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四 吐く愛の時間
吐く愛の時間 一幻
しおりを挟むどこからか鈍い鐘の音が聞こえた。姿は見えないのに頭の中で、振り子が左右に揺れている気がしてしまう。
夢中になっていて、やり過ぎたかもしれない。揺れているのは自分の視界だということに気づいた。長く息を吐くと、ズキリと目と肩が痛んだ。
ペンを置いて目頭と肩を押さえて、目を瞬かせる。かなり熱中していて時間を忘れていたようだ。
真向かいの級友が顔を上げてこちらを見遣る。彼の机上はもうすでに片付いていて、ノートとペンだけだった。「どうしたのか」とでも言いたげだった。
俺は小声で「切り上げよう」と言って、席を立つ。分厚い本をいくつか抱えて棚に戻しに行った。
すっぽりと空いた場所にストンストンと一冊ずつ納めていく。この本たちには戻るべき場所がある。居場所と拠り所がはっきりしているのがうらやましい。
物として扱われてきた自分が、人としての思考を許されたときから、俺は自分が何なのか分からなかった。
なぜ自分が人間という種に生まれたのか。なぜ自分を愛せないのか。なぜ、なぜ、なぜ。湧き上がる疑問の答えを書物に求めた。
急に後ろからすっと指が伸びてきて、戻したばかりの本の背表紙をなぞった。
「わっ!?」
俺は思わず、抱えていた重量のある本を落としそうになった。
「君、一年?」
「あっ、はい」
彼が声を潜めない様子にヒヤヒヤとしながら、俺は努めて小声で返答した。
「にしては、もう"ナギ"を読んでるなんて、さては年齢詐称か?」
彼はおどけて人懐こっい笑みを浮かべた。『一年?』と聞いてきたからには、少なくとも一つは学年が上なのだろうと俺は踏む。
「先輩も……ナギを嗜まれるんですか?」
思わずいつものような調子で話してしまって、口を覆った。そもそも、目上の人には軽々しく口を聞くものではないのだ。
「え? あー、知り……じゃなくて、俺は人間の心理が知りたいんだ」
「ですが、ナギの言うの博愛の本質は、人間に限定されたものではなく、全てへの平等な愛についてだと思うのですが」
ナギと言われるとつい舌が滑ってしまう。ナギのたった一つの著作──ナギの書は、俺が人生の答えを求めて探り当てた本だからだ。
分け隔てなく博く愛することについて説かれていて、愛をすべき対象についてまずは知ることが第一歩であると書かれていた。
「逆攻法だよ」
「ナギの言う、人間以外にも愛を等しく向ける、その意義から、人間の心理? 真理? とやらを導き出す」
「それが、俺。心理学部二年、杉並郁だ」
「は、はい……」
できれば、もう『人間』についてはもう知りたくなかった。『人間』は高尚な生き物で、人の形をした欲望の塊。自身も『人間』になってしまったと悟ったとき、ひどく気分が悪かった。だから、俺は『人間』という俺自身を愛せないのだと分かったのだ。
「君は?」
「おっ、俺は……世間一般で考え得るところの、博愛の対象から見落とされる、人以外の心理を解き明かしたくて……」
人間、人、ヒト、以外の何か。俺はその『以外』の種について知りたい。『人間』はもう、うんざりなんだ。
「ちがうって、名前は?」
「……あっ! えっと、心理学部一年の堤悠斗です」
まさか、人間である俺を知りたいと言われているとは思いもしなかった。名前を聞かれていたにも関わらず、すっかり勘違いして答えていたことに気がついて、カッと顔が熱くなるのを感じた。
「え? 具合悪いの?」
なんて言って彼は顔をのぞき込んでくるから、困ってしまう。人に興味と期待の眼差しを向けられることに、俺は慣れていないのだ。
「ちっ、違います……! もうすぐ閉まりますよ?」
「あー、そうだった。また話そうな、悠斗くん」
「え? あ、はっ、はい……」
俺は杉並と名乗った先輩の元を小走りで去った。机に戻ると、藤馬はすでに支度を終えていた。
「ごめん、遅くなった。帰ろう」
「あぁ」
俺は急いでノートやペンをリュックに詰めて、彼とともに図書館を後にした。
「なぁ、藤馬」
「どうした?」
「えっと、、、」
俺は「心理学部二年の杉並先輩って知ってるか?」と言おうとしてなぜか止めてしまった。こんな広い大学内で、一年生がもう先輩のことを知っているなんて、そうそうないだろう。代わりにこう切り出していた。
「俺たち、一年生にして論題が決まってるのって、うわさになってるの?」
「……よく分からないが教授たちの間ではうわさになっているらしい」
「浮いてるとか、ないよなー」
