哀夜の滅士

兎守 優

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1 縁罪

8 四面楚歌

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「校長。お待ちください。本当におぎの元に置くのですか! コイツがどんな奴かおわかりでしょう」
。どう弁解する」

「私に発言をお許しください、校長」
 手を挙げたのは充だ。は校長を見た。彼は否とは言わない。充の方も同じように、校長の態度を確かめてから、声を張った。

「永野はすでに私の生徒です。預かった生徒をどんな事情があったとしても、放り出すことは教員の職務に反します」
おぎ、君は」
 界人を擁護する声と糾弾する声。争いに発展する前に、静かな声が二人のやり取りを止めた。

「校長、お時間が」
 校長の隣に控えていた、メガネを掛けた男が耳打ちすると、校長が席を立った。
「この件はおぎに任せる。では、ここまでとする」

 各々が授業に向けて支度や話をしはじめ、足早に職員室を去る中、充を呼んだ男が流れに逆らい、彼の元へ駆け寄ってきた。
おぎ。この男がどれほどの罪人だとわかっているのか」
 充は男の前に手を掲げて制した。

どり先生。有罪が確定されてから罪人と呼ばれるものではありませんか? 彼はまだ審議の最中です」
「私は心配しているんだぞ」
「ご安心を。俺がしっかり面倒を見ます」
「そうではなくて、君のことを、だ」

「それでしたら、どり 真見さねみ先生。私ならおぎ先生の身の安全を保障できますよ」
 どりにいつもの笑みで笑いかける。

、先生……?」
 充が戸惑う目の前で、どりの矛先は渦中の彼に向いていた。充と、二人の間にいる界人に憎悪をたぎらせて言葉をはく。
「貴様。よく覚えておけ。貴様の罪は許されない、命ある限りな」
 去り際にどりが一瞬だけ、界人の目を見た。は穏やかな瞳でその様子を見つめる。

 どりの目が一瞬だけ細まった。界人は口を開こうとしたが、彼はさっと背を向けてしまった。
 彼が去ったあと、充は小声でつぶやく。
「……今のは覚えなくていい。行くぞ、永野」
 とどまる界人の背をは押した。

「二人とも頑張ってー」
 界人は振り向いて頭を下げる。はうんうんとうなずいて、手を振る。
 その場に少々、歯切れの悪い悔恨を残したが、不本意ないさかいは起きなかった。
 うん。良かった、良かった。
 機嫌よく送り出すもまた、職員室をあとにした。


 教員棟と繋がっている渡り廊下を二人は急ぐ。初等部は教員棟から一番近く、学年が上がるにつれて、奥へ上へと教室が移動していく構造となっていた。
 教室棟の一階、初等部三年のクラスの戸を充は引いた。壇上へ上るに合わせて、生徒たちは自主的に号令をかけて立ち上がる。

「新しい実習の先生を紹介する。永野界人先生だ」
「初めまして」
「永野先生、はじめまして」
 職員室での一幕とは打って変わり、界人が声を出せば、生徒たちは元気に声をそろえて彼にあいさつを返してくる。
「しばらくは永野先生も一緒に授業を受けるからな」

 一コマめ授業は滞りなく終わり、休み時間が訪れた。チャイムが鳴り終わると、生徒の一人が界人に近付いていく。
「永野先生」
「は、はい?」
おぎ先生とどういう関係なんですか」
 戸惑う界人をよそに、生徒たちは想像を口にしはじめた。

おぎ先生のカノジョじゃね」「どっちのひとめぼれかな」「ひとつ屋根の下だったりして」
「コラー、先生をからかうなんて一丁前に」
 界人の周りに群がり、好き勝手言い出した生徒たちの頭に、充はグリグリと軽くげんこつを食らわしていく。

「イ゛デデ、おぎ先生、痛い痛い」
「変わった眼鏡してるね、永野先生」
「うん? おぎ先生からいただいたものだよ」
 話しかけた女の子は悲鳴を上げてよろこんだ。
「きゃ、あ!」
「変な妄想しない。入寮祝いだ」
おぎ界人先生。いい、いい!」

 つかの間の十分休みが終わり、訪れた、生徒たちにとっては待望の昼休み。だが、充の気は重くなっていた。短い休み時間だからこそ、さっさと切り上げられたが今度はそうはいかない。
 実習生、新しい先生とやらに興味津々な生徒たちに、充は不安しかなかった。

「永野先生、お昼、食べよ」
 不安は的中で、生徒たちは界人を取り囲もうとしていた。だが今朝のおにぎり事件はまさに助けに船で、おにぎり以外の昼飯はなく、充は界人の肩を叩いた。
「おかずを作り損ねたから食堂に行くぞ」
「おかず分けてあげる」「私も」「俺のもいいよ」
 そう来たか。生徒たちは何が何でも新しい〝先生〟に構いたくて仕方ないらしい。

