月負いの縁士

兎守 優

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終章 蒼月のデスパレード

115 月兎

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「宇津木ハネルだ。彼女は」
 はじめは答えた。宇津木正吾は「おい、貴様」と舌打ちしたが、はじめは怯まなかった。
「もういいな、立華たちばな
 ざかの大穴へ向かってくる巨体を仰ぎ見ながら、はじめはつぶやく。

「私の責任だ。私を庇って彼女はフルムーンイーターに呑まれた」
 聖なるうさぎとは名ばかりの、怨嗟えんさのかたまりに、周囲の影斬りたちは恐れおののくが、はじめは親しげに手を伸ばした。
「ハネルが暴走しないように、永槻ながつき……志希しきさんが抑えていてくれたんだ、ずっと」
 「母さま……?」と界人は口にして、はじめを仰ぎ見た。

「彼女は完全に融合してしまって、効力も薄れたのかもしれない」
 おぞましい怨嗟えんさを振りまきながらも歩みの遅いホーリーヘアを見つめ、はじめは悲しげに眉をしかめた。
「彼女を救う方法を見つけたけれど、私にはできなかった」
 「だから立華たちばなに頼んだのだ」と彼が視線を移すと、陽惟も口を噤み、苦しそうに顔を歪めた。

「このまま朝まで抑えることができれば、フルムーンイーターと同化した彼女たちは消滅する」
「それじゃルカオも一緒に」
「ダメだ。ハネルは殺させない」
「もうああなっては人間に戻ることはない。宇津木、覚悟を決めろ」
「妻の恩を仇で返すのか、貴様!」
「僕がこの刀で郁と切り離します」
 ホーリーヘアとたがわない怨嗟えんさたたえる闇縫やみぬいの刀を界人は再び手にした。母もあれに捕らわれている。それならば、母から生まれ落ち、誰よりも母の愛情を受けた自分が、解放してあげなければと界人は立ち上がる。

「郁と分離させたあと、僕が、あなたと彼女の縁を結ぶ。それで正気に戻るかはあなた次第です」
「あんた、それじゃ戻れなくなるだろ」
 闇縫やみぬいの刀に呑まれないが適合しているとも限らない界人を見て、成清が憤る。上体を起こして幹に凭れていた陽惟も、それはダメだと言う。
「界人さん、それでなくてもあなたは今、不安定な存在なのですよ」
「郁を救えればそれで構わない。僕の願いも覚悟も変わらない」
 待ち望んだ、愛しいたった一人の弟との再会。約束は果たされた。兄としてできることは、弟を守り抜く誓いを新たに、刀を振るうことだけだった。

「ったく。兄弟揃って自己犠牲も甚だしいな。ルカオは俺が連れ戻してやる」
 放り出された日和見刀ひよりみとうを成清はやれやれと拾い上げる。彼の手に触れられても日和見刀ひよりみとうは、暴発はしなかったが、光が増幅することもなかった。それでもいい。道を開く足がかりにさえなってくれれば。
「親父。日和見刀ひよりみとう、借りるぜ。帰ってくるまでくたばんなよ」
「もちろんです。頼みますよ、ハツキ」
 動きの緩慢な大うさぎに、成清と界人は向き直った。

闇縫やみぬいの刀でまず切り離す。君が郁を連れ出せたら、彼と彼女の縁を結ぶ。それでいいね?」
「あぁ、頼む」
「他の月喰いは私たちが抑えます」
 成清はその者の姿に驚く。影斬刀かげきりとうを手に、陽惟のそばにやってきたのは、時雨栞奈かんなだったからだ。「立華たちばなさんのためです。私もこの時だけ、刀をふるいましょう」

 分厚い殻の向こうで、行き交う音と音。郁はそれらを外の人たちの声だと認識して、拾い上げた。みんな、傷つきながらも、戦っていると彼にはわかる。
 薄暗闇の中、淡い光が浮かび上がる。鈍く光るまあるい月はくるくると回りながら、人の形へと変わっていった。
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