夜威

兎守 優

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三 鳴き夜の子守唄

満つ月 虚月

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「ねぇ、|早苗さなえ《さなえ》さん」
「どうした? 東雲しののめ

 作業の手を止めて早苗さなえはるかを見上げる。

「なんで、みんな、あの吸血鬼のことを知ってるの?」
 早苗さなえはるかの方に向き直った。
「だって、皆帰ってこなかったんだよね?」
「……いいえ」

 二人の会話の一部始終を聞いていた者が声を上げる。

「おい、早苗さなえ……!」
東雲しののめには知る権利がある」

 彼女は同僚の静止の声をはねのけて促した。

真柴ましば川面かわおもも連れて、いつものを受け取るついでに案内してあげて」
「………わかった」

 はるかは内心、帰ってきた人は父なのではないかと期待に胸を高鳴らせ、唾を飲み込んだ。

 はるかが真柴と川面かわおもに連れて行かれた場所は病院だった。建物の上部には大きく「諸星総合病院」と掲げられていた。

 白衣に身を包んだ長身の男性。ふわふわとしたくせ毛に、目にかかる長さの前髪。そして、優しい眼差しと表情──
 ガラス越しにその姿を認めたはるかはガラスを叩こうとして、真柴に止められた。

「止めろ、妹尾せおは記憶を失っている」

 はるかはガラスに手を置いたまま問いかける。

「なんで……あのままでいいの? 妹尾せおさんは僕たちの仲間でしょ……?」

 「いいんだ」と真柴はぎこちなく口角を上げて言う。

「あいつにとってツラい記憶も全部、ないんだ」

 川面かわおもが付け加える。

妹尾せおには妻の芽生めいさんと、娘の美月みつきちゃんが居て……二人とも邪異ヤイに殺されてる」

 はるかは顔を覆ってうなだれた。

「俺たちが覚えておいてやる」
「あいつがいつか思い出したとき、支えてやれるように」
「だからそれまではそっとしておいてほしい」

 川面かわおもはるかの肩に手を置いて言い聞かせるように言う。

東雲しののめ妹尾せおのこと、大好きだろ?」
「……うん。夜警に入ったばかりの時、いっぱい助けてもらった」

 はるかの脳裏には妹尾せおと共に過ごした日々のことがよみがえっていた。
 彼の朗らかな笑顔と頭を優しく撫でてくれるその手に、何度冷えた心を温められただろうか。
 パパが居てくれたらこんな感じだったのかな……。はるかは彼に父の面影を重ねていたことを思い起こす。

「あ、真柴さん、川面かわおもさん……ともう一人の方は初めましてかな?」

 記憶の中の彼と変わらない姿とその緩んだ表情。

「し、東雲しののめ はるかです!」

 そして、目の前で彼はふわりと笑う。

「初めまして、東雲しののめさん。妹尾せおあきらです」

 胸元のネームカードを指して彼はそう告げる。

「ご用意できてますよ、今お渡ししますね」

 はるかは涙があふれそうになるのを必死に堪えた。何も変わっていなかった。ある日突然、姿を見せなくなったあの日から。
 じっと彼の方を見ているその視線に気づいて何かを思ったのか、妹尾せおはるかに手を伸ばす。

「お勤めご苦労さま」

 妹尾せおはそう言って、頭を撫でようとして手をはたりと止めた。

「子ども扱いは嫌だよね、ごめんね」
「んーん」

 はるかはかぶりを振る。

「僕、まだ大人じゃないから」
「そっか、そっか。偉いね」

 その様子を見ていた真柴か苦笑して言う。

妹尾せおさん、ずいぶんと甘やかしますね」

 はるかによしよしとしながら、妹尾せおは表情を緩める。

東雲しののめさんと同じくらいの子を任されてるので、つい」

 彼が放した手を物欲しそうに目で追いかけるはるかに、真柴は代わりにくしゃくしゃと髪をかきなぜる。

「こいつはただの甘えん坊なので、甘やかし過ぎないでください。帰るぞ、東雲しののめ
「うーー。またね、妹尾せおさん」

「うん」

 真柴と川面かわおもは離れがたそうな様子のはるかを引っ張っていき、笑顔で手を振る妹尾せおの元を後にした。

 はるかたちが夜警の会議室に戻ると、見慣れぬ少年が不機嫌そうにしていた。
 彼は三人の姿に気づくなり、真柴と川面かわおもの間にいるはるかに、彼はズカズカと近づいてきた。

