月負いの縁士

兎守 優

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10.継承のシャドウ

101 禁秘の継承①

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 縁側でハタハタと団扇を振る者たちは、見慣れぬ青年──成清なるせから距離を取ったところで涼んでいた。
「成清くん、なんか暗いね。元々だっけ」
 結人ゆいとは構わず、がら空きの成清の隣に詰めようと腰を下ろす。しかし、彼はさっと立ち上がって振り向き、結人を睨みつけた。

「あんたらと馴れ合う気はないんで」
「ちぇー。成清くん、意外とお堅いなあ」
「それで。なんだ? 話って」
 梅見うめみ家での鍛錬を終えて、すぐに帰ろうとした成清を引き留めたのは結人だ。
「この間の、大変だったよねー」
「くだらない世間話はしねぇ、もう帰らせてもらう」
 陰でこそこそ言われ、たいそう居心地が悪かったのだろう。成清はかなり不機嫌で、結人はいつもの調子で軽口を叩けそうになかった。

「あー、お嬢。成清くん、帰りました」
 成清の気配が消えると、襖の向こうにいた丹那にながすぐに現れた。堂々とわが道を行く気概の彼女もいつもの覇気がなかった。

こうきはまだ寝込んでいるよ」
 揺るぎなき芯の強い彼女が唯一、心を痛めるのは、こうきのことだけだった。結人も彼の身は案じてはいるが、所詮、卯咲うさきに来てからの平穏な関わりしか、よくは知らない。
 死線をくぐり抜けて卯咲へ渡ってきた、丹那になこうきの絆には、とうてい及ばない。結人は長らく複雑な思いを抱えながらも、持ち前の呑気さをもって、ヘラヘラと笑って取り繕っていた。

「セイちゃん、休めって言うのに言うこと聞かないから~」
 左手で、指三本を立て、次に指一本を立ててから丹那になはスーッと奥に引き上げていく。これは合図だ。

「お嬢。俺はついていきやすよ」
 こうきが欠けるからといって決行を延期するわけにはいかないのだ。だからと言って彼女を一人でなど行かせられない。
「俺も強かったらよかったのになあ」
 皆から離れたところで一人、結人はざわつく胸を押さえ、夜空を見上げていた。


 夜に染まった弥生堂の丘がざわめく。成清はふいに立ち上がった。何日か足繁く通い、家主の帰りを待っていたのだ。
 弥生堂の主、陽惟はるいかおるの家に泊まりに行っていることは、時雨栞奈かんなから伝え聞いていた。彼女はたいそう静かに憤っており、成清が在り月から足が遠退く一因となっていた。

「陽惟さん、教えてください」
 「もう、せっかちですねえ」と陽惟は庭の門を開けて、草を踏みわけ、少しだけ早足でやってきた。
「イロハってルカオは口にした。他の奴らも、シキだの、イロハだの言ってる。デタラメじゃない。これは裏月うらづきが知ってて、俺が知らないことに関係があるんだろ?」
「彼らの見た夢はフルムーンイーターの超音波によるものです。しかし、イロハとシキという者は実在します」
 陽惟は手頃な平たい岩の上に腰を下ろして、長いため息をついた。

「あなたは‪葉月はづき一門の当主ではない。だから、当主に受け継がれる禁秘について、知る資格がない。だから、知らされてこなかっただけです」
 「仕方ありませんねえ」と伸びをしてから、陽惟は語り始めた。

「まず、イロハという者は、皐月さつき一門の五月雨さみだれ色葉いろはのことです。彼女と言えるさがの者かわかりませんが、日和見刀ひよりみとうの使用者であり、また、人を操る才に長けており、血の浄化を引き起こしました。危険な存在として刑士けいしにより、処刑されています」
 血の浄化と聞くと成清の眉がしかめられた。裏月において、汚れた血を一門の全ての血で濯ぎ、一門で最も穢れた者を清き魂にする、禁忌の儀式である。成清は過去に似た惨事を引き起こしてしまっており、彼の心の深くまで、癒えない傷を残していた。

「しかし、色葉は生きていたのです。生前、色葉は書物をたしなみ、自ら筆もとっていたそうです。突如、文体の似た作家が現れました。筆名は、颯葵そうき
 成清のつり目が目いっぱい見開かれる。『颯葵そうきの名は口にもするな』と理由も知らないのに、その話題に触れるなと言われてきた、裏月における禁句の一つである。

「これで裏月が颯葵そうきを厭う理由がわかりましたね?」
 影斬刀かげきりとうの柄に成清は手をかける。現存、一振りしか存在しない、タチアオイの家紋が刻まれた、この刀といくつの惨劇を目の当たりにしてきたことだろう。今さらどんな深淵に足を踏み入れようとも、耳に入る話に怯えてはいけない。成清は自身に言い聞かせ、続きを待った。

 陽惟は顔を両手で覆う。忘れることなどできはしない。脳裏に記憶にこびりついて、離れない過ぎ去りし過去。せり上がる悲痛を払うがごとく手を退けて、まぶたを開き、彼は続けた。
「シキという者は、私と寧とハネルが一時、ともに過ごした女性です。彼女は驚くほど、類似していました。残された色葉の人相書きと。知ったのは、当主になってからです」
 陽惟はうつむいた。相手の未来、過去、現在をも緻密に読み取る、彼の洞察眼をもってしても、その正体を見破れなかったのだ。

 そして、彼が当主になるということは、同時に前当主の父親の失踪という悲しき過去がつきまとう。なにより、おそらく〝シキ〟のことを陽惟はなにも知らずに、母親のように慕っていたのではないかと、成清は少しだけ思い浮かんだ。が、聞かずにはいられなかった。
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