人を食堂に残し、呼び出された彼は囲まれていた。昼下がり、施錠がなされている旧校舎近く。梅津ゆうせいは数人の男たちになじられていた。

「梅津」
「はい」
ながつき界人のことは聞き出せたのか」
かんこうれいが敷かれていると」
「寮が同じならいくらでも近づけるだろ?」
 渋るゆうせいに、男は睨むこともせず、ただただ威圧的な物言いで脅しをかけてくる。

「梅見様に報告だな」
「やります。必ず。ですから!」
「最初からそう言えばいい。早く情報を持ってこい」
 梅見の名を出されたら、従わずにはいらない。梅見は絶対だ。
 相手が言う、梅見とは、うらづき第二位の当主、梅見に他ならない。自分は梅見一門の落ちこぼれ。一生、顔向けをできないどころか、逃げた先から迷惑をかけるとなれば、厳しい当主はタダでは済まさないだろう。

 ずっと暗い顔のまま、ゆうせいは夜、充の部屋の前に立ち尽くしていた。
 何があっても支えあう家族、悩みを打ち明けて話のできる友人、生涯を共にして寄り添っていけるパートナー。梅見一門から逃げおおせてきた彼には誰ひとり、いない。

 自分は都合のいい操り人形。言われたとおりに動くしかできないの坊。
 ゴミだのクズだの、手ひどく言われようが、冷遇を受けようが、彼は命令通りやるしかなかった。
 何か少しでも情報を引き出せればと、ゆうせいは胸にわずかな痛みを覚えながらも意気込む。

「充、ちょっといいか」
 意を決して、ドアノブに手をかければ、向こうからドアが開いた。ゆうせいを出迎えたのは、艶やかな真紅の瞳に、色白の肌の者。
 愁いを帯びた目元からどうにか目を逸らしたが、ガバガバのシャツからのぞく胸元に、ゆうせいの目は奪われてしまった。

「みちる……じゃなくて、おぎせん、いえ、おぎさんは、今、手が」
「あ、え、えと、お邪魔しました!」
 匂いたつ色香。抑えられない胸の高鳴り。
 ゆうせいは予期せぬ誘惑を振り切って自部屋へ逃げこんだ。


 突然の訪問者が引き留める間もなく帰ってしまった。たずねてきたのは教員でまちがいないだろうが、朝礼で顔を合わせたぐらいで、界人は彼のことをよく知らない。
 界人はどうしたものかと困り、向こうから閉められてしまったドアの前に突っ立っていた。

「ん、永野。どうした?」
おぎさんに用がある男性の教員の方が来たのですが、急に帰ってしまわれて」
「んで名乗んなかったから、誰かはわからない、と」
 風呂上がりの二人で難しい顔をして、訪問者は誰だったのかと、うんうんうなっていると、「うるせぇんだよ、タケオ。黙りやがれ」と扉を隔てて、怒声が上がった。
 「実希みのり、荒れてんな」と充はつぶやき、廊下に出ていく。

実希みのり、騒がしいぞ」
「うっせ。こっちはそれどころじゃ、充が女連れこんで」

 ガチャリ、ガチャリ。ドアノブを回す音がやけに大きく界人の耳に響き、胸の内をざわめかせた。
 充は数度、ドアノブを回しただけで、そのままドアを押し開けて入ってしまう。「カギは……」と言ってドアノブを握り、界人は驚いた。ドアノブは回せばガチャガチャと音は立てるのに、せり出した金具はビクともしない。

 足先に何かが当たる。彼が目線を落とせば、足元には細長いストッパーが置かれていた。
 ドアは施錠されているものだとばかり思いこんでいた界人は、なぜ奇妙な仕掛けを施しているのか、気になって仕方がなくなり、繰り広げられるいさかいが遠巻きにしか、耳に入らない。

「誰が誰を連れこんでるって?」
「あ、そ、その人だって、ほら、嘘じゃないだろ、実希みのり
「ミチル、男が好きだったの!?」
「お前ら話を聞け」
 鈍い叩く音がして、界人が身震いして意識を向ければ、騒ぐゆうせい実希みのりに充がゲンコツを食らわしたところだった。
 騒いでいた二人を正座させ、ドアの前に突っ立っている界人を指した充か声を荒らげた。

「永野だろ、どう見ても。疲れて幻覚でも見えてんのか?」
「あのボケ眼鏡?」
「え? な、ながの!?」
 色白の肌、熟れるような赤い瞳。目の前の界人の容姿に、実希みのりゆうせいきょうがくを隠せない様子だ。
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