「俺は実習生を一人にしちゃいけないんだが」
 充一人が食堂に行けば済む話ではない。彼は界人の監視役なのだ。有罪か否かの審議中の身である界人を一人にして、見ていないところで問題を起こされれば、たまったものではない。

おぎ先生、それって」
「変な方向に捉えるな」
おぎ先生にもあげるから機嫌直して。仲良く、スマイル」
 初等部三年の子どもたちはちょうと無邪気と大人の真似をしたい盛りのお年頃で、充は内心やりにくさを感じながら、渋々席に着くしかなかった。


 十二月学園、教員寮の食堂。昼時の混み合う一角の寂れた島。男が三人、固まってテーブルを囲んでいた。
 グレーヘアの癖っ毛で、大ぶりの眼鏡をかけた旭。髪が黒く、うしろで短く結っている小柄な実希みのり実希みのりと対照的な風貌で、薄紫色の髪を短く切りそろえた大柄な梅津ゆうせい。彼らは紅葉寮のメンバーだ。

「充、来ないな」
 大きなおにぎりのラップを剥がし、一口かぶりついたゆうせいがそうこぼして、入り口の辺りを横目で確かめた。
「ぜってぇ、あのボケ眼鏡がなんかやらかしたに決まってんだろ」
実希みのり、一応、ここは職員専用の食堂だよ」
 旭が笑いながらやんわり指摘しているが、実希みのりは意に介する素振りも見せず、箸を進めていた。

「ヤサオ、そんなん、よく食えるな」
 実希みのりに嫌な顔で見られる隣で、ヤサオと呼ばれるゆうせいののどがゴクンと鳴った。
「おいしいな、これ。実希みのりも食べるか?」
「要らないって。これだけで十分」
 まだ手をつけていなかった二つめを断った実希みのりに、旭はまた笑いながら言った。

「ハハ。いっぱい食べないと大きくならないよ」
「そういう食育、今じゃ通じないでしょ。バランスよく食べる。栄養足りて、腹八分目の方が長生きできる」
 食堂内で彼らのテーブルの近くは妙にがら空きだった。だからこそ、人が近付いてくれば、用があるとわかりやすかった。

 ゆうせいは旭と実希みのりとともに昼食を摂るかたわら、横目で常に周囲を気にしていたのですぐに気づいたが、素知らぬ振りを決めこんでいた。
 切り離された島にやって来たのは、茶色の髪に精悍な顔つきの男だ。彼の鋭く力強い目線は、空席を不思議そうに漂っている。

おぎ先生がいないなんて珍しいですね」
 「志葉先生、これはどうも」と志葉に返事をしたのは旭だけ。
「そうかな。充君は生徒たちとご飯を食べることもありますよ」
「変な気でも移らないといいですね」
 生徒であるのに教員専用の食堂にいる実希みのりや会釈だけで目を逸らして縮こまるゆうせいを気に留めることなく、志葉はそう残して食堂を出ていこうとして振り返った。

「それで、直近で、結界には何も干渉なしでよろしいですか?」
 旭は「いつも通り良好ですよ」とニコニコと笑っている。それを聞き届けた志葉は今度こそ、食堂を出ていった。

「で、まだ初日の昼だよね。何やらかしたの、アイツ」
「永野先生でしょ、実希みのり
「よくわからないが、朝礼から空気がピリピリしていたな」
 ずっと端の席で身を隠すようにしていたゆうせいは、志葉がいなくなった途端、モソモソとおにぎりを口に押しこんでいった。

 旭は「まあ、その」と話を続けた。
「ほら、ここは縦社会だから、権力関係で下の者には、最初にガツンと見せつけとかなきゃいけないでしょ?」
「…………くだらな」

 実希みのりは教員ではなく生徒だ。今朝の朝礼の一幕は当然知らない。だが彼はいじめだの、差別だの、圧力だの、権力と悪意にがんじがらめの行いは大嫌いな性格だ。だから、どうせ先の職員会議では、面白みのない腐ったやり取りがあったのだろうと、考えたにちがいなかった。
 イラつきながら、白飯をかきこんむ実希みのりを見てゆうせいはそう考えていた。

 それでも現実は。ゆうせいは唇を噛む。
 誰もが実希みのりのように、あらゆる権力としがらみをはねのけて、孤立してたとしも立場を保てるわけではないのだが。
 胃にのしかかる重圧。ゆうせいはせっかくの昼飯が胃に重く残るのを感じていた。
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