哀夜の滅士

兎守 優

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1 縁罪

4 最下層から

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 久しぶりに具材の味がするみそ汁を口にした充は、郷愁が胸を焦がす前に、冷えた水を飲み下して、胃を現実に叩き戻した。
 あの日から充は、喜と楽の感情を享受することができないでいる。
 無傷で生き残った自分に何ができるのか。
 充は自問自答の日々に囚われていた。

 しかし界人と出会ったことで充は、ようやく迷い道の出口を見つけられたような気がしていた。
 生き苦しむ今の自分にできるのは、教え導くこと、ではないか。

 早めの夕食を終え、充は自室に界人を招く。彼の興味があちこちへ散ってしまう前に、机をトンと叩いて注意を引きつけてから、話を切り出した。
「まず、俺たちの暮らすここは十二月しわす学園の教員寮、紅葉寮だ」
 界人がよくうなずいたのを確認してから、充は次の説明に移った。
「十二月学園には初等部、中等部、高等部の三つがある。初等部は六年生まで、中等部と高等部はそれぞれ三年生まで。俺たちは初等部までを担当する」

 長い眠りによって記憶の面に支障がある界人の様子を見ながら、充は説明を続けた。
「入学者数によるが、例年だいたいは各学年三クラス。多くて四クラスの時もある。一クラス二十名ほどだ。俺たち教員は教壇に立って生徒に教える。授業というものだ」

「あの、すみません」
「どうした」
「僕は生徒として、おぎさんに教えていただく立場ですよね? ですが僕が教員として生徒に教えるというのはどう解釈すれば良いでしょうか」
「永野は俺が生徒として受け持ち、教育指導を行いながらも、表向きはしばらくは教育実習生という立場だ。だが生徒から見れば、俺も永野も等しく先生という立場に見られる」

 「わかりました」と言って息を呑んで界人は聞く姿勢を正したが、充はまだ彼が何か言いたげに見えた。
「ほかに質問はあるか?」
「は、い。授業……と言いますと、お稽古、のようなものですよね」
「敬語……まぁ、そうだな。稽古と言うと、この学園では剣、術指導を言うがな」

 充はわずかに言葉を詰まらせ、ページを押さえる右手に、左手を重ねた。その震えがこみ上げてしまう前に押さえつける。
「いきなり大勢の生徒の前には放り出さない。俺の授業を見学して、一ヶ月は何をするのか観察しろ。それから徐々に名目の実習生という、教員の準備段階に入る」

 その目は何を追っている。言葉の節々に出てしまった、不自然さを気取られてしまっただろうか。
 充は気づかう振りをしながら、界人の動向をつぶさに観察した。
「それだけたくさんの生徒を見るとうことは、教員の方々もたくさんいらっしゃるのですよね」

 勘がいいな。
 充はひそかに奥歯を噛む。学園と銘打ち、教員寮があるということは、それだけ抱えている教員も多い。
 そうだ、教員はいる。
 充は考えるだけで、胃がムカムカしてくるのを感じた。毎年、数人の生徒に手を焼くどころの騒ぎはかわいいものだと思えてくる。

 生徒のためにあるのが学園である。だが、何よりも重要視されるのは、教員同士の力関係であることは、この学園も例外ではない。
 大人の事情にまみれた世界で生きていく。勢力図はこの学園では重要事項だ。早めに教えておくに越したことはない。机上に置かれた本の該当の箇所、組織図が書かれたページを彼は広げて見せた。

「教員組織図は重要だが一日じゃ覚えられないだろう。一応紹介しておくが、教員の所属に四つの属性があって、春夏秋冬に振り分けられる。冬は三寮。ごくげつげんとうかんなぎ。メンバーは師走家の教員たちだ。ここが組織の頂点。
次が春。せいようしゅんすいとこはるの三寮。ほぼ睦月家。
次、夏は立夏、朱夏寮。ここにはうらづき以外の教員もいる」
 全てを一度に口にしたので、何となく頭に入っていればいいだろうと充は気構えていた。

「僕たちは紅葉寮。秋ですね」
 充の予想に反して彼ののみ込みは早かった。
 ならば彼は悟るのも早いだろうから、知るべきことは早々に伝えてしまったがいい。この与えられた立場を恥だと思う連中は紅葉寮には一人もいないだろうが。
 充は先に悲しい結論を告げてしまうことにした。

「そう。権力の最下層だ。つまり下っ端」
 また界人の表情がわずかにかげる。怒りとも悲しみともとれない、複雑な感情を充は読み取ることができない。

「そうだ。一番重要なことがあった」
 少々、刺激が強かったか?
 しかし話を変えるにしても、まだまだ学園内の情報を叩きこまなければならない。この権力まみれの牢獄では、避けるべき争いを見極めるために、情報が要る。

「学園は四方を巨大な結界に囲まれている。つきいや不意の侵入者を防ぐためだ。ここはつきいを滅する、影斬り養成の要でもあるからな」
 充は外の世界を知らなかった、幼き日の自分に激しい後悔の念を寄せる。しかし、外の事情を因習の全てを知り尽くしていれば、防げたのだろうかと。
 治まったはずの記憶がジクジクと染み出してくる。話すほどに、起こってしまった恐るべき事件へと近づいていく。

「あまり人の出入りのない二方はうらづきの上位層の誰かが担当していて、残り二方は十二月学園が担当している。特に出入りの多い出入り口の面は、志葉先生という方の担当だ」
 秋に記されたもう一つの寮の存在。話を流し続けなければ、当然、残りの寮について説明を求められるだろう。
 充は界人に疑問を抱かせないため、話題の順序を入れ替えた。

「俺たちの寮がある面は、結界の端に近く、旭先生が担当。彼は単発の呪術は不得意で、長期的に編む呪術に長けているからな」
 これだけ詰めれば、もう頭がパンク状態だろう。
 話を切り上げようとして席を立ちかけた充だったが、界人に虚をつかれてしまった。

「あの……秋に属する白秋寮というのは……?」
 足を踏みしめ、机上にかけた手に力を入れ、震えを押しこめる。
 どうして、うまくいかなかったのだろう。
 開けてはいけない扉をこじ開けようとする、界人の無自覚な真面目さが刺さって充にはつらい。

 紅葉寮と同じく権力の最下層に位置する白秋寮。その寮は今も閉鎖状態が続いていた。
「誰もいない。立ち入りは許可されていない、あと、旧校舎も立入禁止だ」
「わかりました」
 永野界人はどこまで事情を飲みこんだだろうか。いずれ知れることになる過去の事件のこと、今話すべきなのだろう。
 だが、充はこれ以上、震えを押しとどめることができず、口を閉ざしてしまった。

 命がついえた体から、凄惨なあかがごぷりと息をして広がっていく。血の記憶が忘れないでと呼ぶ。腕に刻まれた痕を見る度に、充は過去にさいなまれた。
 忘れられなどしない、この縁の痕こそ、縁の相手を喪ってしまった彼が、生きていける証なのだから。
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