ははーと乾いた笑いを浮かべて隣に投げた。
「一年だろうが関係ないだろう、浮ついた奴らばかりだから、話題には事欠かないだろう。論題どうこうなんていう、"つまらない"話題で、抜きん出ることはないと思うが」
「藤馬、それ悪口じゃない?」
「俺は横道逸れてフラフラしてる奴らには興味がないだけだ」
「もう少しオブラートに包もうよ」と俺は苦笑しながら、頬をかいた。
「そう言えば、えらく興味があるサークルがあるって言ってなかったか?」
「はっ! そうだった……! 藤馬も行くか?」
俺が提案すると彼は片手を上げて断るポーズを見せた。
「今の流れでそうはならないよなー」
俺は引きつった笑みを浮かべて、藤馬とわかれた。彼みたく、ストレートに物を言えないし、物を言ったことによる周りの反応も気になって仕方ないのだ。誰も聞いてなかったみたいで、少しだけ安心して、体育館へ向かった。
「あの……見学希望の堤です」
入り口の近くでアップをしていた人物におそるおそる声をかけてみる。
「あっ、あぁ! ようこそ我らが籠球サークルへ、ちょっと皆いいかー、見学来たぞー! 天の恵み!!」
「うぃーす」「マジで」「やりぃ」
彼の呼びかけに、わらわらと人が集まってきて、その勢いに俺はピンと背筋を伸ばしてしまった。
「新入部員っすよー、高梨先輩」
高梨と呼ばれた、かなり引き締まった体の長身の男がうれしそうに笑う。
「ヨッシャって、おい、奏多。まだ入ると決まったわけじゃないだろ?」
「もう入ったも同然じゃないスか」と奏多という、バスケ選手にしては背の高くない男が高梨さんに小突かれていた。
部員に囲まれてあれやこれやと質問攻めを受けていると、聞いたことのある声がした。
「わーお、堤くんじゃーん」
「さっきぶりー」と言って輪の中に入ってきたのは、図書館で出会ったばかりの確か、杉並……。
「改めまして、俺は杉並郁」
「え? 杉並先輩、知り合いなんですか! 早く言ってくださいよー」
奏多は手に持っていたボールをぎゅうと押して何だか悔しそうな様子だった。
「てっきり文学漬け少年かと思ってたけど」
杉並先輩はふむふむいった様子でじろじろと体を見てくる。
「さては、元陸上部」
「なんで分かったんですかっ!」
彼の指摘が見事的中していたことに驚く。やはり、ナギを嗜む先人は先を読む思考も長けているんだなと思っていたが。
「勘」
と言い切った瞬間、杉並先輩は皆に呆れられてしまった。「また出たよ、当てずっぽう」「頼むから戦略は確かであってくれ」「野生かよ」と口々に突かれていた。
俺はサークルの皆に大歓迎され、一緒にひと汗流した後、食事に誘われた。ドギマギしながらどう断ろうか考えていると、
「悠斗は俺とナギを語り合う約束してるから、じゃっ」
と杉並先輩が俺を皆から奪い取っていった。皆に惜しまれつつ、別れを告げると、彼はぷふっと吹き出した。
「早く帰って勉強したかったんだろ?」
「はい……」と俺はバツが悪くなって小さく返事をする。あまりの的中の連続にまさか心を読まれているんじゃないだろうかと思った。
「読んだところをもう少し自分で考えてみたくて……杉並先輩はどうしてですか?」
「何が?」
「皆と飲みに行くつもりだったんですよね?」
「実は俺も早く帰りたかった、というか、ボロ出さないから俺が居ても白けるだけだって」
「何でですか?」
先輩なら誰とでもどんな状況でも上手くやっていけそうに思う。会ったばかりなのに、彼は数々の修羅場をかわしてきた強者に、俺には思えてならなかった。それぐらい、彼は堂々としている。
「俺さー、酒強すぎるらしくて、いくら飲んでも素面でからかいようがないってさ」
「俺はまだ飲めないので分からないんですけど、酒豪なんですね」
「悠斗も無理に飲む必要ないぞー」と杉並先輩は笑って言う。
「場合によっては、人間の理性が振り切れるからなー、酒は」
「酒に酔っていなくても、理性の糸が何かの拍子でぷつんと切れて、おかしくなることはあると思います」
ぶらんと何度も揺れる足と、振り下ろされる腕。仄暗い感情が蔭って心をざわつかせた。
「それ、どこかで読んだ?」
「そ、そうだと思います」
俺は繕って答えた。いけない。彼は全てを見透かしてしまうかもしれない。
何か紛らわそうとして、「杉並先輩は」と言うと彼は訂正した。
「悠斗ー、郁でいいぞー?」
「か、お……る先輩は、家は近いんですか?」
「んー、ひと駅でめっちゃ近い。ちなみにひとり暮らし。悠斗は?」
「俺もひとり暮らしです。三駅ぐらいありますけど」
「そっかぁ、また話そうぜ! ナギのこと話すと、みんな散っていくから話せる相手がいると思うとうれしいんだよな」
