月負いの縁士

兎守 優

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終章 蒼月のデスパレード

120 与えられた名を呼んで

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「こらー! 待ってよ~」
「お迎えみたいだね。馴れ合っちゃって笑える。バカは反吐が出る」
「あんたも奥さんの性格、移ったんじゃないんすか。じゃ!」
 宇津木は最後まで成清と目を合わせることはなかった。心底苛立ちをあらわにし、彼は舌打ちを鳴らして、家に入っていった。

 病院まで郁と少しばかり二人だけでいられる。成清は内心浮ついていたが、見覚えのあるうさぎの姿を見つけて飛び上がった。
「おあ! なんで、うさ公がいんだよ!!」
「お見舞いに行こうと思ったらついてきちゃって、でも、どっか行こうとするから、もう!」
 「病院の中には入れねぇーぞ?」と成清が言う。もち丸は郁にしがみつきながら、彼を見上げた。忌々しいうさぎだ。幼少期、うさぎにうしろから追突され、川に落とされたトラウマがよみがえる。だが、彼はちらりと見やって、舌打ちをした。

「しゃーねぇなあ! うさ公、お前は今からルカオが持ってきた見舞い品だからな!」
 「動くんじゃねぇぞ」と成清が‪呪詛じゅそを唱える。郁がもち丸を抱き上げると彼の腕の中で、ぬいぐるみの姿へと変わっていった。郁の手の中に収まるのは、つぶらな黒い瞳に白いもふもふの毛のうさぎのぬいぐるみである。
「成清くん、ありがとう」
 郁はもち丸にほおずりしながらはにかんだ。


 師走しわす大学病院の特別収容・治療室を訪れる者が二人。うっすらと意識を浮上させた界人は、自分の病室の前で足音が止まるのを感じていた。ドアが静かに横に流れた。

「兄さま」
 自分を呼ぶ懐かしい声。記憶の底ではまだ幼さないままの姿だった。舌っ足らずで健気に覚えたての言葉を話す弟。閉じていた瞳が開かれて、声の主を捉える。名前を与えられなかった血を分けた弟に、兄が与えたその名を口にする。

「郁」
「兄さま。僕が兄さまと縁を結ぶ……っ!」
 成清が割って入る勢いで驚がくし、パイプ椅子を蹴ってしまった。イスの上におとなしく置かれていたもち丸はポーン、ポーンと大きく飛び跳ねた。
 胸元にすがりついて、泣きじゃくる郁の頭を界人は、愛おしそうにゆっくり優しく撫でて諭す。

「郁。好きな人のために取っておきなさい」
「でも、兄さまが。一緒に居たいのに」
 ぐずる弟の震える背を兄の手が辿々しくなぞるように擦る。両手で抱えて抱き上げれば、収まるほど小さかったのに。彼はわななく郁の全てを包みこんでやれないことをつらく思った。

「心配は要らないよ。私ともう結んであるからね」
 音もなく病室のドアが開いており、長身の男性が穏やかな笑みを浮かべて入ってきていた。
布施ふせ先生!」
「うん。布施ふせあさひと申します」
 焦げ茶色のハイネックニットとベージュのジャケットはグレーヘアの彼によく馴染んでいた。丸い眼鏡の奥に佇む黒目には年齢を感じさせない艶めきがある。自分よりかなりの年上であると無意識に判断した郁は、涙を袖でゴシゴシと拭って、イスを下りた。

布施ふせさん、ありがとうございます。兄さまを助けてくださって」
「優秀でかわいい生徒の頼みだからね」
 ね、と向けられた同調を求める先に、口をもごつかせてそっぽを向いた成清の姿があった。照れつつ「ぐうの音も出ねぇ」と出入り口にもたれかかって、遠くで見守っていた成清が口をもごもごさせて、恥ずかしさをごまかす。

「い、行くぞ、ルカオ。陽惟さんに文句垂れられるぞ、きっと」
 急かされるが彼の指はベッドの手すりにかかったままだった。掛け布団の上で名残惜しげに動く指先を求めて、界人は手を伸ばそうとはしなかった。

「兄さま。また、ね」
「うん。元気でね、郁……」
 だらんと力が抜けてしまった指に、小指を引っ掛けて郁は揺らした。目を閉じて寝入ってしまった界人を見つめて、彼は離れがたく思いながらも、病室を後にした。
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