「このちっこいのが、つつみ悠斗ゆうとっていう邪異ヤイのお気に入りか?」
「むっ。東雲しののめはるかです!」

 はるかよりいくらか背の高い少年は鼻で笑って、さらにニヤリと笑う。

「ハル坊ねぇ、こんなよっわそうな奴がよく生き残れてるよな」

 会議室の一人が彼を咎める。

「おい、ひいらぎ。歳はお前が上でも、夜警では東雲しののめの方が先輩だぞ」

「いいです。僕は弱っちくても」

 はるかは口を尖らせてそう返す。

「なーんで高城たかしろさんはこんなのいつまでもほっとくんですかね。俺に任せれば一撃で仕留めて見せますけど」

 柊はくるっと背を向けて、左手で肩を払うような仕草をする。

「すごいね……! えっと」

 真柴がはるかに耳打ちする。

「……柊だ」
「あっ、柊くん? さん? その意気・・の良さ、教えてもらいたい!!」

 柊はジロッと見返って凄んだ。

「……お前、ほんとタマついてんのか?」

 真柴がはるかの耳を急いで塞いで声を荒らげる。

「おい、まだ十八にも満たないんだから、変なこと吹き込むなよ」

 「はぁ?」と柊は呆れたように言う。

「なんでそんなお子ちゃまが夜警に居るんだ? 夜更かしは良くないぜ?」

 ケラケラと笑う柊に早苗さなえがメスを入れた。

「所属することにそんなに理由が必要なの?」

 早苗さなえは柊に問う。

「なんで女がはぐ!」

 川面かわおもが慌てて柊の口を押さえつける。

「口を慎みなさい小童。人間をないがしろにしていると、足元を掬われるぞ?」

 彼女のその言葉を皮切りに次々と夜警の面々が口を開く。

「ないがしろにしていいのは邪異ヤイだけだ」
「人間の世の秩序を守るためにこの組織はある」
邪異ヤイを殲滅せよ、高城たかしろさんのご命令だ」

「わーったよ。要は邪異ヤイを一匹残らず、ぶち殺せばいーんだろ」
「口の汚いガキだなぁ」
「へーへー、善処しますー」

 ピコンと機械音が鳴ったと同時にサイレンが鳴り響く。早苗さなえは画面の指示を確認する。

「通報よ、各自出動準備」

 早苗さなえはテキパキと告げ、はるかと柊には待機を命じた。

「はぁ? なんっ、でっ!」

 皆、柊の非難の声には耳も貸さず、一目散に会議室から出て行ってしまった。静寂に包まれた会議室で柊はちぇっと舌打ちをした。

「ハル坊」
「なぁに?」
「お前、ぜってぇー、名前忘れてるな、ひ・い・ら・ぎだ!」
「ひぃーらぎ」

 「ひいらぎ!」だと言い聞かせようとしたが、やがて呆れたように吐き捨てた。

「ったく、名前も覚えらんねぇなんて、大丈夫かよ。親の名前はなんて言うんだ? まさか忘れた訳じゃねぇよなあ??」

「覚えてる……!」
「じゃあ、言ってみな」

「……ヤダ」

「ほーら、やっぱ思い出せねぇーんだな」
「ちがう」
「は、じゃあ何で言わねぇーんだ」

「呼んだらママもパパも帰ってきてくれるの?」

 柊ははっと息を呑んだ。

「柊、嫌い」

「わ悪かった、悪かった、ごめんな、っておい!?」

 俯いて飛び出していってしまったはるかを慌てて柊は追いかけた。

「おい、って、待機だろ……!」

 彼は息を切らしながらはるかの肩を捕まえる。

「いーの! 屋外待機・・・・!」

 「なんじゃそりゃ」と柊がため息をついて、引っ張って連れて帰ろうとすると、はるかが「ねぇ」と言った。

「柊、音楽が聞こえてくるよ」

 おい、「さん」はどうした。機嫌直すのはぇーな。柊は内心そう思った。

「こんな夜更けに何騒いでんだかな、俺たちは待機だぞって、こら!」

 何も言わずにその音をたぐり寄せるようにズンズン進んでいくはるかの後を追いながら、柊は声をかける。

「ハル坊なぁ、俺たちはや」

 はるかにしっーと人差し指で合図され、彼は思わず口を押さえた。

「サーカス? みたい、だ」
「こんな真夜中からか?」
「それに、子どもばっかり」

「こんな時間、ママが寝かしつけてるはずだろ?」