「俺もです。またよろしくお願いします」
俺はささやかな楽しみを得たと心の中で喜んで先輩と別れた。
翌日からも俺はサークルに仮入部して、バスケとナギに勤しんだ。俺はすぐに皆と打ち解けることができたが、相変わらず、付き合いには参加せず、こっそり杉並先輩と談義を交わしていた。
「博愛からほど遠いものって何だと思う?」
「偏愛……偏った愛でしょうか」
「うーん、俺はさ、こう思うんだ。押し付ける愛──一方的な愛だと思う」
「それは一方通行というよりは、強要の方ですよね?」
「そうだな、博愛の定義の、広く平等に愛するは、一見、一方通行に思えるけど、見返りは要らない」
「そうですね、愛するって本来はきっとずっと素敵なことだと思うんです」
「歪められる方がかわいそうです」と俺がつぶやくと、郁先輩は「やっぱ悠斗と話してると楽しいや」とまぶしい笑顔で返してきた。
彼の笑った顔は俺の心に温かくじんわりと染みこんでくる。それだけで俺はとても満たされた気持ちになっていった。
もうすぐ本入部が決まるある日のことだった。
「悠斗、終わったらちょっといいか」
高梨先輩に呼び出された先は、木々の中に構える古い建物の空き教室だった。校門付近の真新しい造りの建物とは異なって、こちらの棟は講義で使われてはいるが、老朽化が著しく、中は少々ほこりっぽかった。
「俺、何かマズいことでもしましたか?」
緊張した面持ちでたずねると、彼の目がすっと細まった。俺にはその様子は見覚えがあった。獲物を見定めたときの眼光だ。
俺が怯むとガッと肩を掴んで、高梨先輩は「しー」と耳元でささやいてくる。その力強さと言うよりは、その先を一瞬で予期した体が、さーと力を引き上げていってしまったので、動かなくなってしまった。
「大人しくしてれば優しくしてやるからな」
震えて座り込んだ俺に顔をうずめて、彼は首筋をベロリと舐めてきた。俺は唇を戦慄かせながら、その不快感に耐える。彼の膨らみが太ももに押しつけられて、より一層縮み上がった。
こ、わい
恐怖に支配された脳は正常な判断力を失っていた。逃げるという選択肢は役に立たなくなった体に奪われ、抵抗するという手段は過去の記憶によって封印されてしまう。
もっと殴られる、ヒドいことされる。
彼の荒い鼻息が首元にかかる。耳にしゃぶりつかれたり、服の下から手を差し入れられ、胸の尖りを引っかかれたり、俺の息も上がっていた。
獰猛な獣に全身かぶりつかれている。そんな感覚だった。何度も太股に擦り当てられたそれは硬度を増していて、俺は身震いする。何をされるんだろう。どこまでされるんだろう。
ファスナーを下ろされた。恐怖で不能の俺の体でもちゃんと反応してしまっているのが嫌で、ぎゅっと目をつむった。
「いいじゃん悠斗。キモチイイんだね」
俺が濡れている様子に高梨先輩は満足したように、下着からそれを取り出して乱暴にしごき始めた。
「んッ! んふ、んんっ」
俺はとっさに両手で口を精一杯覆った。下肢がビリビリとしびれて、脳へと突き抜けてくる。彼は俺のソレを握りながら、押し倒して、後ろの窄まりに指を押し当ててきた。
「ん! んんっ!」
俺がイヤイヤと首を振ると、彼は俺の肉棒の尖端をグリグリとしてきて、再び快楽の渦に引き込んできて、抵抗を止めさせる。
俺が泣いて懇願しても、彼はその行為を止めず、ジェルを纏わせた指をためらうことなく押し入れてきた。
「ぐっ」
俺は異物感に顔をしかめて、歯を噛んで耐えた。指が中々入っていかない様子に舌打ちをした彼はキッと顔を上げて睨んでくる。
「なぁ、萎えるから止めろ。もっと悦べよ、ヨクしてやってんだから」
彼はそう言って無理やりねじ込んでくる。彼の細く長い指がコリッとしたしこりに当たると、体が飛び跳ねた。
「ふ、あっ……!」
俺は吐息混じりに声を上げてしまって、そのいやらしさにぞわりとした。彼はそれに気を良くしたのか、そこを何度も突いて俺を仰け反らせさせ、啼かせた。
じゅぶじゅぶ、ぐちゃぐちゃと厭らしい水音が聴覚を犯して、脳がパンクしてしまいそうだった。
いつの間にか数本咥えていたそこから指を抜き去られ、代わりに彼の欲望があてがわれた。もう抵抗することもままならず、一気に貫かれ、何度も何度も激しく揺さぶられた後、俺は意識を手放していく。
俺の思考にはなぜか、冷たい部屋で蹴られぶたれる誰かの姿が浮かんでいた。小さい体がオモチャみたいに左右に転げ回っていた。
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