「もうすぐ始まるけど?」

 その声に二人はビクッと反応した。入り口を覗いていたはるかたちのそばに、ぼうっと少年が一人、現れたのであった。

「あっ、えっ、その」

 柊はその少年の射抜くような眼光にたじろいた。しかしはるかは臆することなく、少年にたずねる。

「入っていいの?」

 少年は少し驚いたように目を見張ってから答えた。

「うん。もちろん、子どもなら大歓迎」

 しかしその返答に浮かない様子のはるかに少年は問いかけた。

「どうしたの?」

 「あの……」とはるかは口ごもりながら言う。

「しーしてくれる?」

 彼が人差し指を口に当ててお願いする様子に、少年は人差し指と親指で丸の形を作ってふわりと笑う。

「それがここのお約束だからね」

 はるかはニコリと笑って、柊の手を取った。

「だって。行こう、お兄ちゃん」
「はっ? へっ!?」
「どうぞ楽しんでー」

 開演のチャイムが鳴った。
 舞台の上に次々と現れる演者は皆、幼い顔立ちや体つきであった。

「大人になんてなりたくない!」
 少年のその一声に、他の役者たちも賛同する。
「大人になると忘れちゃう」
「お山を作ったことを」
「お空を飛べたことを」
「川で遊んだことを」
「まあるいお月さまのことを」

「大人になると忘れちゃう」
「楽しむことを」
「自分も子どもだったことを」
「子どもの気持ちを」
「ぜーんぶぜーんぶ忘れちゃう」

「ここはずーっと子どもでいられる街」
「みーんなずっと幸せ」
「楽しい毎日」
「いっぱい遊んで疲れたら」
「さぁ、今日はもうおやすみ」
「また明日。良い夢を」

 ゴーン、ゴーンと鈍い鐘の音が鳴った。あっという間の閉演時間。
 帰っていく子どもたちと反して、まだその場に残って興奮冷めやらぬ様子の子もいれば、眠ってしまっている子もいた。

「どうだった?」

 そう言って舞台から下りてきて衣装を取り去って声を発したのは、先ほどはるかたちを案内した少年であった。

「わー、すごい……! さっきの……」
「チヒロだよ」
「チヒロが緑の人だったんだね!」
「うん、ピーターね」

 二人が話しているところへ、チヒロとよく似た風貌の子どもがやってくる。

「チヒロ、その子だあれ?」
「新しく見に来てくれた子だよ」
「俺はイツキ」
「僕ははるか。もしかして双子?」

「ちがーう。僕らで三つ子」

 舞台の袖からもう一人同じ顔がひょっこりと顔を出した。

「こっちはマサルね」

 マサルははるかの後ろでそっぽを向いている人物を指さした。

「あの子は?」

 「彼ははるかのお兄ちゃん」とチヒロが答えると、マサルは、

「それで?」

とその先を要求してきた。ぐいっと近づかれて、柊は渋々と名乗った。

「わ、わたる……だ」

 初対面であるのにすっかり打ち解けた様子のはるかとは裏腹に柊は気まずそうにしていた。

「ハルカともっとおしゃべりしたいな」

 イツキははるかと手を合わせて両手でハイタッチをする。

「またおいでよ」

 チヒロは彼の後ろからその手をそっと外して言う。

「明日もあるから」

 マサルは「だいたいこの時間に開演するから来てね」と手を振る。

「うん!」

 屋外待機・・・・の帰り道。はるかは目をこすりながら、柊の一歩後ろをとぼとぼ歩いていた。

「なぁ、臭うぜ?」
「ふえ? どこが?」

 はるかは寝ぼけ眼でクンクンと自分のにおいを確かめる。

「ちっげぇーよ」

 「皆まで聞けって」と柊は怒鳴る。

「あのサーカスだ」

「えー、でもあの三つ子も子どもたちもそんな変な感じしなかったよー。むしろとっても楽しそうだった」

 ふぁぁとはるかは欠伸をした。眠い様子の彼とは対照的に柊は深刻な様子であった。

「だからだよ。俺は嘘には敏感なんだ」
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